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どうしよう。
バタバタと荒々しい足音が、いくつも廊下にこだましている。
どうしよう。
不穏なざわめきが、どんどん近づいて来る。
どうしよう。
もう号外を読み終えたのか、他クラスの生徒さんが、教室の中を窺っていらっしゃる。
黒々とした巨大な人型の影が、覆い被さって来て、呑みこまれてしまうような恐怖を感じた。
手の震えが、止まらない。
喉が、カラカラだ。
頂いたコーヒーを飲もうと想うのだけれど、到底無理だった。
押し黙ったまま、ぼんやりしている俺の異常さに、とっくに気づいているであろう大介さんは、何も言わなかった。
目を合わせなくてもわかる、気遣わしげな優しい視線を感じたけれど、俺も何も言わなかった。
何も言えなかった。
号外を見た大介さんも、もう付き合い切れないと、離れて行くかも知れない…
残っていたクラスメイトさんも、ざわめき始めていらっしゃる。
不安でいっぱいの空気が、教室内に満ちて行く。
どうしたらいい…?
柾先輩がいらっしゃるにはまだ早い、それまでどうしたら…いいや、先輩に頼るんじゃなくて、俺自身が何とかしなければならない。
2人で練習することに、何のやましさもない。
ただ、クラス優勝の一助になることを考えてるんだって。
お相手さまが学校トップのアイドルさまだとわかっているけれど、軽卒だったかも知れないけれど、やましい気持ちがないからこそ可能で…
そうだ、ただの先輩と後輩の、体育祭に向けた強化練習に過ぎない。
どちらのチームさまも実行されていること。
学校中がお祭りモードで、チーム毎に本気で、柾先輩と俺も他の皆さんと変わりない。
なのに号外になってしまった。
ひと騒ぎになるのは、どうしてなんだろう?
やっぱりトップアイドルさまだから?
そんなトップアイドルさまのお相手が、冴えない俺だから?
チームの皆さんに相談なく実行したから?
根本的な疑問が浮かんだ時、九さんが飛びこんで来られた。
「――…はるとっ!!!!!これっ…どういう事だよっ?!」
手に握りしめられている、いつもの号外とは違う、クリーム色の上質紙にゾッとした。
「穂、何があったのか知らねーけど、落ち着けよ。昼休み中だろ?」
大介さんの低い声に、九さんはますます気が昂ったようだった。
「落ち着いてられっかよっ!!!コレっ…あちこちで配られてたっ!!すっげーウワサんなってるんだぞっ!!ダイスケだって!!コレ見たら落ち着いてらんねーよっ!!はるとが!!オレ達皆の事、裏切ってたんだぞっ!!?」
俺が…?
九さんたち、皆さんのことを、裏切って…?
ばさっと机に広げられた、くしゃくしゃの号外のすべてが目に入って。
また身体中の力が抜け落ちそうになった。
大きな見出しの文字が、いくつもいくつも、俺を撃ち抜く。
『許し難き前陽大!親衛隊外の一般生徒に因る越境行為』
『断罪を!!』
『君は相手が誰だかわかっているのか?!』
『役職の有無を別として、後輩の分を弁えない図々しさ』
『過剰なスキンシップ』
『外部生の分際で』
『我等が生徒会長を穢すな』
『身の程知らず』
『家柄不釣り合い』
『調子に乗って』
『1学期中間考査の結果』
『お母さん気取りか』
『母親なら母親らしく相応に』
『生意気な』
『厚顔無恥とはまさに彼の事だろう』
なにより堪えたのは。
いつの間に撮られていたのか、まったく気づかなかった。
柾先輩だって気づいていらっしゃらなかった筈だ。
何枚も、何枚も、撮られていた写真の数々。
まさか至近距離にいらっしゃったわけじゃないだろう、引き延ばされた写真に写る、なにも知らず平和な一時を過ごしている俺。
それは呑気にのほほんと笑っている、間抜けな俺。
お話している姿、からかわれている姿、他チームさんが通りがかった時に庇ってもらった姿、お弁当を食べている姿、競技のレクチャーを受けている姿、実践している姿…
どう言い逃れしようもない、今朝の出来事すべてが、そこには写っていた。
作為的に選ばれたのかも知れない、いろいろな場面を撮っているのに、そのすべて、先輩も俺も笑顔だった。
どうして。
そんなに楽しかった…?
楽しかったんだろうか。
裏3大勢力の皆さんにだけお伝えして、こそこそと先輩と会って練習した、今朝はそんなに楽しい時間だった…?
大介さんが、固まっていらっしゃる。
何ごとかと、いつの間にか集まって来られたクラスメイトさんたち皆さんも、息を呑んで固まっていらっしゃる。
九さんは、顔を真っ赤にして怒っていらっしゃる。
「何だよっ…!!マジで何なんだよっ、これっ…!!!いつの間に2人で、コ、コウとはるとって、そんなに仲良かったのかっ?!朝っぱらからコソコソっ…皆に隠れて会うぐらいこんな風にっ…すっげー楽しそうにっ!!ふ、2人の世界だけで、いっつも楽しんでたのかよっ?!
コ、コウにもはるとにもオレや、他にもいっぱい仲間が居るクセにっ、ふ、2人だけで黙って会うなんて卑怯だっ!!こんなの変だぞっ!!!こ、恋人でもないクセにっ!!男同士で朝っぱらから…何だよ?!こんな…こんな…ヘラヘラ笑いやがって!!だ、抱き合ったりしてっ!!こ、こんなにくっついて…!!イヤラシい!!!!!しかも、体育祭の練習してるフリとかしてっ…どんだけ知能犯なんだよ?!
大体、コ、コウに言い寄るなんてっ、そんなの、はるとなんか100万年早いっ!!マジ厚かましいっ!!そんなフツーの顔でっ、フツーの家柄のクセにっ、オレとか皆を差し置いて…!!はるとがそんな卑怯でズル賢いヤツだなんて思ってもみなかった…!!親友だと思って信じてたのにっ!!」
目が、熱い。
頭がぼんやりする。
足に力が入らない。
心だけ、胸の辺りだけ、いやに鼓動が早くて、ズキズキして。
寒いのか、暑いのか、よくわからない………
九さんのお声に混じって、いろいろなお声が聞こえる。
――お母さんがこんな人だったなんて…――
――嘘でしょ…?――
――因りにも因って、生徒会長様に…――
――憧れだけなら、親衛隊に入れば良いし…――
――それにしても、もっと身の程を…――
空っぽ、だ。
今、俺は空っぽで、だからぼうっとしている。
いろいろなお声がぐるぐると、空っぽになった空洞の身体中を、血液の代わりのようにぐるぐる巡る。
がらんどうの身体の隅々に、響き渡るいくつもの声、たくさんの言葉。
声は、言葉は、剣に等しくて。
内からも外からも、突き破る。
そうして尚、延々とこだまする。
耳の奥底で、永遠に止まない。
どうしよう。
何か言わなければならないのに。
きちんと事態を明確に説明して、謝らなければならないのに。
動けない。
駄目だ。
俺は、ほんとうに成長してない。
あの時のまま、秀平達が助けてくれるのを、いつまでも待っているつもりなのか。
ここには秀平はいないのに。
いてもいなくても、自分で何とか対処しなければならないのに。
あまりの己の不甲斐なさ、情けなさに、ただ身体を震わせることしかできなくて。
止まない耳鳴りのようなこだまに、じっと、耳を澄ませていた。
「――うるっせえなあ…メシ時だろ?てめえら、下らねえ号外如きにいつまでピーピー騒いでんだ…中等部生かっつの」
耳を澄ませていたから、唐突に現れた、言葉の内容の割に低く落ち着き払ったその声がよく聞こえた。
2011-12-23 23:14筆[ 466/761 ][*prev] [next#]
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