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音楽ひとつない静かな空間の中、書類を分類する音だけが響いている。
外はすっかり、日が暮れてしまった。
ドラたちを僭越ながら周りに侍(はべ)らせて頂き、アンケートの山を黙々と崩しながら、ふと、気づかなくていいことに気づいてしまった。
俺、あんまり緊張してないなぁ…
こんな人里離れた(=学園中心地外)場所で、ちいさなお家(=隠れ家)の中で、一般人さんじゃない魔法使い疑惑まであるアイドルグループのリーダーさまであり、ひーちゃんたちのお父さまでもあり、生徒会長さまというご大層な役職名までついた御方と2人っきりで、しかも会話なしだというのに。
恐れながら先輩と接する機会が幾度かあったからだろうか。
俺は割と人見知りしてしまう質で、笑ってお話できたとしても、ほんのり緊張感がいつまでも残っていたりする。
ほんとうに馴れるまで、いつも時間がかかってしまうのだけれど。
…これも魔法なのか?
だったら納得ですね、うんうん。
柾先輩ご自身は、人見知りしない御方なのだろうか。
そして珍しいことに、人が何か言う度バカ笑いしていた笑い上戸病さんが、今は黙々と作業に集中していらっしゃる。
それにしては近寄り難い空気を感じない、こういう時って多少は気まずさを覚えるものだと想うのだけれど。
どころか、ちょっと…落ち着くっていうか…ちょっとだけ、ですけどね!
ほんとうに不思議な人だ。
十八さんととても仲がよろしいようだった、3人でお話したこともあるし、だから気にかけてくださるのだろうか。
きっと、いろいろなことを見通せる人だ、だからこそ重責を負いながらも堂々と立っていらっしゃる。
けれど先輩は、何も言わない。
まるで、俺が疲れきっていて、何もお話したくないことをご存知でいらっしゃるように。
ドラたちを目印に用意したり、コーヒー作ってくださったり、先輩が疲れていらっしゃるようには見えないし…
正直なところ今、柾先輩にいつものノリで笑い上戸病を発病されたら、俺はとても居たたまれなくなっていただろう。
なんとか無理して笑えるか笑えないか…
でもそれは俺の事情で、先輩には関係ない。
先輩は1後輩の葛藤など関係なく、自由に過ごす権利があるのに。
すべては俺の勝手な推測だけれど。
この人は、何もかもわかっていて俺をここへ呼んで、無心でできる作業を与えて、黙していらっしゃるのではないか。
すべてが見透かされているようで、怖いな、すごいなと想うのと同時に、なんだか…
ただ黙って見守ってくれる、失礼ながらほんとうに「父親」というおおきな存在の側にいるみたいで、安心できるのが、いちばん気がかりだった。
こんなすごい御方の側で、俺などが安心させてもらっていていいのだろうか。
気づいたらいつも、そんなつもりないのに甘やかされているというか、みっともないところばかり披露しているような気がする。
果たして俺は、柾先輩にすこしでも何かお返しできるのだろうか。
…お弁当を豪勢にするしか、考えつかないんですけれども…うむむむむ。
心の中で唸りながら、分類を続けていたら、1枚のアンケートに心臓を鷲掴みにされた。
無記名で余白いっぱいに殴り書かれた、暴言…『柾ムカつく。消えろ!』の文字に、指が震えた。
「あ、そーそー。中には誹謗中傷書とかあるけど、それは纏めて処分するから、こっちな」
タイミングよく沈黙が破られておろおろしていたら、手元を覗き込まれ、そのアンケートは柾先輩の目に留まることになった。
「あ、あの…」
「おー、早速来たか。名前ぐらい書けっつーの…じゃ、こっちくれ」
一瞥して呆れた声を出され、さらっと取り上げられた。
まったく平静な横顔に、俺は戸惑うしかない。
「柾先輩…」
「んー?」
「その…」
なんて聞くつもりだ?
なんて声をかけるつもりだ?
俺なんかが何をどう言ったってどうしようもないのに、気休めどころかただの冷やかしになるだけじゃないのか。
俯いて「なんでもないです…」ともそもそ呟いたら額を小突かれた。
顔を上げたら、頬を摘まれた。
「陽大が気にすんな」
「ら、らっれ(だ、だって)…」
「新歓中も言っただろ、誰でも万人に好かれる事は無え。こんな幼稚なやり口にいちいち感情揺さぶられてたらキリ無えし。心ない言葉に立ち止まってたら何も出来なくなる。寧ろてめえの修行になるんだ、こういうのは。こういう奴等には結果を見せるしかない。だからお前が気にすんな」
「………はい」
あまりにあっけらかんとして、揺るぎなく強い瞳のままだから。
頷くしかなかった。
御本人さまが強く在るのに、しがないお手伝いの俺が口を挟めることじゃない。
かすかに震える指を叱咤しながら、作業を進めた。
よくよく見れば、ぎくりとする内容は1つや2つじゃなかった。
先程のわかりやすい暴言の他、一見やさしい文体ながら実は批判に徹しているもの、最初から最後まで反抗意見しか書いていないもの、タメ口で短い文句が並べられたもの、ルール違反者の告げ口…いろいろなことが書かれてあった。
好意的な中にも、新歓のことではなく、先輩たちへの想いの吐露だけが綴られたものも多かった。
世界にはいろいろな人がいるって、想っていたけれど。
こうして個人個人異なる筆跡で綴られた、様々な想いを目の当たりにすると、ほんとうに実感した。
「…できました」
「ん、サンキュ。じゃ、後は打ち込みな。大分除けたけど、まだ新歓に関係ない意見あったらこっち回して。陽大は取り敢えず1年からな。あ、お前、パソコン使えるよな」
「はい」
シンプルなデザインのノートブック型パソコンが開かれた。
とにかく事務に徹して、とっとと終わらせてしまおう!
すぐ隣にいらっしゃる柾先輩の強さが乗り移ったのだろうか、疲れからくるハイテンションなのか、コーヒー効果なのか、気合い入れ過ぎた結果なのか。
俺は意気揚々とパソコンに向かった。
…のだけれど。
2、3枚打ちこんだところで、呆気なく瞼が重くなった。
この単調な作業…ヤバい、ヤバいです…ううーん、のどかな牧場が脳裏に浮かぶ…お天気いいなぁ…あれ、草原から走ってきた…あれは羊…羊が1匹ジャンプ、おや、羊が2匹………
「陽大…まさかお前、眠ぃんじゃ…」
「…が5匹…っは!?ま、まさかぁ!!眠いわけないじゃないですかー!お仕事中にこの俺が、そんなバカにゃ〜……6匹目は元気いっぱいですにゃあ…」
「完全に落ちかけだろ」
「…7匹目はチョイ悪〜…っは!まさかまさか!先輩、牧場にはお花が咲き乱れています!…いやいやいや、眠いわけがない、そんなの、意味がわからにゃい〜…」
「よしよし、無理すんなー。させてんのはこっちだけどな」
ちょ…!
頭を撫でるのは重大な反則!
「やめてくださいにゃむ…武士の情けで断固拒否するにゃう…あれ、100匹もいる〜ふわもこもこ〜…」
かろうじて、5枚目まで打ちこんだ意識があるのだけれど。
そこからなんだか、ふわっとほかっとぎゅっと、あったかいものに包みこまれたような…
「おやすみ」
それは心地いいソファーみたいなものに、寄りかかったような寄りかかっていないような…
安心して、どっと疲れが押し寄せて来た感覚の中、俺の意識は深く深く沈んでいった。
のどかな牧場、柵の中で戯れるたくさんの羊たちの笑顔が見えて。
羊たちはその愛くるしい姿に反した男前の声で、「おやすみ」と合唱してくれた。
2011-09-13 0:32筆[ 391/761 ][*prev] [next#]
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