50.白薔薇さまのため息(3)


 「お迎えに参上致しました、前陽大君」

 携帯を確認しながら急ぎ足の彼の行く手を、芝居がかった動作で阻んでみた。
 はっと顔を上げた前君は、優れない顔色をしていた。
 無理もないか…
 それは疲れただろうね。
 同情を禁じ得ない、彼があまりにあどけないものだから。
 誰に声を掛けられたのかわからないとばかりにぽかんとした後、俄に頬が緩んだ前君の表情の変化は、これは誰にでも好かれるだろうと納得出来る、可愛らしさだった。

 …可愛らしい…?
 この俺が、他人にそんな感情を抱くなんて。
 此所で遭遇して来た、あらゆる系統別に整った容貌を見ても、何ら心動かされる事のなかった俺が。
 まして、幼馴染みもといお仕えしている主家が主家だけに、この感情はそう波立たない、綺麗だの可愛いだのには相当免疫がある。
 この子はやはり、厄介な子だ。
 
 「富田先輩…そのお姿に馴染んでいないので、気づきませんでした。失礼致しました…なんだかお久しぶりです。こんばんは」
 ふわっと微笑う、いつより眉が下がった状態を、俺は冷静に観察しながらにこやかに言葉を繋ぐ。
 昴のお呼出しも道理だ。
 無理に気を張っているのだろう、彼は深刻に疲れていながらも必死に立っている。
 「そうだね、こんばんは。取り敢えず歩かない?」

 我々のすぐ背後には、始まったばかりの華やかな立食パーティーが賑やかに存在している。
 此所でじっとしている暇はない。
 前君はすぐに察してくれた様で、俺は「白薔薇ルート」を使って、人目に付かない場所へ誘う事が出来た。
 油断禁物なのは1年365日1日24時間、どんな瞬間にも言える事だ。
 この十八学園内、何処にいようとも、卒業しようとも。

 特にこの面倒極まりない新歓後の立食パーティー、いつ何処からふいに抜け出して来た生徒、途中参加の生徒が出没するかわからない。
 新歓後の部活動は原則禁止であるというのに、熱心な部活バカ共がこそこそ練習に励んでいるパターンもある。
 それ故、俺が任命された訳だが。
 しかし「あの一族」の人使いの荒さ、人タラシの巧さは何とかならんものかね。

 「此所まで離れたら大丈夫かな。でも前君も油断しない様にね」
 「は、はい…あの、富田先輩…先程、俺を迎えに、って…」
 「そうそう、何処で盗み聞かれてるか知れない講堂付近では話せなかったんだが。安心してくれ給え。君のそのメールの相手の依頼だよ。『食堂裏側で約束した』だろう?」
 名前は出せない、役職も出せない。
 非常に厄介な、今日は異常な程道化に徹していた、あのバカ様の事だよと言外に語ってみせる。

 「やっぱりそうでしたか…」
 前君が空気を読めずに、うっかり名前を出したらどうしようかと憂えたが、要らぬ心配だった。
 「それにしても、お迎えって…俺、そんなに子供じゃないですよ。失礼にも程がありますよね…道だって、どこもかしこもしっかり覚えてるっていうのに」
 おや?
 そんな表情もするのか。
 俺の前だけに多少は抑えている様だが、むすっと膨れた横顔は「皆のお母さん」からは遠く、珍しく幼く見えた。

 ほう、これはこれは…あの昴に対して君は少なからず心を開いているというのか、いや、寧ろ素直になれないってヤツなのか。
 いつも緩やかにカーブを描いている口角が、どんどんへの字へなっていく様を見ていると、和やかな気持ちで微笑えた。
 この俺が。
 指令の為なら、主家の為なら、柾昴という人物の無事の為なら、冷徹非情でいられる俺が。
 
 「そういう事じゃないんだけどね。君は新歓後で疲れてる、成勢の一騒動もあった事だし、折角無傷で新歓を終えた後だからね。残念ながら勿論、俺は本拠地まで立ち入れない、途中までの付き添いだけど。あぁ、先に言っておこう。帰りは『金と銀』が迎えに来る様だ」
 「………そう、なんですか…」
 おやおや?
 そう言ったっきり、前君はしゅんと黙り込んでしまった。
 子犬が耳を垂れてしょぼしょぼしている様だねぇ、実家のプー(愛犬)が懐かしいねぇ。

 無言で歩き続けながら、彼奴等の根城付近に近付いた折、漸く前君は俺を見て、真摯な言葉を発した。
 「だけど、富田先輩は…?俺を送り届けてくださった後の、富田先輩は大丈夫ですか?こんな遠くまで来て、ひとりで戻られたら、それこそ危ないじゃないですか…俺だけ、ぬくぬくと守られるっていうのは、ちょっと…俺の所為で、どなたかさまが犠牲にならなければならないなんて、そんなの………すみません、送ってくださっているのに、うまく言えなくて…」

 おやおやおや…!
 この子はいつもこうして、周りの事にばかり心を砕いているのだろうか。
 大丈夫かい、前君。
 君の自己を省みない優しさは、ある人間にとってはこの上ない甘露で、別の人間にとっては刃と化す、また別の人間にとっては苛立ちに変わり、そのまた別の人間にとっては悲哀となる。
 その様に君に想わせてしまう、己の不甲斐なさを悔いる者もいるだろう。

 優しい言葉は、幸福を呼び寄せるけど。
 出来上がったオアシスが、永遠と枯渇しないかどうかは別問題だ。
 
 「俺の事なら心配しないでくれ給え。『我々』の一族は古式ゆかしい武道必須の家系、己1人守れぬならば男子足らずと厳しく教育されているのでね!こう見えて腕は立つ、君を呼び寄せた我が主には到底及ばぬが。此所から離れた後の手配もしてある。だから奴は俺を君の迎えに寄越させたのだよ。君は悠々と構えていれば良い」
 「そう、なんですか…?」
 心配で堪らないといった表情に、流石の俺も目を細めざるを得なかった。
 僅かでも偽善があったなら、周りも気楽だろうにね。

 君の瞳は何故、そんなにも澄んで美しいのだろう。
 想わず頭を撫でてしまった…プーに会いたいねぇ。
 「だが心配してくれて有り難う。嬉しいよ」
 「いえ…こちらこそ、とんでもないです…こんなところまで、わざわざありがとうございました。いつもほんとうにお世話になりっ放しで、」
 そのまま延々と自省タイムへ突入しそうになった、前君を遮った。

 「あぁあぁ、もう何も気にしなくて良い。さぁ、此所からは君1人で行くんだよ。このLED懐中電灯を進呈しよう。日が傾いている、道がわからなくなったら必ず奴に連絡する様に。奴の事だから、道々何らかの目印は置いているだろうがね。行けるかな、前君?」
 「はい、大丈夫です」
 「うむ、その勇ましさだったら大丈夫だね。じゃあもう行きなさい。おっと、1つだけ忠告しておこうかな」
 「はい」
 「奴は十八学園に於いて君の最大の味方と成り得るだろうが、同時に最も危険な男でもある。優しい顔をされても騙されない様にね。奴の住む世界は此所の誰とも違い過ぎるんだ。ともあれ、前君にとって奴の庇護は必要不可欠なもの、上手く乗っかりつつ自分を見失わない様にね」

 この俺が、過分な事を言った。
 素直にこくりと頷いた、前君の疲労が増した様に感じて、俺とも在ろう者が苦い後悔を覚えた。
 言うつもりのなかった事を、何故敢えて言ってしまったのか…
 それは、自慢の我が君を奪われたくない様に想っているからか。
 それとも、俺は前君に個人的に興味があるのか。
 いずれにせよ、実にガキ臭い感傷には相違ない、あぁ嫌だなぁ…家人に知れたら何と罵られようか。

 それにしても美郷秀平、前君と接すれば接する程にお前達が執心する意味がよくわかるよ。
 


 2011-09-09 23:07筆


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