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 不敵な表情で招き入れられて、不審感を現しつつ、足を踏み入れますます驚いた。
 目が飛び出そうな心境だった。
 心臓だって飛び出してしまいそうだった。
 想わずよろよろっと身体がふらついて、あわやと手をついたところが、ピッカピカに磨かれた作業台だったものだから、ひいっと飛び退いた。
 鏡のように磨き抜かれたステンレスに、俺の間の抜けた赤い顔が映っている。
 なんという不始末…!
 せっかくきちんと片付けられているのに、俺の手形がついてしまった。

 俺が悪いんですけれども、だがしかし。
 「なんっ…こんっ…信じっ…バカなっ…ルールっ…どうっ…なっ…!?」
 言葉にならない、胸の奥から溢れる想い。
 激しく動揺してじりりと後退したら、背中にばふっと何か当たって、俺は再び不始末を起こしてしまったのかとぎょっと振り返ったら、柾先輩で拍子抜けした。
 ぶつかった俺を一切気に留めず、まだ薄く開いた扉の隙間を窺っていらっしゃる先輩。
 その用心深さにつられるように不安を覚え、おろおろと所在なく立ち竦んでいたら、ばたりと扉が閉まった。

 外界から差していた、暮れかけた光がなくなり、ちょっとした薄闇が訪れた。
 それもほんの束の間、慣れた様子で俺の前を横切った柾先輩の仕業だろう、すぐに一部分だけ電気が点いて、正直ほっとした。
 ほっとしたけれど。
 「やっぱり、ここっ…食堂の、厨房さまじゃないですか…っ」
 明かりが点いたことで尚明らかになった、この場所。
 忘れもしない、食堂デビューの日に見学させて頂いた、何度も夢に出て来た厨房さまだ…!

 誠に残念ながら、シェフの皆さま、スタッフさまのお姿はどこにもなく、完全に作業が終わった後の状態だ。
 どこもかしこも隅々までピッカピカで、きちーんと片付けられており、チリひとつ落ちていない。
 おいしい料理が生み出された後の、満たされた静謐さ。
 神聖なる厨房さまに、1度だけ見学を許されたことがある一介の生徒の俺が、道具たちの眠りを妨げるが如く存在するなんて…そんなこと、許されるわけがない!!

 小声で喋っていても、やけにおおきく響くように感じる。
 あぁ、ごめんなさい…いや、大変申し訳ございません。
 厨房さまの眠りを妨げたいわけじゃないのです、そんなつもりは毛頭ございません。
 あぁ、けれど、陽大は陽大は、嬉しゅうございます…!!
 またあなたさまの元へ戻って来れようとは、夢にも想わず!!
 やはり俺にとって、料理を作る場所が最も心安らぐ場所であり、癒しであり、心の支えであり、オアシスであり、幸福感が沸き上がり、疲れも吹っ飛ぶ夢の聖域。

 焦ったりうっとりしたりしていたら、頬にひやっこいものが触れて。
 俺の葛藤を邪魔するとは!と、きっと顔を上げて、また卒倒しそうになりました。
 「なっ…?!柾先輩、何を…!どこからこれ出しました?!こんなに冷えてるドリンク…!まさか、まさかあなたという御方は…!」
 信じられない!!
 まったくもって信じられない!!
 前代未聞で青天の霹靂も甚だしい!!

 頬に触れたのは、よく冷えたスポーツドリンクのペットボトルで。
 それを涼しいお顔で人の大事なほっぺたに押しつけて来た柾先輩は、先輩は何と、ご自分も同じペットボトルを手にしておられるばかりか、早くもごくごくと飲んでいるじゃありませんか…!
 早朝1番のように一気に目が覚めましたよ、お陰さまで!
 一息に半分ほど飲みきった先輩は、顔色ひとつ変えずにやれやれと息を吐いておられる。
 「取り敢えず飲めよ」
 「飲めますか!!」

 遠慮なくおおきな声が出てしまうぐらい、俺の感情は荒れておりますとも。
 「面白ぇよなー陽大はマジで」
 はははっと快活に笑うその男前なお顔、男前だからこそ憎らしくて仕方がありません。
 「面白い面白くないが柾先輩にとって1番重要のようですが、俺にとって現状はまったく面白くない上に、不可解なことが多すぎる次第でございますっ」
 「なんでー?どーせなら面白いのがいーじゃん」

 「それはある意味真理ですが、あなたは生徒を束ねるアイドルさまでありながら、今、この神聖なる厨房さまにおいて侵入と強奪という、何とも恐ろしい罪深き、」
 「ぶはっ、厨房『様』って…!お前、マジで台所愛強いよなー」
 「もちろんですとも!空が青いより確かな事実ですとも!俺がどれだけあらゆる厨房を愛しているか、一生懸けたところで到底語り尽くせませんがね!」
 ふっふんと胸を張ったら、ぽんぽんっと頭に手が乗った。
 「はいはい、わかったから。取り敢えず飲めって。ここからかっ払ったんじゃねえし、俺のだし?遠慮すんな、喉渇いてんだろ。話はそれからだ」

 「ほぇ?!『俺の』だし?!」
 「ほぇ?って…!っくっく…あー…疲れてんのに笑かすなっつの。ほら、飲みな」
 きゅっと蓋を開ける、小気味よい音が聞こえた。
 なんだかよくわからないけれど、喉が渇いているのはほんとうだ。
 厨房さまから強奪なさったのではないならば、頂いても構わないだろうか。
 「…ありがとう、ございます…」
 「あれ?半疑問じゃねぇんだ?」
 一言多いなぁ、もう!!

 喉を通っていくスポーツドリンクは、それはおいしかった。
 冷え方も過剰じゃなくて、ちょうどいいひんやり加減で、厨房さまにいることで元気復活していた心身に、すんなり沁み通っていった。
 俺が味わっている間に、先輩はよほど喉が渇いておられたのだろう、飲み干してしまったようだった。
 「ぷは〜っ…」
 「っぶっ…ビール飲んだ後のオヤジかよ…」
 いちいちうるさいなぁ!!

 放っといてください。
 あなたはご存知ないでしょうけれど、俺はかの栄えある「男前同盟」の一員、呑気に飲んでおられるお姿を横目でずっと観察していたんですからね…
 ふふふ、男前のペットボトルの飲み方はこれでマスターしましたよ…?
 次にペットボトル飲料を手にする時には、俺だって! 
 ほくそ笑んでいたら、額を小突かれた。
 「…なんでしょうか、生徒会長さま…」
 「ふーん、流石陽大だな。ちゃんと無事じゃん」
 「はい?」
 「バラ」

 先輩の指先が、俺のバラに触れた。
 「当然ですよ!俺ですから!」
 「俺様だなー」
 「…先輩には負けますよ…先輩は…?!」
 見返した柾先輩は、どこにも、バラを身に着けておられなかった。
 今まで気づかなかった…!
 またも目をまんまるにする羽目に陥らされた俺に、先輩はあぁとか言って笑った。

 「この俺が獲られて堪るかっつの。ほら」
 上のジャージの内ポケットから、茎を濡れティッシュで覆われた、それは見事な黒みがかった赤いバラが現れた。
 ちょっと、ほっとした。
 「…それはようございましたね…ところで、随分丁重に扱っていらっしゃるんですね?」
 水分を与えてもらえているお陰か、先輩のバラは活き活きしている。
 面白がりのガサツな人のくせに、花には優しいとは、なかなかどうして笑えることじゃありませんか。

 「まーな、花を大事にしないと、身内にこっぴどく怒られるから」
 お身内さんに怒られる?
 あの珍しい青いカーネーションを入手して来られたことといい…お花屋さんと関係があるのだろうか。
 「ま、この食堂関連も、身内っつーか」
 更に何気なく発された言葉に、俺はますます目をかっ開くしかありませんでした。
 今、なんとおっしゃいました?!



 2011-09-02 22:20筆


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