31.誰しも言ってほしい言葉がある


 さて、どこへ行こうかなぁ。
 携帯電話の時計を見たら、ついに生徒会さんまでスタートした時間になっていた。
 つまり、スタートから30分経過か。
 クラスの皆さんはどうされているだろうか。
 大介さんはきっと大丈夫、合原さんはお元気だろうか。
 一舎さんも参加されているのだっけ、普段あんまり授業に出ていらっしゃらないけれど、2限中逃げ回るこのゲーム、お身体は大丈夫なんだろうか。

 九さんと、美山さん、は…?

 いかんいかん、とにかく俺は自分が逃げることに集中しましょうね。
 クラス賞に貢献できるように、最後までこのバラ、守り通して見せようじゃありませんか!
 そしてこの俺のターゲットは、ひーちゃん!
 ふふふ…覚悟しておきなさいよ、ひーちゃんめ。
 あなたの困ったさんなところを直す為、俺は正々堂々頑張りますからね!
 この広大な学校内の、どこかにいるであろうひーちゃんへ念を送りながら、気合いを入れ直して歩き始めた。
 
 ぽかぽかだなぁ。
 陽射しを受けた草花が、気持ち良さそうに風に揺られている。
 遠くでかすかにバタバタした足音や、複数のお声が響いているものの、この辺りはとても静かだ。
 まだまだ時間はあるし、警戒しつつもゆっくり散策させてもらいましょうかねぇ。
 まぁ、色とりどりのポピーが鮮やかなこと!
 走るのも大好きだけど、のんびり散歩も大好きだ。
 ところどころにある花壇がまた見応えがあること、この学校、ほんとうに素敵だねぇ。
 などと穏やかな気持ちで歩いていたら、後方から声をかけられた。

 「そっちに行かん方が良い。3年が固まって居たから」
 
 振り返って、目を見張った。
 「田中校長先生…!」
 いつぞやと同じくジャージで、首にはタオルを巻いて麦わら帽子と、更に完全防備なお姿で校長先生が立っておられた。
 無線機のようなものを片手に、肩から提げたショッピングバッグのような軽い素材のバッグからはペットボトルが覗いている。
 校長先生は俺よりも驚いた表情になっていた。

 「…覚えられていたかのぅ」
 「もちろんですー!その節は入学早々お世話になりました。あの時は気づかなくて…大変失礼致しました。教えて頂いた情報、すべて実行はできておりませんが大変重宝しておりますー!ありがとうございました。…本日は重装備のようで安心致しました」
 途端に校長先生のお顔が緩んで、苦笑を浮かべられた。
 「人が倒れておったら誰でも印象に残るか…こちらこそ先達ては世話になった。妻に話したら酷く怒られてね、あれから外出する時は気をつける様にしとるよ。前君のお陰だ、ありがとう」

 「いえいえ、とんでもないです。俺は当然のことをしただけですから。校長先生こそ、1生徒の俺の名などを覚えてくださっていたなんて、とっても光栄です。ありがとうございます」
 「お前さんは印象が強いからの。儂が言ってるのは良い意味で、だが…あれから何かと騒動に巻き込まれている様じゃね。入学早々、大変だろうに…」
 う…!
 やはりお耳に届いていましたか。
 「大変申し訳ありません…学校内をお騒がせしてしまって、3度も校内新聞に載ってしまいました…どうも周りから浮いてしまうようで、自覚がないことこそ罪だと、非常に深く反省しております。今後はより一層自分の行動、言動共に気をつけ、十八学園の名に恥じない生徒となるべく慎む所存です。ほんとうにすみませんでした」

 深々と一礼すると、慌てた声に引き止められた。
 「前君は何も悪くないじゃろうに。此所が異質なんじゃよ、変わった生徒が多過ぎる。君は巻き込まれているだけじゃろう、可哀想に、3大勢力にまで利用されて…此所で衆目を集めるのは殊更に辛い、相当不自由な想いをしておるのではないのかね?あまり無理せん様に、我慢ばっかりせん様に…心身に異常を来しかねん」
 わぁ、校長先生ってほんとうにお優しいんだなぁ。
 しょぼしょぼと瞳を瞬かせる、その様子に大変失礼ながら「おじいちゃん」って言いたくなるような衝動が沸き上がった。

 俺に、「おじいちゃん」はいないけれど。

 「お気遣いありがとうございます。すっごく嬉しいです。でも、3大勢力の皆さんはもちろんのこと、クラスの皆さんや他クラスの皆さん、先輩方も…皆さん、ほんとうに親切でやさしくて格好良い方ばかりで、お陰さまで毎日たのしく過ごせております。先生方も素敵な方々ばかりで…俺が皆さんに甘えて、皆さんを巻きこんでばっかりなので…もっと男らしくしっかりしなくてはと、反省ばかりの日々なんです。皆さんへもっと、感謝の気持ちをお返ししたいなぁって」

 校長先生は、更におおきく目を見張って。
 じいっと、俺の何倍も長く生きて来られた、逞しく穏やかな瞳で見つめられて、逸らさずに笑顔を向けた。
 校長先生は何故か、とっても驚いておられるようで、何度か瞬きした後、ふうっとため息を吐かれた。


 「前君は、強いんじゃなぁ…」


 俺が、強い…?

 「とんでもないです…!俺など、ほんとうにもう…どうしようもなく、弱くて…!最近特に落ちこむことが多くて、皆さんの強さに甘えてばっかりで…」
 「いいや、前君は強いんじゃよ。そうか…お前さんの瞳には、この学園はそんな風に温かく映っているんじゃな。生徒達が親切で優しい、と…そうか…。
 前君、周囲に居る人間は自分の心を映す鏡だと言う。お前さんに関わる人間が親切で優しいのは、つまり、お前さんが誰よりも親切で優しく、強いからじゃよ。厄介事に巻き込まれようとも、周囲に助けられ、そんな風に笑顔で居られるのは、強さの証じゃ」
 「お…校長先生…」

 あ、危ない…!
 想わず、ほんとうに「おじいちゃん」って呼びかけそうになってしまった!
 何たる無礼な!
 「お前さんなら卒業まで楽しく過ごすんじゃろうなあ。ただ、警戒だけは怠らん様にしなさいよ。この新歓も前君は標的にされ易いだろう。儂には知る限りの事を口伝てするだけしか出来んが、お前さんの味方じゃ。陰ながら応援しとるよ」
 でもでも、深くて温かい眼差しが俺に向けられていて、おじいちゃんがいたらこんな感じなのかなって。
 どうしても想ってしまうのだもの。

 「はい…ありがとうございます、お…田中校長先生。温かいお言葉の数々に、とっても心強いです。俺などまだまだ修行中の未熟な身ですが、卒業の暁には立派な大人となっているべく尽力致します」
 ぽんっと、シワシワであったかぁい手が、頭の上に軽く乗った。
 「あんまり気負い過ぎん様にな。前君は今のままで十分良い子じゃから。
 さぁ、もう行きなさい。直に5限終了のチャイムが鳴る。無事に逃げ仰せる事を祈っとるからの」

 おじいちゃん…!
 ごめんなさい、校長先生。
 心の中だけでもいいですか。
 心の中だけにしますから、おじいちゃんって呼ばせてください。
 頭を撫でられて、ふんわり微笑ってもらえて。
 なんだか目頭が熱くなったけど、笑って、はいとおおきく頷いた。



 2011-08-14 23:17筆


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