26.この世界は、どうしても


 茂みに身を潜めたまま、物音を立てないよう呼吸すら控え目に、恐る恐る顔を上げた。
 見えた。
 フェンスの向こう、1、2、3…3人の生徒さんのお姿。
 知らない方々ばかり、だと想う。
 同じクラスではない、だけどもしかして隣のクラスとか…?
 絶えずあちらこちらを見渡していらっしゃる、見つからないようにまた頭を引っこめた。
 
 どうしよう。
 友好的な気配はまったくない。
 胸につけるのは気恥ずかしくて、そんな柄でもないしと腰につけたバラを見やった。
 バラを奪われたら、奪った相手のお願いごとを何でも1つ叶えるのがルール。
 お願いごとは閉会式の時、皆さんの前で発表される。
 確か、どれだけ奪ったか、もしくは奪われずに済んだかで、クラス賞の発表なんかもあるんだっけ…
 そんな和やかな場では相応の発言が求められるし、為されるものだ。
 
 ただ、終わってからどうなるかわからない、後のことは当人たちしかわからない。
 風紀委員の皆さま筆頭に、3大勢力さんとしても最大限の注意は払うそうだけれど、被害届けが出ない限り手が出せないって、凌先輩が痛ましい表情で言っておられた。 
 冷静に考えているつもりで、でも、急に手足がふるふると震え始めて、寒気を感じた。
 慌てて震える手を握り締めたり、足をさすったりしたけれど、恐怖感は消えるどころか大きくなるばかりだった。
 ついさっきまでの晴れやかな気持ちには、もう戻れない。

 2年生さんはもうスタートしただろうか。
 だけどここは、講堂からずいぶん離れている。
 扉を出るなり想いっきり走って来たから。
 それに、たくさんの生徒さんが各地へ散らばっている中、武士道の皆と容易く会えるわけがない。
 俺は今、1人なんだ。
 1人でなんとか逃げなくちゃならないんだ。
 唇を噛み締めながら、相変わらず震える手足に震えるな!と念じた。

 とにかく逃げなくちゃ…
 相手が1人ならまだしも3人、遠目ながら皆さん高身長で体格も良さそうだ。
 俺が相手にできるわけがない。
 ああ、秀平たちや武士道と一緒にいながら、どうしてもっと男の道を邁進して来なかったものか。
 ほんとういつも守られるばかりで、いざとなったら自分の身を守ることすらできない、震えてるだけってなんて情けない…!
 でも自己嫌悪や反省は後回しだ。
 今は逃げなくちゃ。

 俺の武器はこの足の速さだけ、チャンスを見て飛び出して、一息に走り抜けたら大丈夫だろう。
 震えてる場合じゃない。
 ………昔のこと、想い出してる場合じゃ、ない。
 言うことを聞きそうにない足を、がちがちのげんこつで叩きながら、気ばかり焦って。
 「なぁ〜あの辺の茂みとかアヤシくね?」
 早く、早く!!
 「いくらあのチビの足が早くても、そう遠くには行けねーよな」
 動け、足!!
 「お母さぁん、何処ぉ?ボク達寂しいでちゅーなんてな」

 俺は、俺はもう、2度と絶対に負けられないんだ…!!

 
 「此所で何してんのー?お前ら確か、バレー部のボール拾い専門じゃね?3人で固まってさー重大なルール違反じゃーん!それともまさかの3P?!あっはっは、マジ勘弁!!お前らキレーじゃないから無理無理!イチャつくんなら場所選んでねー?少なくとも俺の通り道は止めてくれるー…?」


 想うように動かない身体に愕然としていたら、俄に聞こえて来た声。
 目が丸くなるのがわかった。
 この声って。
 「っバスケ部の音成…!」
 「何でここに…」
 「お前がどうしてこんな所まで、」
 「やれやれー、口を慎んでくれないかなー?お前ら如きに馴れ馴れしく呼ばれる謂れはねーっつーの。何の実績もないクセにデカいツラしてんじゃねーよー。此所がどういう世界なのかって、持ち上がって来たなら十分わかってんじゃねーの。なー?」
 音成さん?!
 
 「俺の親衛隊から聞いてさーこっちに変なの複数居て危ないから気をつけてーって、かわいー親衛隊に言われたら放っとけないじゃん。実害出る前に『処理』しとこうと想ってねーさてどーする?身の程弁えずに正面から向かって来る?俺に対して何かしら動いてみる?俺は何でもいーけど、時間かかんのだけは無しな!クラス賞狙ってるからさー先輩方からも口うるさく言われてるし、な?」
 声も、話し方も、音成さんそのものだけれど。
 完全に竦み上がってしまって、顔を上げることもできない。
 だからか、違和感を感じるのは。

 この声は、ほんとうに音成さんなのだろうか。
 いつも爽やかな笑顔の絶えない、そんな明るい気配が感じられないのはどうして?



 2011-08-08 23:56筆


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