74.宮成 朝広
素直な気持ちを、ありのまま告げる事。
それが、凌と話がしたいと言った俺に、温室を貸し出す代わりとして柾から提示された条件だった。
素直な気持ちを、ありのまま。
1番、言いたかった事は、何か。
前から教わった事でもある。
いつ会っても誠実で、温かい感情を現す事に長けている前。
『ありがとうございます』
『嬉しいです』
『すみません』………
言葉と同じく雄弁な表情と、心の隠った数々の言葉、どうしていつもそう在れるのか、何気なく聞いた事があった。
即答が返って来た。
『後悔したくないから、です』
言葉や感情のやりとりは、その場その場で自在に変化して行く。
瞬く間に今この瞬間は、過去になって行く。
目まぐるしく未来が生まれる。
だから、相手も自分も想いが新しい内に、すぐに言葉へ込めるのだと。
素直に気持ちを表すのだと。
またいつ会えるか、確実な日々など存在しない、未来はわからない。
次の瞬間、永遠に会えなくなるかも知れない。
また今度で良い、また想い出したらで良い、そうして先送りして、後悔したくない。
そうして失敗した事もある。
余計にこんがらがった事もある。
会う人すべてに受け入れられる訳じゃない。
人の数だけ、様々な想いが在り、姿勢が在り、特別な物語が在る。
何でもかんでも手当たり次第、想った事すべてを口にする訳じゃない、それは弁えておかなければならない。
けれど、言わないまま後悔するより、失敗した方が良い。
特に、感謝の気持ちは、伝えたいのだと。
あなたに会えて嬉しい、良かった。
それだけは、いつも伝えたいと、真摯な眼差しで言っていた。
らしくないのはわかっている。
いや、「俺らしい」とは何だろうか。
気持ちを偽り、外面だけ大層着飾って、本来の自分を見失っている事にも見て見ぬフリをして。
皆、そうじゃないかと。
この学園に集う奴等の、誰が一体、清廉潔白なのだ。
そうやって卑屈に生きて来た、これからもそう簡単に変わりはしないだろう。
でも、凌には嘘を吐きたくない。
俺は、凌に詫びてすらいない。
一心に謝る事を考えて来た。
この学園の未来の為にも、未熟な俺が何故か会長職を任されていた、その責を果たす為にも、けじめを付けようと。
凌が来た途端、その最後の建前は決壊した。
遠目で見掛ける度に不安を覚えていた、現実となって目の前で見たら、もうどんな言い訳も通用しない。
痩せていた。
疲労の色が濃かった。
毅然としては居たが、以前よりずっと華奢になって、酷くか弱く見えた。
迫っている新歓関連も関係しているだろう。
問題の転校生の所為でもあるだろう。
俺の油断が招いた、前とのゴシップも、凌の疲れを増幅させただろう。
渡久山の家で何かあったかも知れない。
理由は如何様にも考えられる。
だから、俺の所為じゃない、とも言い切れない。
俺のありのままの、今できる限り精一杯の、情けない言葉の数々は、凌の限界まで張り詰められた緊張を揺さぶってしまったのか。
俺の前で、泣きたく等ないだろう。
凌のプライドの高さは知ってる。
(そんな所も好きだった)
(それをからかって、最後は優しくして、そんな風にじゃれ合うのが好きだった)
泣かせたくなかった。
そんな勝手な想いが、我知らず腕を伸ばさせた。
この身に余る不自然な細さが、哀しく、口惜しかった。
俺じゃない。
俺の腕はもう、凌を守れない。
凌の腕が、情けない背中へ回る事はもう2度とない。
互いの鼓動を感じたら、安堵する事に変わりはないが。
強く閉じ込めれば、一緒に生きているこの時間は、永遠のものだと錯覚する事ができた。
今はただ、もう本当に終わりなのだと、心の底から実感した。
「ごめん」と、謝り続けた。
許されたい訳じゃない。
俺は、俺が本当に、凌に伝えたい気持ちは………
今更決して言ってはならない、言った所でどんな明るい未来も広がりようがない言葉を、謝罪に代え続けた。
嘘じゃなくて、伝わらなくても良いから、想いを託した。
気がつけば、凌は柔らかく微笑って、俺が先に言いたかった事、「食事と睡眠」の注意を促してから、部屋を出て行く所だった。
細い背中が、凛と背を伸ばして、在るべき場所へ帰って行く。
引き止めたい。
手を伸ばして、手を掴んで。
この腕の中へ。
滅多な事では驚かない、冷静なお前はきっと、僅かに目を見張るだろう。
でも何時だって、横暴な俺を許し、仕方がないなと微笑ってくれた。
浅ましい夢、過去への幻想。
永遠に戻れない。
それに、何度繰り返しても、凌も俺も同じ結末を選ぶ。
どんなに想っていても、愛していても、結末は変わらない。
頬を一筋、淡々と伝って行く涙は、熱を孕んでいる様に熱く感じた。
これで、終わりだ。
まだ温もりが残っている、無力な手の平を見つめた。
「……凌……ごめん……」
好きだった。
愛していた。
本当に、大事に想っていた。
かけがえのない人だった。
まだ熱く頬に残る水分を振り払って、顔を上げた。
強くなる。
手前勝手に選んだ道を、全うしてみせる。
貰った温かい日々を糧に、前進してみせるから。
お前の幸せを願う事を、今だけ、許して欲しい。
2011-06-15 23:59筆[ 329/761 ][*prev] [next#]
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