72.渡久山 凌
「急に呼び出してごめん…来てくれて嬉しい。ありがとう…」
「………宮成先輩…」
これは、誰?
俺の目の前で殊勝な言葉を紡ぎ、切なく微笑っているこの人は、誰。
強気で自信家で、プライドが高かった。
(だけど、優しい所もいっぱい知ってる)
ごめん、とか、ありがとう、とか、聞いた事がない訳じゃない。
眉を下げ、伏し目がちの表情、見た事がない訳じゃない。
余程の事が無い限り、こんな宮成先輩を見た事がないだけ。
今がその、「余程の事」なんだろうか。
いや、俺はこの学園で、こんな風に素直に気持ちを告げられる人を、2人だけ知っている。
宮成先輩は、間違いなく、前君と接触しているんだ…
わかっていた事実の確認に、何故か、軽い目眩を覚えた。
勿論、宮成先輩の前で動揺する訳には行かない。
そんな為にわざわざ、何かの罠かも知れないのに、抜け出して来たんじゃない。
俺は此所に、やがては風紀委員を預かる風紀副委員長、現・3大勢力の代表としてやって来た。
天使バルサンの出現に揺れる陰で、目立たないながら学園に波紋を起こしている、元・生徒会長の意向を窺う為に。
「…ご用件は何でしょうか。ご存知の通り学園は今、かつてない混乱の直中に在ります。生憎余り時間が取れませんので、急いで頂けたら助かります」
努めて事務的に言うと、宮成先輩の瞳の奥が揺れ、目が細められた。
自嘲の様な笑みを刻む唇。
どこか切なく見える表情に、平静を削がれそうで、不自然にならない様に視線を逸らした。
やはり、昴に付いて来て貰えば良かっただろうか…
日和佐先輩にメールが来た事を告げた時、昴を伴って行く事を勧められた。
そんな悠長な事態じゃない、誰より昴が1番多忙だからと、やんわり断ってしまった。
少し後悔している。
「わかってる…忙しい中、個人的な感情で呼び出して悪かった…」
個人的な、感情…?
警戒心がもたげ、僅かに後ずさり身構えた俺に、宮成先輩は微笑ってみせて。
「俺が、悪かった…凌の話を聞こうともせず、一方的に酷い言い方で別れを切り出して…今更だけど、すげぇ後悔してる。凌の事を考えなかった日はない…許してくれとは言わない、ただ、謝らせて欲しい。本当に、ごめん…!」
土下座しそうな勢いで、深く深く、俺の前で腰を折り、頭を下げる宮成先輩。
夕陽が、「獅子」と称えられた由来の髪に当たり、オレンジ色に輝いている。
この人は、今何を言った?
何をしている?
起き上がらない、いつもは高い位置にある頭を呆然と見つめたまま、この場から立ち去る事もできなくて。
震え出す唇で、かろうじて当然の疑問を導き出した。
「何を、考えて…?どうして、今この時に、そんな過去の話を…?」
もう過ぎ去り、終わった事なのに。
宮成先輩自身が蒸し返したくない、嫌な過去だろうに。
暫く微動だにしなかった態勢から、そろそろと顔を上げた宮成先輩の瞳は、濡れた様に光を宿していた。
「このまま、卒業したくなかったから…凌にちゃんと謝りたかった。最後まで自分勝手で、ごめん…」
何故…?
「……ほ、んとう、自分勝手だ…」
「ああ、よく知ってる」
「…いつだって、自分の我欲ばっかり通して…」
「ああ、そうだったな…今もそうだ…」
「ちゃんと、話してくれた事なんか、ない…」
嘘。
「ああ、凌の前ではカッコつけて居たかったんだ…それがどれだけカッコ悪い事か、わかってなかった…」
嘘、だ。
朝広は、だって、ちゃんと、俺を見てくれていた。
いつも真っ直ぐ俺を見て、笑ってくれた。
いずれ家を継がなければならない、朝広と俺…本人達だけじゃない、周囲にも知れている現実。
その現実から、ずっと目を逸らして、勝手な夢を見続けていたのは俺だ。
朝広は今年から、いや以前から…高等部に上がった頃からいつも、俺に話したい事があるっていう表情をしていた。
それを避けたのは、俺だ。
話さない様に仕向けていたのは、俺。
聞きたくないんだと言外に制した、朝広の口を閉じていたのは俺なのに。
気がつけば、温かく、懐かしい匂いと体温の中。
強く、強く抱き締められ、互いの鼓動を感じていた。
今この瞬間、朝広も俺も、同じ空間でちゃんと生きている。
生きているのだと、実感すればする程、頬を濡らす熱いものが途切れなかった。
わざと、だ。
まるで朝広が触れたかったみたいに、俺を抱き締めているけれど。
泣いている事を見ていないフリする為に、俺にあまり自覚させない為に、急に腕を伸ばして、隠してくれた。
わかる。
ほら、今も朝広は優しい。
ずっと、俺にとって何よりも優しい存在だった。
この優しい人の背中に、腕は回せない。
この人の負担に、なりたくない。
だから、されるがまま、腕は動かさなかった。
…いや、片方の指先だけひっそりと、朝広のシャツに未練がましく触れていた。
今だけ、ほんの少しの今だけだから、どうか許して。
未だに甘えて寄り掛かってしまう、愚かな子供の俺を許して。
[ 327/761 ][*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]
- 戻る -
- 表紙へ戻る -