39.狼ちゃん VS お母さん…?


 低く唸るような声が聞こえたと想ったら、いつの間に来られたのか、いちじくさんを庇うように美山さんが立っていた。
 見たことのない険しいお顔、睨むように向けられた視線に、俺は呆然とするしかなかった。

 美山さんが、とても怒っている。

 「てめーに穂のナニがわかるんだよ…?」
 見下ろされて、出過ぎたことをしてしまったと自覚が深まったけれど、俺に後悔はない。
 「ミ、ミキっ…オレっ」
 「穂は黙ってろ。お前は何も悪くねー」
 いちじくさんと美山さんは知り合いだったのだろうか。
 既に親しいご様子だ。
 おろおろと美山さんの制服の袖を引っ張ったいちじくさんに、美山さんは表情を和らげている。
 再び俺に視線を戻した時には、先程よりもずっと冷たい、怒りに燃えた瞳に変わっていたけれど。

 「知った風なクチ聞きやがって…何様だ…?人を好きになる事が素晴らしい…?てめーにナニがわかるんだ?誰にでも彼にでもイイ顔して『お母さん』だの何だの、善人ぶりてーだけじゃねーのかよ…!穂に説教かましてイイ気になってんじゃねーぞコラ」
 「いい気になってなどおりません。善人ぶっているつもりもありません。俺はただ、大切な人たちの恋愛観を尊重したい…いちじくさんが発言されたことは、ここでは火種になりかねません。大切な人たちや、いちじくさん自身がすこしでも平穏な学校生活を送れますように、お願いしただけです。ですが、言葉に気をつけたつもりでしたが、俺の発言でいちじくさんや美山さん、クラスの皆さんを不快にさせてしまったなら、誠に申し訳ありません。心からお詫び申し上げます。しかしながら撤回しません」
 「てめー…!」
 「ミキっ!」

 胸倉を掴まれそうになった。
 美山さんは、本気だ。
 いちじくさんが止めようとしていたけれど、間に合わないと、俺はどこか冷静だった。
 美山さんの瞳を逸らさず、見つめる。
 本気で怒っている、その瞳の奥に、なぜか弱い揺らめきが見えたような……
 びゅっと拳が空を切る音がして。
 武士道のやんちゃタイムに聞こえる音と、同じだなあとか、のんきに想いながら。
 さすがに目を閉じないと危ないかもと、ぎゅっと目を閉じた。

 鋭い風が目前まで迫って来たのを感じた――…… 
 けれども、衝撃はいつまで経っても訪れなかった。

 「はい!そこまでー」
 にっこり、にこにこにこ。
 目を開けたら、音成さんがすぐ側にいて、鼻歌でも歌い出しそうに明るい口調で話し、笑っておられた。
 よくよく見たら、俺へギリギリまで迫っていた美山さんの拳を、片手で止めてくださっている。
 余裕の表情で、にこにこと屈託なく。
 えっ?!
 音成さん?!
 誰もが空いた口が塞がらない状況の中、音成さんはおもむろに美山さんの拳を押し返して、にこにこ。

 「おー痛ってえー美山、流石なー!」
 ぶんぶんと受け止めていた手を、大げさな程に振った。
 目を見張っている美山さんに、ふと、笑顔のまま近づき、呟いた一言が俺にまで聞こえた。
 「お前さ、ちょっと頭冷やせ」
 見る間に眉間に深いシワが刻まれ、ちいさく舌打ちし、音成さんにぶつかるように踵を返した美山さんの後を、いちじくさんがこちらと交互に見やりながら、おろおろと追う。
 音成さんは変わらず、にこにこ笑っている。

 「あははー!なーんか激しい幕開けの1日になったなー!つか前、『だす』って…!あの状況で『だす』って…!俺、誰も笑わないからどうしようかと思ったぜー!1人で笑い堪えて大変だったー」
 「う……あ、あれはですね、わざとじゃないんですよ…?」
 「マージでー?!ネタじゃねーの?!ただのミス?!」
 「……人は誰しも完璧じゃありませんよ、ね…不完全なところがあるから、人間ってかわいいんですよ、ね…」
 「あははーそりゃ言えてるけどー!あ、でも俺1人知ってるぜー。ウチの現生徒会長サマは超完璧じゃね?」
 そうですねー面白がりの笑い上戸で人を小馬鹿になさる素晴らしい性格の持ち主さまのようですがーと、ひくっと頬が動いたところで、手を叩く音が聞こえた。

 「俺の愛するA組の子猫ちゃん共〜もーいーかーい?いい加減にしやがれー始業から何分経ったと想ってやがる?」

 わぁ!!
 教室の前方、扉の前に気怠そうにもたれて立っておられる業田先生。
 時計を見て、卒倒しそうになった。
 本鈴が鳴ったことにまったく気づけなかった…!!
 大変だ、2限が始まってからもう10分以上経過しているじゃありませんか。
 クラス中、慌てて動き始めて、皆さん席に着かれた。
 わたわたと俺も着席しながら、どうお詫び申し上げていいものやらと業田先生に視線を合わせ、腰を浮かしかけた。
 業田先生は、すぐに視線を返してくれて、にやっと笑った。
 それから、シーと人指し指を唇に近づけ、静かな表情で首を振られた。

 何も言うな、ということだろうか…
 そのまま黙って座っているようにとばかりに、顎で示され、俺は非常に恐縮しながら席に着くしかなかった。
 「あれー?つか、2限ってゴーちゃんの現国だっけー?」
 すこし落ち着きを取り戻した教室内、音成さんの疑問が響いた。
 「ノーノー!しかし俺が来た事に感謝しろよ、てめーら。予定通り、数学の細井先生だったら、本鈴鳴っても着席してない事で全員、地獄の説教部屋行きだったんだからな…?」
 なんと、そうでした…!
 火曜日2限は、どの教科の先生よりも厳格な、細井先生の数学だったんでした。
 業田先生はニヤリとニヒルに笑い、黒板に大きく「自習」と書いた。

 「はい、皆さぁん!細井先生が急な出張に行かれたのでぇ、自習でぇす!しかし教育熱心な細井先生、皆さんがサボる事なく勉学に励む様にと、課題プリントを用意して下さいましたぁ!この課題プリント、出来はとにかくきちんと隅々まで解答を埋め、この時間中に提出しないとなりませんよぉ!然もなくば、地獄の補講&期末試験ペナルティ、例え提出したとしても自習態度がよろしくなかった様だと、プリントの解答内容から判断された場合は、諸君が大好きで大切で心待ちにしている夏休みが、数学で潰れる可能性がありまぁす!誰もこのクソ暑い山ん中で夏休みを過ごしたくないよね?わかったらぁ、さっさとやりなさぁい!先生、教卓で昼寝しながら見守ってるからネ!」
 

 その後、1年A組教室内は一切無言。
 誰もが真剣にプリントへ立ち向かい、黙々と鬼気迫る形相でペンを走らせ続ける音が響いたそうな。



 2011-04-11 23:59筆


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