26.孤独な狼ちゃんの心の中(6)
灯りの点いてない暗い部屋なんか。
高等部に上がって、初めてだ。
朝出たまま、変化のない、がらんとした部屋。
中等部の頃からずっと、これが普通だった。
いや、元々俺は寮部屋なんかに居着かない。
俺の想うままにヤラせてくれる、そこらの適当な…名前も知らないヤツの部屋を転々としたり、下界に下りたり、何処かで時間を潰すのが日常だった。
たまに必要な荷物を取りに来る場所、俺にとって寮部屋は、安全な荷物置き専用の倉庫に等しかった。
同室者とは滅多に顔を合わせない、それが当たり前。
それで良かったのに。
今、当然居るだろうと想って開けた扉の中、以前と同じ、寮部屋に漂う寒々しい気配に、どうして俺は…
急激に頭に血が昇って、玄関に据え付けられたキャビネットを蹴り付けた。
鈍い音が響いた。
刺々しい気分は治まらず、更に何度か蹴り付けて、丈夫な造りのキャビネットがへこんだ事に、幾分気が晴れるかと想ったら。
『美山さん、いけません!』
そんな空耳が聞こえて、はっと周りを見渡した。
どうかしてる。
アイツは部屋に居ないって、たった今認識したばっかりなのに。
舌打ちしながら、イライラと部屋に上がった。
照明を点けても、状況は何も変わらない。
アイツの部屋へ続く扉は、ぴくりとも動かず、静寂を保っている。
『おかえりなさい、美山さん!』
今にも騒がしく扉が開いて、いつものヘラヘラした締まりない笑顔で出迎えてくれるのではないか。
暫く睨み続けたが、無意味な数秒が流れただけだった。
益々ムカついた。
リビングのテーブルの上も、空だ。
何かあったら、ここにいつもメモと何かしらの食い物が置いてある。
テーブルの上は朝、俺が片付けたまま、ゴミすら落ちていなかった。
風呂場からも物音1つ聞こえない。
人の気配が、何処にもない。
無音の空間に白々しく存在するソファーへ、乱暴に腰かけて、制服を脱ぎ散らかした。
『美山さん!外から帰って来たら、手洗いうがい!制服は大切に仕舞うこと!』
「うるせー…ウゼェ…」
少し動くだけで、聞こえて来る空耳。
空耳相手なら、強く出られる。
聞こえなかったフリして、スルー出来る。
実物相手にこうは行かない。
お前が居ないのが悪い。
俺の行動に不満があるなら、お前がちゃんと俺の側に居て見張ってれば良い…って、俺は何を考えている?
どうかしてる。
アイツがこの部屋に居ない。
今朝からずっと、まともに喋ってねー、顔も見てねー。
朝っぱらから急用が出来ただので、俺が起きた時にはもう居なかった。
テーブルに残されていた、走り書きのメモと冷えた朝メシ。
先ずこういう今朝のスタートから不愉快だった。
試験がやっと終わったってのに、この上まだ何に縛られる必要がある?
登校したら呑気なツラに会えたが、学校ではアイツにそうそう近付けない。
弁当シフトが解禁だ、試験が終わったとかで、クラスの連中もずっとアイツに引っ付いてた。
ろくな会話も成り立たないまま、すぐに放課後になって、なったらなったで外には仁サンと一成サンが待ち受けていた。
左右からがっちり挟まれて、武士道の本拠地だか何処だかへ去って行く、小柄な後ろ姿。
そうしながらあちこちから声を掛けられて、いちいち丁寧に挨拶し返している、律儀な横顔が遠くなって行く様を、今もはっきり想い出せる。
妙に落ち着かなくて、今日は野暮用を早目に切り上げ、帰って来たらこの始末。
アイツが、何処にも居ない。
この虚しさは、何だ?
ぼけっとしていたら、不意に玄関から物音が聞こえた。
ガサガサとビニール袋が音を立てる音、ため息、そして、アイツの足音。
「あれっ…明るい…あ、美山さん!帰ってらしたんですかーおかえりなさいでした!」
急に暖かくなった空間、照明の加減は変えていないのに、明るさまで増した。
「おかえりなさいでした」?
ここはお前が「ただいま」を言う所じゃねーのか。
たまに妙な事を言う、頬が引き攣りそうになって気合いを入れながら、何と言って迎えるものかと考えようとした。
「あっれ〜ミキティ〜おかえりちゃん」
「赤狼ぃ?珍しいのなーこんな時間に居んの」
考える必要が一切無くなって、正直、ほっとした。
立ち上がって、脱ぎ散らかしたブレザーを引っ掴んで部屋を出る。
「え…美山さん…?」
「帰って来たんじゃねー、ちょっと休憩してただけだ。今から出る」
「え、あの…今からお出かけですか…?ごはん、よかったら皆で」
「要らねー。俺の事は放っとけ」
「美山さ、」
「放っとけっつってんだろ?!」
俺の目の前で、ちいさな肩がびくりと震えて、いつも変に輝いている瞳が、ただ見開かれて行くのを直視出来なかった。
「ちょー待てやコラ、てめぇ誰に向かってんな口聞いてんだ?あ?」
「……美山、てめぇ…」
近頃、不気味な程に穏やかな雰囲気を醸し出していた仁サンと一成サンが、「いつも通り」変貌するよりも、前の驚いた表情の方が余程怖かった。
「失礼します、急ぐんで」
誰にもそれ以上、何を言わせる事もなく聞く耳も持たず、逃げる様に勢いよく扉を閉めた。
いや、逃げた。
何から?
俺は何に対して、こうもビビってる?
「……どうかしてる…」
アイツに関わると、ろくな事にならない。
俺のイヤな予感はいつも当たる。
当分、アイツと会いたくない…
らしくねー事をするから、こんな事になるんだ。
いい加減、潮時だ。
俺のペースを、日常を取り戻す為に、アイツから距離を置こうと決め、当てもなく歩き始めた。
2011-03-25 23:44筆[ 281/761 ][*prev] [next#]
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