83.風紀委員長の風紀日誌―前陽大考察―


 本日4月17日水曜日、曇天後晴天也、雨の予報外れる。

 山の天気は変わり易い。
 新学期開始と同時に慌ただしかった先週と打って変わり、今週に入ってから平和が続いている。
 掲示板には学園通信が貼り出されているのみ、新聞報道部は忙中閑有りか。
 無論、風紀委員として気は抜けんが、平穏な日々は悪くない。 
 月曜日は自クラスで、火曜日は武士道と、柾が決めた前陽大の「弁当シフト」なるものは無事にスタートを切り稼動している。
 水曜日、週の真ん中は我々風紀委員のものだ。

 委員会棟の最上階、風紀委員室に部外者を招くのはやぶさかではないが、前陽大の将来性には誰もが一目置かざるを得ない、風紀委員達も既に了承の上だ。
 凌と補佐達の案内でやって来た前陽大は、物珍しそうに室内を見渡していた。
 かと想えば、弁当なる包みをテーブルに置くなり、「あの…あのっ、日和佐先輩、探検してもi
いですかっ?!」と…あろう事かこの俺に向かって、クンちゃんそっくりのキラッキラした黒くつぶらな、初めての散歩に好奇心一杯といった様子の濡れた瞳で、ワフワフと飛び掛かって来たではないか…!
 ああ、クンちゃん…!

 委員達が同席している手前、目眩を覚えながらも表面上は冷静を保ち、探検なるものの意味が不明瞭のまま、好きにすれば良いと告げた。
 途端、前陽大は春の芽吹き新しい草原を駆け回る、クンちゃんの如き心の底から愉快で堪らないといった表情で、辺りを忙しなく歩き始めた。

 「おぉー!最新のデスクトップが何台も…!かっちょいいなぁ…いーなぁ、Macもある〜…」
 「清潔!って感じのお部屋だなぁ、やっぱり決め手はこのまっ白なカーテンと壁と天井と床?家具は黒で統一!シンプル!潔いなぁ」
 「でも日当りがいいから、クール過ぎる印象もないし…緑の植物が多いと印象がやわらかくなるし…」

 「というか高〜いっ!1階1階が高いから、5階建てでも高いんだねぇ…見晴らしいいなぁ!気持ちいいっ」
 「わー、でも建物より高い木がすぐ側に…ほんとうに木が多い学校だなぁ、木登りしたい…」
 「おお…こちらの簡易キッチンも素晴らしいですなぁ。ガラストップコンロですか、ふむふむ。2口あったら十分料理できるし…あったかいお弁当もいいよねぇ」

 キラッキラした瞳で、あちらこちらを観察し、ふむふむ頷いたりぶつぶつ宣ったり、ころころと表情を変える前陽大の様子を、委員達はおろおろと見守っている。
 凌だけはにこにこと、日頃の冷徹さなど何処へやら。
 窓から身を乗り出した時は、全員で慌て、落ちない様にと周りを囲っていた。
 俺は、固まっていた。
 固まっている事しか出来なかった。

 クンちゃん…
 クンちゃんクンちゃんクンちゃん。
 君を失ってから、俺はどれだけ悔悟の念に駆られ、どれだけ孤独を感じた事だろうか。
 十八学園で此所まで上がって来た、課せられた職務がある、「仲間」も居る、為さねばならぬ事はオンオフ共山程ある。
 けれど何処か満たされないのは、君を幸せにしてあげられなかったから。
 目を背けて来ただけで、捨てる事も忘れる事もなかった想い。
 それがどうか。
 目の前でちょこまかと活き活き動き回る前陽大は、クンちゃんそのものの様で、これは一体どういう天啓なのか。

 「日和佐先輩、渡久山先輩、風紀委員さんの皆さま、どうもありがとうございました!素敵なお部屋を拝見できて嬉しいですー!お待たせしてすみませんでした。お昼ごはんにしましょうか」
 屈託のない無邪気な瞳が、俺を真っ直ぐに見つめて礼を言った。
 次の瞬間には、テキパキと弁当を広げ始めている。
 広げられた弁当に、委員達の喉が鳴ったのがわかった。

 「委員長…?どう為さいました?」
 凌が目敏く俺の異変を察知し、気遣わしく声を掛けて来た。
 「……あぁ、大丈夫だ。食事にしよう」
 「はい…」
 首を振って、まだ心配そうな凌の肩を軽く叩いて、我々もテーブルへ近寄った。
 重箱の中はぎっしりと彩りの良い料理が詰められ、然程でもなかったのに急に胃が空腹を訴え始めた。

 「たくさん召し上がれ!」

 委員の真ん中で大らかに笑う前陽大の表情は、今度はクンちゃんには見えなかった。
 だが、俺は…
 俺はこの、笑顔の絶えないちいさな生き物を、学園の不穏な影から守ってやらねばなるまい。
 それがクンちゃんを守れなかった俺が出来る、せめてもの罪滅ぼしだろう。
 前陽大の音頭で律儀に手を合わせ、皆で食べた弁当は、冷めている筈なのに、温かく感じた。



 2011-02-08 10:37筆


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