74.桜は、必ず散るけれど


 どうしたらいいのか、まったくわからなくて、荷物を胸に抱えて木陰に身を潜めた。
 渡久山先輩たちの談笑されている声が、かすかに聞こえてくる。
 リラックスしたご様子で、休日のお散歩を静かに楽しんでいらっしゃるのが伝わってくる。
 穏やかな土曜日のお昼。
 この辺りの桜は大方散ってしまっているけれど、覗き始めた鮮やかな新緑に混じって、ところどころに数えられるほど咲いている。

 優しい春風が、ふんわり吹いた。

 俺の頬を撫で、宮成先輩の髪を揺らし、渡久山先輩たちのシャツの裾もひらめかせて、どこへともなく通り抜けて行った。
 渡久山先輩たちは、何も気づかない。
 皆さまの時間を、大切に満喫されておられる。
 はらりと、羽のように軽やかに舞う、桜色の花びら幾片かにも気づかない。
 大気を泳ぐ、母体から束の間自由になった花びら。 

 渡久山先輩と、宮成先輩の間を、はらはらと遮る桜色。

 宮成先輩は、微動だにされなかった。
 彫像のように、しんと静謐だった。
 いっそ無機質なお姿、けれど、生きておられる証は、硬い佇まいとは逆に在る、仕草より言葉より何よりも雄弁な、表情。
 遠い、遠い、眼差し。
 すこし眉間に皺を寄せ、眩しいものを見るように細められた瞳には、得も知れない切ない色が窺えた。
 硬く引き結ばれた唇、血管が浮くほど強く握り締められた手。
 見たくない、見ていられないのに、どうしようもないのだと、真摯に追う眼差しの先には、渡久山先輩しかいなかった。

 さあっと、水が流れる音が聞こえた、と想ったら、風が木々を揺らす音で。

 さっきよりずっと強い風が、たくさんの花びらを泳がせた。
 
 花びらが、視界を閉ざす。

 道を閉ざす。

 この先へ続く道はないのだと、桜色の霧が世界を隔てるようで。

 足取り軽く去って行かれる、渡久山先輩たち。
 ずいぶんちいさくなるまで、宮成先輩はそのまま、立ち尽くしておられた。
 ふと、握り締めた拳に、花びらがついていることに気づき、一瞬、宮成先輩の気配が険しく強張った。
 が、片方の手で花びらを取り、指先で摘んだそれを目の高さに掲げた。
 僅かに緩んだ口元は、自嘲の形に見えた。
 
 先輩が花びらを見つめたのは、ほんの数瞬のこと、ぴんと指で弾かれた桜色は、ひらひらと空を舞って若草色の地面に落ちた。

 いつの間にか、ぎゅうっと抱き潰していた紙袋。
 中に入った、固いタッパーの存在に甘えるように、知らず力をこめていた。
 胸がちくりと痛むのは、気の所為だ。
 俺はだって、何も知らない。
 知らないくせに、勝手に、感情移入して痛いとか、そんなことは許されない。
 俺は、先輩たちの幼馴染みさんでもなければ、友人でも関係者でもないのだから。
 ああ、だから、いちばん大事なことは、この場をそうっと離れること。
 なんにも見なかった、なんにも知らない、誰にも会わなかった。
 だって、武士道の皆が待ってるのに。

 どうして、俺の足は動かない?

 軽く息を吐かれた宮成先輩は、そのまままっすぐ、前方へ向かって歩かれるのかと想っていた。
 いや、そうだったらいいのにと期待していた。
 現実はそうそう上手くいかないものだ。
 悪い予感ほど、当たってしまうものなのだ。
 案の定、宮成先輩はくるりと振り返って、数歩踏み出し、かちかちに固まっている俺の存在に気づいた。
 面識のない、先輩。
 だけど、先輩は柾先輩の前の生徒会長さまで、引き継ぎ挨拶をなさったその日に「喧嘩道」勃発、学校中に号外が飛び、時の人となった御方。
 知らぬ存ぜぬで通せる相手ではない。
 
 相応の、後輩らしい挨拶をして、礼儀正しく辞去するべきだ。
 それなのに。
 「……お前…?」
 怪訝そうに、俺や俺の荷物を眺める先輩の表情は、「さっきまで誰も居なかったのに、コイツ急に降って湧いて出た?」と言いた気だった。
 顔を顰めて何か言いかけて止め、首を捻っておられる宮成先輩。 
 長袖Tシャツとジーンズに、スポーツバッグを背負った、ラフなスタイル。

 袖口から覗く肌は、春先とはいえまだ肌寒いからか、鳥肌が立っているようだった。
 掠れたお声、まだ哀しい色を宿したままの瞳。
 いつから、ここにいらっしゃったんですか…? 
 どうして、微動だにできなかったんですか…?
 違う道を選んで、遠ざける間もなかったんですか。
 宮成先輩のこと、なんにも知らないけれど。

 どうして、あんなにも哀しそうなお顔で、渡久山先輩を見ていらっしゃったんですか。

 「お前、確か…外部生の前陽大か…?って、はぁ?!」

 何故だか、宮成先輩が俺の名前を口にされてすぐ、さっき見た、ゆるやかに舞う桜色が目に浮かんだと想ったら。
 春先の雪解けより脆い俺の涙腺は崩壊していた。



 2011-01-22 22:28筆


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