46.凌のココロの処方箋(2)
放課後、風紀委員室へ向かう前にふと思いつき、通行の妨げにならない廊下の端…但し、不測の事態が起こらない様に視界の明るい場所…で足を止め、実家へ電話をかけた。
程なくつい先日まで側に控えていてくれた、爺の声が聞こえた。
『凌様…!どう為さいました?健康不安ですか?体調不良ですか?それとも心身耗弱ですか?!爺は爺は…遠く離れた爺に出来る事は何ぞありましょうか…!』
幼い頃から変わらない心配性な爺、でもそれは職務上の義務だけではない、優しい心根からくるものだと知っているから、想わず笑みが零れそうになった。
けれど此所は廊下だ。
まして俺は、昨日の1件から注目されている。
自室に戻ってからにすれば良かったと、後悔がよぎった。
迂闊だと、委員長に知られたら怒られるかも知れない。
「爺、大丈夫、俺は元気だよ」
『左様で御座いますか…?なれば何か心労、若しくは神経衰弱、若しくは悩み事でしょうか?!凌様が爺の居ない所で…爺の目の届かない所で…何てお労しい!ああ、爺は年を取ってしまいあまりに無力です…!』
あながち外れていないだけに、実は…と打ち明けてしまいそうになったが、咳払いでごまかした。
事の経過を知られてしまったら、間違いなく卒倒してしまうだろう。
元気で若々しい、生涯現役です!と宣言している爺だけれど、還暦前の心身を無闇に刺激する様な真似はしたくない。
朝広の事は、墓場まで持って行かなくては。
「そういう用件で電話したんじゃありません。それに爺が無力だなんてとんでもない。いつも頼りにしているのだから、気弱な事を言わないで。俺は大丈夫、新学期も平穏に始まったよ」
『左様で御座いますか…?本当にいつも頼りにして下さって居りますか…?』
「俺が今まで爺に頼らなかった事がある?」
『……風紀委員会に関わり始めた頃から、凌様はすっかり大人に成られて、爺はとても誇らしい反面、何か心に隙間風がピューピューとこう……』
「爺、俺だってもう高校2年生なんだから、それなりに成長はしています。でも、爺が居てくれるから、爺がいろいろ教えてくれたから、しっかりしなくちゃと想っているんだよ。まだまだ成長途中だし、爺の存在が必要なんだから、そんな事言わないで」
『……凌様……!有り難きお言葉に爺は…爺は……いやはや、申し訳ありません。新学期早々凌様からお電話がある等、滅多な事ではありませんから何事かと動転してしまいました』
この立ち直りの早さ、展開の早さが、爺の長所だと想う。
「そうだね、急に電話してごめんね」
『……それは構いませんが凌様、何時になくストレートな物言いを為さいますな。何か心境の変化でも御座いましたか?たおやかに素直に気高く、強きを挫き弱きを助ける人の中の人、渡久山家に凌様在り…といったお坊っちゃまにお育て申し上げた自負が爺にはありますが、それにしても先程から温かみあるお言葉の数々……』
大仰な物言いに内心苦笑しながら、そうだねと息を吐いた。
「素直で親切で優しい…とても大らかな質の後輩が入学して来たんだ。彼と接していると、温かい気持ちになる。彼の影響かも知れない」
『ほう…凌様が賞賛なさるとは、これまたお珍しい…素晴らしい人物の様ですな』
「うん。先輩とか後輩とか、どうでも良くなる。今まで拘って来た些細な事が、彼の前では簡単に解けてしまう…とても礼儀正しい良い子だから、爺も気に入ると想うよ」
『ほーう…それは是非お目に掛かりたいものです。長期休暇の際にお連れ頂ければ、爺は張り切って心からおもてなしさせて頂きますぞ!』
前君を実家へ…?
そうだな、そんな休みの過ごし方も良いかも知れない。
友人が多そうな前君を、俺が独占する暇は中々ないだろうけれど。
学校でだって、彼個人とゆっくり話す機会など、そうそう持てそうにない。
だからこそ、風紀委員に加入して欲しい一因でもある。
「爺にもてなして貰う前に…彼、料理が趣味でね、俺もご馳走して貰ったんだ」
『何と…!何と酔狂な…!十八学園で料理…!何とハイカラな、今時珍しい感心な若者…!』
「そうなんだ。それでね、手製のお菓子を頂いたり、食事をご馳走になったりしたものだから、御礼をしたくて、」
『かしこまりました…!かしこまりました、凌様!何の、皆まで言わずとも、凌様と爺は凌様乳児のみぎりからのお付き合い、爺に全てお任せ下さい!即刻用意して、凌様宛に高速で送らせて頂きます!』
「ありがとう、爺……変な話、渡久山の家に生まれて良かったなって、改めて実感したりしてるんだ」
『それはそうでしょうな、斯様な若者と邂逅為さったのであれば、凌様が身に流れる血を益々誇りに想う事は至極当然でありましょう』
前君も、喜んでくれそうな気がする。
話を聞いてくれた、泣く事をアドバイスしてくれた…
お陰で俺は、忌まわしい号外が出た後も平常で居られた。
朝広の事を想うと、それはまだ、辛い。
胸が痛い。
どこかで声でも聞こえようものなら、どこかですれ違おうものなら、きっと俺の足は立ち竦み、後でまた泣いてしまうかも知れない。
傷は新しいままだ。
だけど、大丈夫。
あの日の晩の内に、根深い哀しみは浄化した。
そうだ…
昴にもちゃんとお礼を言わなくては。
幼等部の頃から強く存在していた、昴は誰にも何の見返りも求めない、だから昴の存在を、さり気なく気遣ってくれる事を当たり前だと想ってしまう。
礼さえ言わせない、昴はそんな人だ。
爺の事だから、多めに手配してくれるだろう、昴にもお裾分けしよう。
もう1度ありがとうと、身体に気をつけてと言い置いて、通話を終わろうとした。
『凌様、爺は何時でも、どんな凌様をも受け止めます。御父上、御母上に言われているからではないですぞ。爺の年の功です』
ふと素の声音になった爺は、すぐに元の調子に戻り、『ではくれぐれもご自愛下さいます様に』と言って電話は切れた。
どこまで知っているんだろう…?
不安にはならなかったけれど、爺は新聞報道部等より怖い存在だ。
想ったより長電話してしまった、早く風紀委員室へ向かおう。
遠山君に熱いお茶を入れて貰ったら、気も落ち着くだろう。
携帯を仕舞い歩き出し、何気なく目を向けた、中庭を挟んだ渡り廊下に、今度こそ不安を覚えた。
「前君…?と、あれは…」
合原心春と、その取り巻き…?
昴の熱心な信者達…合原心春は中等部の時に、「異例」で親衛隊長にまで昇りつめた危険な存在だ。
高等部へ上がってからもそのまま、昴の親衛隊に属している。
危険因子が多い、「今年の1年A組」で、前君とクラスメイトは言え、彼らが纏う硬い空気、向かっている方向で事態が容易に知れた。
目を付けられているのはわかっていたが、早い展開だ。
俺が呼び止めただけでは、話にならないだろう。
彼らの根城へ向かう様子を視界に収めたまま、再び携帯を取り出した。
委員長に連絡しなくては…と、想いながら指は、とある番号を自然に押していた。
2010-12-08 22:53筆[ 209/761 ][*prev] [next#]
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