41.ここからが始まりだった!


 和やかな晩さんが終わり、泊まると言い張ったひーちゃんは、皆さんに呆気なく連行されて行った。
 無門さんが無言でひーちゃんをじいっと見つめた途端、ぐったりと大人しくなってしまったひーちゃん…
 無門さんはエスパーさんなのだろうか…?

 お陰さまでぐっすり眠れた、その翌日。

 これからずっと手伝うからと申し出てくださった美山さんと、昨日と同じように料理を作って、朝ごはんをしっかり食べて登校した。
 道中、視線を感じはしたけれど、掲示板には1年間の学校行事予定表以外、もう何も貼り出されておらず、正直ほっとした。
 そこには勿論、なんの落書きもない。
 本来あるべき掲示板の姿なのだろう。
 そこかしこで渡久山先輩や会長さま方の名前が囁かれたり、俺への視線も途切れないけれど、一応は平和な朝といったところだろうか。

 きっと直に、もっと落ち着くだろう。
 こういう時こそ楽観的に、しっかり前を見つめていればいい。
 美山さんも気にするなと仰ってくださった。
 記事になった先輩達だって、凛々しく胸を張って、いつも通り登校していらっしゃるハズだ。
 それに、俺の当面の問題は、もっぱら勉強だ。
 進学校でも名を馳せる十八学園、毎月末には主要教科の実力テスト、来月下旬には中間テストが待ち受けている他、毎週明けに各教科に因って異なるけれど、小テストの実施があったりなかったり…
 いきなりとんでもない成績を叩き出しそうで怖い、でも、そんな場合じゃないんだ。

 十八さんに呆れられちゃったら、それならまだいい、哀しませてしまったら悔いても悔やみきれない。
 十八さんの哀しそうなお顔、悲壮感漂う背中は、俺の心臓を締めつける切なさを有している。
 これは非常に重大で切迫している、死活問題だ。
 なんとか平均点以上の、見られる成績をゲットしなければ!
 1年間努力してどうしようもなかったら、その時は、十八さんに陳謝して、秀平にSOSを送って、ここを去るしかない…
 そうならないように、頑張れ俺!
 ファイトだ俺!
 男だ俺!

 そうして気合いを入れて過ごした、通常授業2日目の午前中。
 既にもういっぱいいっぱい、俺はすっかりグロッキー。
 4限目の終了と同時に、机に突っ伏した俺に、隣の音成さんが心配そうに苦笑なさった。
 「大丈夫かー、前?」
 「……だいじょうぶ……じゃない、かもです〜……」
 サクサクーと進んだ授業。
 さすがさすがの進学校、先生方の弁舌は今日も今日とて冴え渡っており、テキパキテキパキ展開しまくる授業、情け容赦なく目紛しい板書。
 黙々と授業に集中なさる皆さん、先生からのご指名にはサラサラーと解答。
 
 合原さんの英話力は素晴らしかったし、音成さんの数学の解答は文句なしだった。
 美山さんは相変わらず寝倒しておられた。
 朝のHRギリギリにのんびり入って来られた一舎さんも、基本的に寝ておられるか、カバーのかかった文庫本を読んでおられるかのどちらかだったっけ…
 昨日は来られていなかったようだけど、お身体の具合が芳しくないのだろうか、音成さんに因ると「いつも来たり来なかったりだなー」とのこと。
 いずれにせよ、お知り合いになった皆さん、このハイスピードな授業展開に、まったくもって余裕ありまくりのご様子。

 人さまの観察をしたり感心している場合ではないのだけれど、羨ましい…
 かろうじて指名されることを免れている俺は、4限中ずっと、息を潜めて五官をフル回転させるのに必死だ。
 とっても心身疲弊する、こんな日々が毎日6限×5日間ぶっ通し…!!
 秀平さんと電話したい…想わず指が携帯(最終手段)を求める始末です。
 最終手段はとにかく、まだ入学してから5日目だけど、電話してみようかな。
 今晩、できるかなぁ。
 秀平たちだって新生活が始まっている、それぞれ大変な中だけれど、ちょっと声を聞くだけ、いいかなぁ。
 すっかり弱気になって机に沈没する俺を、音成さんは優しく慰めてくださった。

 「大丈夫、大丈夫!何とかなるってー!何でも聞いてくれて良いし、前がつるんでる『武士道』もマジで成績優秀者ばっかだし。あんま気にして落ちこんでたら、もっとやる気下がって行くばっかだしさ。まだ1年生じゃん?直に慣れるだろー」
 「…うう……お優しいお言葉の数々、有り難い限りでございます…音成さんはとても素敵な任侠溢れる武士様なのですね……」
 「あははっ!武士様って…!んな大ゲサなー!前って落ち込んでても面白いのなー俺は別に武士じゃないけどさ、手助けぐらいできるし。テスト前で部活休みになる時は、勉強会しても良いし」
 「ありがとうございます…!かたじけない…!!」
 「ははっ、感動しすぎだろ!ところでさー、さっきからクラスの殆どが前を見てんだけど?」
 
 なんですと?!
 クラスの殆どが俺を見て?!
 がばっと机から起き上がると、なるほど、音成さんの仰るように、昼休みになって賑やかなクラスの中、殆どの皆さんが俺のほうをちらちらっと窺っていらっしゃった。
 「…何事でしょう…?机と同化していた様子が気持ち悪かったのでしょうか?」
 「いや、そんな真顔で…違うだろ。俺もだけどー、前が今日も弁当なのか、また分けてもらえるのか気になってるだけだと思うぜー」
 お弁当?!
 よくよく見返せば、昨日お昼をご一緒なさった方々ばかりだった。
 合原さんと、そのご友人さんのお姿がないだけだ。
 まだ眠そうな美山さんが、冬眠明けの熊さんのように、のんびりこちらへ向かって来られている。
 
 「ええと…皆さんがよろしければ、今日も大したものではありませんが、たくさん作って来ておりますので…一緒に召し上がって頂けますか?」
 そう言うなり、音成さんを筆頭に、皆さんがこっくりと深く頷かれた。
 「「「「「食べたい!食べる!」」」」」
 購買で何か買って来ると、音成さんが立ち上がったのを合図のように、皆さんが動き始めた。
 待っていますねと返事をしながら、後ろのロッカーから、お弁当の包みを取り出した。
 皆さんが教室の出入り口へ向かったのと、お弁当の包みを机の上に置いたのは、ほぼ同時だっただろうか。

 その瞬間まで、俺は、今日はこのまま、平和になにごともなく終わるのだと想っていた。
 午後の授業は、6限目が業田先生の授業だから、そのままHRになるだろう。
 放課後はきっと、仁と一成が来て一緒に帰るだろうから、そのままプチ勉強会をお願いしようかな。
 申し訳ないけれど、勉強会が実現したら、晩ごはんは簡単なもので勘弁してもらおう。
 そんな風に、考えていた。
 俺が想う平和な「今日」は、けれど、次の瞬間に儚くも消え去ってしまうのであった。

 教室の出入り口の前で、一斉に足を止めた皆さん。
 止めざるを得なかった、前後にある出入り口、両方共に。


 「「「「お母さ〜ん!お腹へったぁ〜」」」」
 「「前陽大〜!いっしょにごはん食べる約束!行こー!」」
 「前君は居るかな」
 

 口々に聞こえて来た、それぞれ聞いたことのあるお声に、俺は目を見張るしかなかった。
 遅れて、廊下から歓声のような多数の悲鳴が響き渡り、更に目を見張った。

 更に遅れて届いた、「はるちゃ〜ん!はるちゃ〜ん!はるちゃ〜ん!」の声には、ひくっと頬が引きつってしまった、これは条件反射だろうか。



 2010-12-03 22:15筆


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