39.一方、スパイシーな電波も飛ぶ


 通話が一瞬途切れた、と想ったら。

 『ぶあっくしょんっ!っくしょんっ…あ″ー…誰か噂してやがる…』

 盛大なくしゃみの音が…この男の事だ、律儀にも受話口を遠ざけたのだろう…微かに聞こえた後、また声が戻って来た。
 あちらこちらで何かと噂の絶えない男だ。
 誰が、どこで、一体どんな彼の話をしているやら。
 それは、閉ざされた世界の中でも、「こちら側」においても同じ事。
 自然、笑みが零れた。
 『秀平……ナニ笑ってやがる?気色悪ぃ…』
 刃を翻す様に素早い反応に、更に唇の端は上がった。
 但し片端だけ、実に嫌味な笑いだ。

 「お前の気の毒さが笑える」
 『うるっせえな…てめえも人の事笑ってられる身分じゃねえだろ』
 「お前程じゃない」
 『どうだか?』
 どうだか?
 喉の奥が震えた。
 「俺にはお前の様に、進んで火の中へ突っ込んで行くイヤラシい性向は無い。しなくて良い苦労はしない。無駄足を踏んでるお前は相当なマゾに見えるが?」
 これでもかと詰め込んだ皮肉は、案の定、一笑に付された。


 『何処に居たって一緒だ、この国に在る限り。例え世界中の何処に居ても、生命在る限り憂いは消えねえ』


 いつも通り、笑っているのだろう。
 不敵な表情がそれこそ眼前に存在する様に目に浮かび、ため息を吐いた。
 「それでも『異世界』に居続けるお前の気が知れん」
 『何処だって「住めば都」ですけど?』
 今度は声音に揶揄が混じり始めたのを感じ、再びため息を吐いた。
 さっきよりもずっと深い、ため息を。
 「俺は真面目に話しているのだが」
 『はいはい、秀平クンが真面目なのはよく知っておりますよー』
 今にもそのまま通話を断ち切る気配、送話口の奥へ鋭い声をねじ込んだ。

 「昴。ふざけるな」

 その奥からもため息が聞こえ、暫くの沈黙。
 この電波の先は、山深い「異世界」へ繋がっている…
 その不思議を、電話の相手が沈黙した事で、改めて実感した。
 虫や、鳥、小動物など、夜の住人が息づく気配に、耳を澄ませる。
 山の上は風が強いのだろう、此所とは比べ物にならない強い風が吹き抜け、草木を揺らす音も聞こえた。
 見せて貰った事がある、携帯カメラで撮られた写真の数々を想い出した。
 今はデスクトップPCの前、開かれたとあるブログ画面から、「異世界」の光景を見ながら電話している。
 不思議な、縁だ。

 切られてしまうかと想った通話は、かろうじて生きていた。
 
 『秀平、ありがとうな』
 「…俺は元々お前を説得出来る器ではないが、まだ2年も残っている。お前なら『下界』の方が呼吸し易いだろうが」
 『山の上だけに空気は澄んでる。呼吸の心配なら無用だ』
 「………昴」
 『こっわ!電話で凄むなっつの。つか、俺の心配する反面、こないだみてえに急に襲撃して来るてめえの性格こそ意味わかんねーっつの…』
 「お前と遊ぶのが面白いから?」
 『…誰がいつ遊びましょっつったよ…』
 「いちいちガキみたいに約束して遊んでられるか。それはそれ、これはこれだ」
 『マジ、可愛いーい性格してるよねー…』
 今度こそ、本当に笑えた。

 「可愛かっただろう?何せ、1度ベッドを、」
 『うーわーわわわーわーわーわー俺は何も聞こえません何も知りません何もシテません、清廉潔白、超無実でーす』
 「現実から目を背けるな。お前の口癖だろうが」
 『うるっせえ!!背けるわ!!想いっきり背けまくるわっ!!忘れさせろっ!!ったく、どいつもこいつも俺相手に襲い受け気取りやがって…俺にも選ばせろっつーの!!』
 「何だ、突っ込まれ希望なのか」
 『ははははは!あーりーえーなーいーっつーの!!生憎ガチバリ・タチ家系なもんでね!!ウチの血は強力なんだよ!!』
 「確かに良いモノを、」
 『てめえは夜中のセクハラ電話が趣味なのか?だったら切るぜ。サヨーナラ、わざわざ心配のお電話アリガトウ。セクハラは「武士道」にしてあげてネ!奴ら喜ぶから!』
 聞き慣れた名詞に、唯一、彼を動揺させられる話題から我に返った。


 「陽大は元気そうだな」


 大切な、大切な名前。
 口にするだけで、その笑顔が想い返され、胸の内が温かくなる。
 春の喜びそのもの、かけがえのない存在。
 自分の、自分達にとって、それは大切な唯一。
 『あ?あー、元気なんじゃね?「武士道」付いてるし。今日はカレーだとよ』
 カレー…!
 過去に何度もお目にかかった、その都度、いろいろな材料の組み合わせだった、そう遠くはない記憶を懐かしく想った。
 入学してから混乱が多いのだろう、ブログの更新回数は芳しくない。
 今宵は夕食分の更新はあるだろうかと危惧した。

 「お前に関しては、今でも降りろと想う。だが陽大にとっては、お前が居て良かったのだろうと想う」
 『勝手に買い被んな。確かにあいつは面白い、「俺ら」にとって得難い存在となるだろう。厄介なシステムから守ってやろうとは想うが?』
 その物言いに、眉間に皺が寄った。
 「昴………奪るなよ」
 『ははっ、奪られたくねえならてめえも武士道もしっかり捕まえとけっつの。知らねえよ、未来の話なんか』
 未来の話?
 不穏な語感に、益々眉間の皺が深くなった。
 「お前の事だ、既に陽大と幾度か接触してるのだろう?お前、まさか……」
 『だから。未来の話なんかわかんねえ。前陽大は面白い、「今は」それだけだ』

 心からの真意に聞こえる、今にも笑い出しそうな声。
 ならば、「今は」これが本音なのだろう。
 昴は、今は面白がっている。
 「異世界」にやって来た、異邦人を面白く見ている。
 それがどう転ぶか、昴ではなくても誰がどう転んで行くのか、或いは陽大も誰かの事で転ぶのか…先の話は誰にもわからない。
 ただ、この男は油断がならない。
 誰とも違い過ぎる。
 次の行動、次の思想の予測など、まるで見えないのだ。 
 
 「凌も居るし、な?」
 『あぁ?てめえはどこまでウチの事情知ってんだよ…俺のストーカーしてる暇なんか無ぇだろうが…ま、凌は俺好みの美人ですけど?』
 捕食者の笑い方に、何故か安堵した。
 まして、陽大だ。
 誰も陥落できなかった、誰も「我が子」以上に見て貰えなかった。
 戦いは水面下で続行している、恐らく、勝負は陽大の長期休み…夏休みか冬休みが決め手となるか。
 自分はもっとのんびりと、先の将来まで見据えているが。
 陽大が下界に戻って来てから…3年後でも遅過ぎる事はない筈だ。
 「異世界」は魔窟だけれど、陽大なら大丈夫、陽大らしさを損なう事なく、綺麗なまま自分の元へ戻って来るだろう。
 武士道も悠も、敵じゃない。
 
 『あ、そーそー。ウチのガキがあんまりうるせえから、前陽大の所へ行かせたぜ』
 「お好きにどうぞ。悠なんざ相手にならん。陽大の苦労が増えるのは心配だが、そんなもの慰めてみせる。あんなクソガキの執着にまともに引っ掛かる様な陽大じゃない」
 『へー…余裕だねー』
 「慣れてるだけだ」
 『秀平、余裕かます前にもっと気をつけてやれよ。此所は「異世界」なんだろう?てめえがどんな腹づもりで居ても、時空のねじればっかりは取り返しがつかねえ。前陽大がお前のものじゃねえなら、予定なんざ簡単にひっくり返る可能性があるだろうが』
 「……例えば、恋敵がお前なら、俺ももっと慎重になるのだが?現時点でその可能性は無いのだろう?」
 『恋敵…!!古い言い回し…!!何、下界では懐古主義が主流なのか?』
 「……昴」
 『はいはい、ムキになんなって。電話で張り切った所でてめえは此所に居ねえ。そんなにてめえのものにしたい、守ってやりてえと想うなら、どうして側に居ない?楽観主義で勝手な未来想い描いてんなら、それはただの妄想だ』
 「…お前は陽大をよく知らない。俺は知っている」

 ムキになっている?
 そうだ。
 どうしたって勝てない相手だから、ムキになるしかない。
 自分の想いが正しいのだと。
 自分はちゃんと大切なものを守れるのだと、言い張る事しかできない。
 『ま、てめえと俺が相容れねえのは昔っからだし?じゃ、おやすみー』
 脈絡なく別れの挨拶を告げる彼に、またため息が零れた。
 「長々と付き合わせて悪かった。おやすみ」
 『んー。あ、秀平』
 「何だ」
 切れかけた電話は、最後、一言を残して終わった。


 『空。見てみろよ。月が綺麗だ』


 言われるままに、視線が天空を彷徨った。
 確かに綺麗な月夜だった。
 だが、街から眺める月と、「異世界」の月は、まるで別物ではないかと想えた。
 ツーツーと、通話が終わった音を離さないまま、空が円い事を信じられずにいた。
 彼の言う通り、何処に居ても同じかも知れない、何処に生まれても憂いは消えないのだろう。
 けれど、花鳥風月の違いはあるのではないか。

 陽大と同じ月を見たい。

 ぼんやりとそう想った。



 2010-12-01 23:21筆


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