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しかしそれは、学園内を一歩進む毎に、覆される事となった。
この平凡チビは、歩く度に表情を変え、いちいち歓声を上げる。
そこかしこへ忙しなく視線を向ける、その瞳は決して凡庸ではなかった。
まるで、見るもの全て、生まれて初めて見るものだと言わんばかりに、生き生きと輝いている。
ちいさく目立たなかった筈の瞳が、零れんばかりに見開かれ、大きく開閉を繰り返している。
それに伴う、奇声の様な歓声の様な…年老いた感想にも聞こえる声がアンバランスだった。
思わず、笑っていた。
平凡チビは途端に恥じらい、謝罪してきた。
その言葉は、俺の耳へろくに届かなかった。
俺自身が驚いていたのだから。
「自然に笑った」等、実に久し振りだ………
その後も彼は、俺達が幼少から当たり前に接している、学園内の自然環境にいたく感嘆し、如何に素晴らしい事かと、簡素な言葉で切々と訴えてきた。
散策したいとまで、輝ける瞳で言い切った。
嘘偽りのない瞳を凝視しても、彼は怯まなかった。
この俺がつい油断し、余計な情報を与えた所、心の底から嬉しそうに笑った。
ちいさな目がなくなる程、にっこりと笑った。
丁重な言葉で礼儀を示してきた。
何だ、このチビガキ…
神経を逆撫でされた気分だ。
今度こそ無言で目的地へ向かった。
足を速め、理事長室へ直行し、その扉の前で無愛想に「僕の役目は此所までだから。後は君一人で大丈夫だよね」と言い放ち、踵を返そうとした。
「プリンス様」の仮面なんざクソ喰らえだ。
その俺の腕に、彼の手が触れた。
益々、神経が逆立った。
「………何かな」
「待って下さい、王…副会長さま。花びらが…」
「花弁?」
聞き返す間にも、彼の手が、俺へと伸びてきて。
髪に付いていた、桜の花弁を、ちいさな指が攫って行った。
「すみません、勝手に取ってしまいました」
花弁を摘んだ指をそのままに、また、笑顔。
「ここまで案内していただいたお礼…にもなりませんが…こんな長い道程を遥々と付き添ってくださって、ほんとうにありがとうございました。俺一人でしたらたどり着けなかったです。きっとお忙しいでしょうに、わざわざありがとうございます、副会長さま…えっと、ひかげだてりひと先輩、このご恩は忘れません。では、失礼いたします」
笑顔に、呆然としたまま。
その凡庸な姿形に似合わず、綺麗な、凛とした一礼を見守ったまま。
待て、と。
我知らず呟いた時には、もう彼は室内へ消えていた。
呟きを聞かれず良かったと、安堵すると同時に、唇の片端がゆっくり上がるのがわかった。
「前陽大、か……面白い……」
かつてない、新しい玩具が見つかった。
仲間に報告するべく、俺はその場を後にした。
2010-03-24 13:40筆[ 20/761 ][*prev] [next#]
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