28.宮成朝広の一進一退(1)
目の前でアイツが笑ってる。
人を見下した嘲笑だ。
何もかもわかっていると言わんばかりに、余裕の顔。
そういう顔をしていれば、俺がキレるだろうと、悟っている上での計算にも見える。
ムカつく……
俺は、柾昴をずっと憎んで来た。
ずっとだ。
幼等部の頃から、ずっと。
俺が陰で必死に努力して、「宮成家の朝広様は優秀な跡継ぎ」だと、時間をかけて周囲に認識させて来た事を、アイツは笑顔ひとつで全て奪う。
「柾」という謎の家柄は、政財界でぽっと出の宮成その他を圧倒し、旧家や名家を感心させる。
加えて、有り得ない程、整った容姿!
計算高い頭脳!
自在に操る表情と礼儀作法!
人脈の意外な幅広さ!
俺が長年苦労して来た事を、アイツはこんな事は何でもないのだと、涼しい顔で会得し笑ってやがる。
後から生まれた後輩のクセに、あっさりと人を見下し、追い抜いて行く。
そして、誰からも注目されて、笑ってやがる。
理事長からも教師陣からも、先輩からも同年からも後輩からも、慕われ可愛がられ、それが当然だと済ましてやがる。
幼等部から脅威だった。
ヤツはその才覚を、ガキの頃から現していたから。
俺を追い抜かす事が娯楽だと言わんばかりに、人の足取りをいちいちトレースして来やがったアイツ。
『まったく…朝広、少しは柾家の御子息を見習ってはどうだ』
『彼の演説は子供とは思えない、実に奥深く素晴らしい…お前もあれぐらいに成ってくれなければ』
『柾様、また模試で全国ベスト10入りだって〜!』
『今回の試験も全学年トップの成績だったって…素敵〜!』
『また身長が伸びたんですって、格好良いよねー!』
『喧嘩道、見たぁ〜?!柾様、無敵〜!!』
周りがアイツを賞賛する。
その度、惨めな想いをして来た。
柾は素晴らしい、なのにお前は?
柾は格好良い、なのにお前は?
柾は優れた人物だ、なのにお前は?
どうして、俺は……?
「――宮成先輩…?考え事ですか…?流石、余裕ですねー」
気づけば、目の前に最も忌み嫌い憎んで来た顔があった。
そうだ、俺は今朝、この顔から「喧嘩道」を吹っ掛けられて。
今は、その最中だ。
我に返った所で、胸倉を掴まれ、急に周囲の歓声と野次が耳へ戻って来た。
「俺はてめえを許さねえ」
潜められた低い声と、間近で感じる怒気に、一瞬息を呑んだが、すぐに投げられた言葉に反応した。
「…俺のセリフだろうが…」
アイツは、恐ろしいぐらいに整った顔で口角を上げた。
歓声が高まる。
皆、皆、この腹黒い悪魔に騙されてやがる。
どうかしてるんだ、この学園は…正気じゃない。
「でしょうね…?何せ、俺に『あんな事』されちゃいましたものね…?アンアンよがってたのはてめえの方だけど?」
目の前が、真っ黒になった。
忌まわしい記憶が、瞬時に蘇る。
報復のつもりだった。
「生徒会の伝統」を利用して、コイツに一杯喰わせられたら、コイツを支配してしまえば、俺はもう何を恐れる必要もないと。
身の毛もよだつ「伝統」も、復讐の為なら活用出来る。
媚薬まで盛った、風向きは完全に俺へ向いていた筈だった。
『俺は、「こんな所」で誰にも支配されない…――――しない…』
いっそ凄絶な色香と、野性の雄性、中学のガキとは想えない男の肉体、そして俺の中へ挿入って――…
ざわざわと耳鳴りがする。
悪寒が走る。
言い知れない怒りと屈辱に、身体が真っ黒に染め上がる。
憎いのは、敵は、この、目の前で相変わらず嘲笑ってる男……
「てめえから来いよ。最初の一発は受けてやる、先輩を尊重させて頂きますよ…?てめえも俺に言いたい事の1つや2つあるだろうが」
コイツを…
コイツさえ居なければ!!
コイツさえ居なければ、俺は、安心して此所に居られた!!
こんな見世物に引っ張り出される事なく。平穏にトップの座に居る事が出来た。
「1つや2つじゃ済まねーよっ…!!」
相当黒い噂もある、柾昴。
「下界」では不良チームのトップだとか、武道全般に長けているらしいとか、「喧嘩道」では連戦連勝、あの武士道も歯が立たないとか…
けど、全部噂だ。
真偽の程は定かじゃない。
間に受けて躊躇わず、最初からこうしていれば良かった。
俺だって、此所で生き延びる為に必死だったんだ。
望む前に何もかもから勝手に恵まれて、のらくら生きてるコイツとは違う!!
渾身の一撃は、ヤツの右頬に入った。
そのまま吹っ飛べ!!
地べたへ這いつくばれ!!
惨め極まりない口先だけの余裕だったと、生徒達の前で大恥かけば良い。
だが、僅かに上体を揺らしただけで、切れた唇を舐めながら、向けて来た視線の獰猛さに戦慄を感じた。
「……じゃあ、先輩、今度は俺の番ですね…?……歯ぁ食いしばって立ってろや」
誰だ、コイツ……
こんな顔もできるのか…
風を切る音が、いやにゆっくり聞こえた。
向かって来る拳が、やけに大きく見えた。
本気で怒っている、情け容赦のない瞳が、少しも笑っていなかった事に気付いた。
本能が危機を感じたのだろう、自然、臨戦の体勢で拳を向けながら、頭の中は冷静だった。
俺は、必死だった。
俺は、頑張った。
だけどお前は、最初から何もかも持っていて、俺がどんなに願っても得られなかった仲間まで手にした。
3大勢力を纏めて、学園の秩序を築いて、尚、簡単に笑ってた。
だから、奪ってやろうと想った。
お前の大切な仲間を、誰でも良かった、俺のものにして最後は捨ててやれば、ちょっとは動揺するだろう。
何が起こっても動じないお前が、どんな顔をするか。
陰惨な気持ちで、凌に軽く声を掛けた。
1番扱い易そうな、大人しい凌を選んだ。
アイツを含めた3大勢力が、俺を見下して居やがった後輩共が、俄に俺を警戒し始めた事は痛快だった。
皆が俺に注目している。
良い気分だった。
良い気分は、続かなかった。
なぁ、お前がもし俺だったら、どうしてた?
惨めなコンプレックスに苛まれながら、家の事情を押し付けられるまま、意に添わない相手と将来を誓わされる。
周りに流されて行くだけしかない人生…!
お前だったらどうしてた?
それでも器用に立ち回るのかよ。
涼しい顔で、何もかも大した事ないって、余裕で笑ってられんのかよ。
本気で好きになった。
大事にしたいって心の底から想った。
偽りから始まった、最低最悪な復讐だった、それが本当の愛情に変わった時、お前はそれでも笑ってられんのかよ。
凌が泣いた顔なんて、見たくなかったのに。
俺は空っぽだ。
直に卒業するのに、何も手にしてない。
この拳の中はいつも空っぽで、ほら、お前に2度と掠る事すら出来ない。
生まれて初めて大切にしたいと想った人を、守る事すら出来なかった……
火花が散って、視界が闇一色に落ちて行く中、聞こえた。
「ありがとうございました」
誰の声か、わからない。
俺は、此所に存在して良かったのか?
礼を言われるに足る人間だっただろうか。
『俺より上を行く人間なんて幾らでも居る。上を見てもキリがねえ、下を見てもキリがねえ、横を見てもキリがねえ…だから、今持ってるものを大事にして、前だけ見据えて歩いて行く』
誰の声だったか、わからない。
ただ、薄れ行く意識の中、頷いた。
2010-11-09 09:10筆[ 191/761 ][*prev] [next#]
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