21


 やがて室内に立ちこめる、香り高いコーヒー豆の匂い。

 手際良く動く気配、エスプレッソマシンを操る小気味良い音、スチームミルクを泡立てる音が響いた。
 ふんふんとコーヒーの香りを愉しんでいた所へ、プロのバリスタ然とした昴が、シルバートレイを掲げて戻って来た。
 元々着崩していた制服だ、既にネクタイもブレザーも取り払われ、シャツの袖は腕まくりされている。
 テーブルに置かれたトレイの上、ロイヤルコペンハーゲンのデッドストックもののコーヒーカップ2つには、見事としか言い様がないカフェ・カプチーノが湯気を立てていた。
 本場のバリスタにも並ぶ技巧ではないだろうか、それは見事なきめ細かいミルクを被ったカプチーノなのに、理事長の顔色は優れない。

 「昴君って、ホンっト器用だよねー…」
 「お褒めに預かり光栄です。家業のお陰に他なりません。我が家を代表してありがとうございます」
 「……『柾家』って、何?君は何者?いい加減、教えてくれたって良いじゃん…ただの大手商社の御子息がこんなに器用で博識なんて有り得ないよ。君は事ある毎に『家業のお陰』だと言うし…」
 「極秘です」
 「ひどいっ!昴君と僕の仲じゃないっ?!昴君が幼等部の頃から温めて来た友情じゃないの?!」
 「それでも、極秘です。言ったら十八さん、ひっくり返るんで」
 「ひっくり返りたいよ、寧ろ…」
 「慢性胃炎になりますよ。さあ、冷めない内にどうぞ」
 
 ぶーぶー文句を言いながら、しばらく、見事なカプチーノを堪能。
 学園内の飲食施設はどこもかしこも整っており、舌の肥えたお坊ちゃん方を飽きさせない様に、神経質なまでの工夫が凝らされている。
 だが、これ程の美味なるカプチーノを飲ませる場所は、どこにもない。
 「下界」にも、そうそうないのではないか。
 昴の不可思議な様々な特技に、理事長は毎回、首を捻るしかない。
 イタズラ心で昴の家を調べようと試みた事もあった、けれど捜査は立ち行かなかった。
 政財界で名を馳せる、「十八」が、だ。
 つまりそれだけ大きな家、「十八」でも簡単に手を出せない様な血脈、という事だ。
 それでも、明るく礼儀正しい昴を気に入っていたし、苦楽を共にした長年の知己だから、彼を遠避ける事など想いもしなかったが。


 (この怪しさが、どーしてもはるくんと近付けさせたくない理由なんだよねー…昴君、良い子すぎるし…)


 涼しい顔で優雅にコーヒカップを傾けている昴に、内心、ため息を吐きながら。
 「……昴君、喧嘩道を申し込んだって?」
 「流石、理事長。もうお聞き及びですか」
 「僕の情報網を甘く見ないでよねっ!ちゃあんととっくに聞いていますとも」
 「そうですか。じゃ、裏で俺に賭けて下さいね」
 「とっくに賭けてるけど。けど、君はホント、ど器用なのに変な所で不器用と言うか…」
 「血です。ウチの家系ですよ、マジな話」
 「……変な血っ」
 わざと吐き捨てた理事長に、昴は目を細め、無邪気に笑った。
 「仰る通り、マジで変な家でヤバいんです」

 
 (笑い顔だけは、ちょっと、子供らしく見えるんだけどねー…)


 「はる…外部生の新聞記事に、君、落書きしたって?」
 「あ、そーそー。言ったでしょ、食堂で面白い奴に会ったって。あの後、また偶然会う事があって、マジ面白い奴だから、生徒会で守ってやろーかなーって」
 「……ふぅん…昴君、随分気に入ってるんだね、その子の事……」
 「気に入ったっつか、面白いから。面白い奴が好きなんですよ。よく知ってるでしょう?これも血なんですけどね」
 「……変な血っ」
 「はは!マジ、変なんですよ。ところで理事長、さっきからチラチラしてるその紙は…」

 理事長の手で弄んでいた紙の存在に気づいた昴の目の前に、その全貌が明らかになる。


 【肩揉み券/1回につき10分/有効期限:無期限/柾昴】


 手書きのお手伝い券を無言で差し出す理事長、室内にまた笑い声が響いた。

 「まだ持ってたんですか…中等部の時のじゃん」
 「だって無期限だし!」
 「はいはい、じゃーうつ伏せになって」
 「『はい』は1回!」
 「はい」
 「えええー…2度目の正直じゃないの〜…」
 「だから、ノらねえって言ったでしょー」
 「変な血のクセにー…おお?!流石、昴君!!巧いなーツボ心得てるなー!そこそこ!」
 「理事長、凝ってますねー」

 2人が意外な程仲良しで、茶飲み友達である事を知る者は居なかった。


 「……ところで昴君、その眼鏡、エロいよ?君はまだ高校生のクセに生意気ー!」
 「それも血の所為です。我慢して下さい」
 「……ホント、変な血っ」



 2010-10-31 23:35筆


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