3.お母さんの「一所懸命」


 今まで、まともにキッチンに立ったことがないらしい、美山さん。
 学校の調理実習もとことんサボりまくっていたそうだ。
 「だから、大した事はできねーけど……覚えたい」
 どこか歯切れ悪く言葉を紡ぐ様子は、いつもはやんちゃなちいさな子供が、照れながらぶっきらぼうにお手伝いを申し出ようとする、そんな姿のようで微笑ましくて。
 「偉いっ!」
 「……は?」
 「偉いです、美山さん!なにごともできる・できないではなくて、やってみたいからやる、その気持ちが大切ですものね!台所仕事も同じです、やる気さえあれば誰だってできちゃいますから。
 武士道の皆だって最初は全く動けなかったんですよ〜でも、やる気に漲っていましたから、今ではあんなにもお手伝いできる子たちに…お留守番も任せられるようになって…あんなに何もできなかった子たちが…うう、皆揃って包丁まで使えるように……」
 
 武士道の皆と台所での格闘の日々が想い返された。
 ちょっとウルっと来る。
 包丁で指を切っただの、油がハネて火傷しただの、皮むきした本体のほうを捨ててしまっただの、レンジでゆで卵作ろうとして爆発しただの…にぎやかで常にハプニングまみれだったなぁ。
 今では一成筆頭に立派に成長して…すこし寂しさを感じる程、言っていないことにまで気が回るレベルになっちゃって…
 ただ、お手伝いの取り合いという無謀な争いだけは止めて欲しいんだけど……って、武士道との想い出に浸っている場合じゃなかった!
 なにやら美山さん、険しいお顔になっておられるし!

 「すみません、想い出話を披露して…とにかく、そのお気持ちが大事ですということで、ではよろしくお願いします」
 「……俺のが、器用だし……」
 「???はい?何か仰いましたか」
 「いいや、別に」
 「???では先ず、キッチンに立つ前の、基本のきから!」
 「押忍」
 おお…美山さん、静かなお人柄ながら気合いは十分ですね?!
 生徒が巣立った後、新にしごき甲斐ある生徒がやって来た時の先生の気持ちって、こんな感じなのだろうか?
 いいでしょう、俺も今1度気合いを入れ直し、初心へ立ち返ろうじゃないですか!

 「其の1!」
 「…其の1」
 「手洗いです!」
 「…あ?」
 「台所仕事と言うのは、食材然り、でき上がったものを食べる自分やその他の人々然り、あらゆる命を預かるとても重要な仕事のひとつです。自然の恵みなくしては得られない食材、その恵みを使って作る料理、食べたものすべてが生きる糧になる…命を扱うことをおろそかに考えてはいけません。なので、命に触れる手は、清潔に保つのが礼儀、当然の作法です。爪は短く切り揃え、爪の中から肘の付け根まで、ていねいに時間をかけて洗います」
 「……すげー…」
 「美山さん?『すげー』ではいけません。返事は『はい』でしょう?」
 「…はい」
 「では、俺と同じように洗って下さいね」
 「…はい」

 というわけで、洗面所へ向かい、正しい手洗いを伝授した。 
 「奥が深ぇ……いや、じゃなくて、奥が深いんですね」
 何故かていねいに言い直した美山さんの、改まったご様子に、初めてのお手伝い時の武士道を想い出した。
 皆もこんなふうだったなぁ…頬が緩む。
 「なんにも深くありません。TPOに応じて身だしなみを整えるのは、ごく自然なことでしょう?基本はどんなTPOでも同じ、清潔が最重要ですけれども」
 「キッチンに立つのに、他に身だしなみで大切な事はありますか」

 「良い質問です。髪が落ちないように、長ければ束ねたり帽子等でまとめるか、できれば短く切るのが好ましいです。最近は長めの髪や髭を伸ばしたシェフが、お洒落だという風潮がありますが…俺には不潔にしか見えません。ファッション性を優先する御方は、本物の料理人ではないと想っております。
 また、料理する側の健康管理もとても大事です。体調不良では、日々変化する自然の恵みを扱いきれませんし、食べる御方を笑顔にするおいしい料理は作れません。毎日お風呂にきちんと入り、洗濯された衣服を身に着け、自己管理を徹底して、心身共に健康であることが大切です」
 「はい。わかりました」

 神妙に頷き、洗い終わった手の水分をタオルできっちり取る美山さんは、なかなか真面目な生徒さんのようだ。
 「とは言いましても、美山さんがプロの料理人になるならとにかく、お手伝いの範囲でしたら、そこまで徹底する必要はありませんからね。台所に立つ前に手洗いをしっかりする、これを先ず覚えてください」
 「はい。……お前は?」
 「え?」
 「お前は、食堂部とか何とか言ってたし、気構えが尋常じゃねーし…プロになんのかよ?あの、食堂のおっさんみてーなんに憧れてんだろ?」
 なんですって…!!

 「………美山、樹さん………?」

 「っ?!んだよ、急に……フルネームで、どっからそんな低い声……」
 ああ……
 できれば「ここまで」、こんな早い段階から美山さんに見せたくなかった……

 だけど。

 駄目だ。

 止められません。


 「今後、俺の前で2度と、『あの食堂のおっさんみてーなん』などといった失言、発さないでください。山本春明さまは俺が尊敬してやまない料理人の中の料理人、心の師匠です。知る人ぞ知る料理界の重鎮、過去も現在も未来も受け止めて作り出す料理は、他の追随を許さない。
 俺は男として、自分が敬愛している御方を軽く扱われることがどうしても許せません。
 大変勝手なことを申し上げているとわかっておりますが、どうかご記憶ください。2度目はありません」


 しーんと静まり返り、凍てつく空気。
 ああ、やってしまった……
 美山さん、呆れたかな、怒ったかな、もうお手伝いしたくなくなったかな…….。



 2010-10-12 23:49筆


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