1.お母さんの冒険、始まるよー!
「ほわ〜………それにしても、すごいねえ…」
俺は今、ひたすら歩いている。
最寄り駅から降りて、かれこれ三十分は経つだろうか。
まだまだ目的地どころか、目的の対象物の影すら見当たらない。
ひとっこひとり、どなたさまともすれ違わない。
思わず、間の抜けた声を上げながら。
『ほんっっっとおおおに遠いんだよ…!冗談でもなんでもない、半端なく遠くて人里離れた辺鄙な場所なんだ…!!本っ当の本っ当に…!!だから、是非とも迎えの車に乗って欲しい!!礼儀でも社交辞令でも建前でもなく、心の底から真剣にお願いするよ…!!頼むから!!!どうしても車が嫌なら、せめて、せめて………電動自転車ぐらい用意させて下さいっ!!』
真面目に取り乱していた、あの人のお顔を思い出した。
気が緩んで、笑ってしまった。
「ほんっっっとおおおに」、遠いですねえ。
でも、ね。
「ん〜…いいお天気だ〜…満開だし…」
ちょっと休憩とばかりに荷物を置き、両腕を伸ばして、深呼吸!
腕の先には、まっ青な空とまっ白な雲。
その中心には、光り輝く太陽。
お昼前の、心地いい日差しを浴びながら、程よく整えられた自然の中を歩くのは、ほんとうに気持ちがいい。
延々と連れ添って来た、左隣に途切れなく続いている、空に浮かんだ雲のようにまっ白で、ツルツルしたレンガで組まれた塀の上から、様々な種類の桜たちが見える。
今がちょうど、満開みたいだ。
「春のにおい、だ〜………」
深く息を吸いこむと、冬が終わって芽吹いたばかりの新緑の香りや、桜だけじゃない、いろいろなお花たちのほんのり甘やかな香り、それらが陽に照らされてより芳しくなった、春の空気が胸いっぱいに広がった。
右隣には深い森林がずっと続いていて、仲間で呼びかけ合っているのだろうか、鳥のさえずりがあちらこちらから聴こえてくる。
じっと耳を澄ませば、ちいさな小動物が草陰を駆け抜けるような音も聴こえる。
春とはいってもまだすこし冷たい風に吹かれ、レンガの壁越しにはらはらと舞い落ちてくる、まるで歓迎してくれているような、薄紅色の桜の花びらの中を歩きながら、しみじみと感じた。
しあわせだなぁ。
街で暮らしていると、なかなか触れることのない、豊かな自然に囲まれた場所。
手にした大量の荷物の存在と、本来の目的も忘れて、お散歩…いえいえ、ちょっとした小旅行?気分になってしまう。
たくさん歩いても、まったく疲れない。
疲れないどころか、どんどん、パワーを得られるというか、心が潤って元気になっていくみたいだ。
見るもの聴こえてくるものひとつひとつが新鮮で、飽きることはない。
ずうっとこうして、のんびり歩いていたいぐらい。
いいところだなぁ。
こんな素晴らしいところで、あの御方はバリバリ働いていらっしゃるんですねえ。
――そして、俺も今日からこちらに仲間入りさせていただくんだ。
本来の目的を思い出し、にっこりにこにこ、頬が緩んだ。
自然に癒されながら、わくわくが止まらない!
2010-03-22 11:22筆[ 15/761 ][*prev] [next#]
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