28.孤独な狼ちゃんの心の中(3)


 起きたら、とっくに昼を回っていた。
 酒と煙草と、建物内に隠ったまま入れ換えない、夜の空気と空調の匂い、いろんな男や女の体臭や香水…つまり、不愉快極まりない匂いの塊になった俺自身。
 てめーから発している、部屋中に充満した澱んだ空気に苛立ち、大きく窓を開けた。
 うんざりする良い天気だ…
 目に刺さる傾き始めた日差しに、精神が暴力的に昂る。
 いかにも「らしく」良くできた風景。
 窓から手を伸ばせばすぐ届く、さも健康そうな桜並木の色に、舌打ちしながら部屋を出た。

 こんなザマ、あいつに見せられたもんじゃねー…
 今まで何も感じた事がなかった俺の日常が、機械的、事務的に繰り返して来た夜遊びが、急に気に触る。
 あいつに、この匂いを移してしまいそうで。
 部屋を出て、人の気配がない事に心底安心して、真っ直ぐ風呂場へ向かった。
 熱いシャワーで、いくらか気分がマシになった。
 不快感が流れ落ちて行く、けど、染み付いた夜の匂いは体内にまで浸透していて、どんなに時間をかけても洗い落とせそうになかった。
 クソ怠ぃ…

 髪をタオルで拭きながらキッチンへ向かった。
 すぐに後悔した。
 あいつが過剰に料理好きで、ムダにカネのかかったここのキッチンに感動しまくったから、好きなようにしろと言ったら、この数日で今まで見た事のないエリアへと変化していたから。
 中等部からずっと、このクソエリート気取りの学園寮で過ごして来た。
 どいつもこいつも苦労知らずの温室育ちばっかりだ、自炊してる殊勝なヤツなんか居ねー。
 それなのにムダな部位にカネをかける、上っ面の体裁を気にする大人のやり方がこんな所でも目について、いちいちイラついてた。

 それがどうだ。
 立派に機能している。
 料理なんかわからねー俺でも何となくわかる、使い勝手の良い様に整理されているのが。
 ヤツの私物で埋め尽くされたヤツのテリトリーは、けど、奇妙に落ち着く場所になっていて、それがここへ来た事を後悔させた。
 いっそ、立ち入り禁止にしてくれ。
 テリトリー化してるクセに、何も排除しようとしない、この懐深い気配はなんなんだ。
 辟易しながら冷蔵庫を開け、いろんなもんが見事に整理されて入ってる事に更に怖じ気づきながら、俺が買っといた水のペットボトルを出した。
 
 秩序を乱した様で気まずい想いをし、逃げる様にリビングへ向かいながら、渇ききった喉へそのまま流し込んだ。
 ふと、テーブルの上の物体が目に留まった。
 ラップがかかった皿と紙キレ?
 「美山さんへ」の文字が目に入り、手に取った紙キレ…なんだこれ、「入学式概要」の裏面じゃねぇか…エコってヤツか?
 紙には几帳面な字で、俺宛てに伝言が書いてあった。

 
 『美山さんへ

 おはようございます!
 寝ていらっしゃるようだったので、お声をかけずに出かけます。
 寮近辺でお花見しに行って参ります。
 お弁当という程のものではありませんが、たくさん作ってしまったので、よかったら召し上がって下さい。
 台所のお鍋の中におみそ汁も入ってるので、温めて召し上がって下さいね。
 冷蔵庫に入ってるゼリーは、晩のお楽しみなので、食べてはいけませんよ。
 
 夕方頃に戻ります。
 晩ごはんは武士道の皆と、おいしいおいしい水炊きの予定です。
 美山さんも予定が空いておられましたら、ぜひぜひ参加してくださいね。
 
 前陽大


 追伸、2日酔いには梅干しが効果的。
 食事の前に、一粒どうぞ。
 我が家の自慢の梅干しです。』


 …酒飲んでるの、バレてやがる…
 やっぱり相当な臭気だったか。
 一気に目が覚めた、そのまま、ラップを開けると梅干しが目に入った。
 淡い色合いの、ぼてっとした梅干しを見てると、今にもすげー剣幕で怒るあいつが戻って来そうで、慌てて口に入れた。
 酸っぱい。
 強烈な酸っぱさに顔を顰めた後、程よい甘みが広がって、そのギャップに踊らされて。

 「美味ぇ……」

 妙に安心して、同時に落ち着かない。
 不思議な心持ちの中、メモに従って味噌汁を温めに立った。
 …電磁調理器って、スイッチ入れるだけで良いんだよな…?



 2010-09-23 22:25筆


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