22.世界は円い
いつしか陽は翳り、夜の冷気をまとった空気が漂い始めていた。
赤い目をした渡久山先輩は、それでもどこか吹っ切れたお顔で微笑った。
「引き留めて済まなかった。入学したばかりの後輩に聞かせる話じゃなかったけど…聞いてくれて有り難う」
「とんでもないです…!こちらこそ……その、勝手に居合わせて、勝手なことを言って…先輩に対して無礼の数々、ほんとうにすみませんでした」
お互いにぺこりと頭を下げ合って。
しばらく静止して。
絶妙な沈黙の後、顔を見合わせ、同時に噴き出した。
渡久山先輩の、ほんとうに笑ったお顔は、整った造作がより映えて、とてもきれいだった。
「見られたのが前君で良かった」
すっかり日が暮れそうだから帰ろうと、立ち上がられた先輩は、これから用事があるらしく寮へ戻らないらしい。
そうだ、俺も急がなければ…あの人が待っている。
待ちくたびれた顔を想像しながら、荷物をごそごそと漁った。
「あの…つまらないものですが、夜食やおめざにいかがですか」
お花見のお供やあの人にあげる用とは別に、ちいさな缶に入れて何となく持って来ていた、桜サブレを取り出した。
「貰って良いのかな…誰かにあげる為に用意していたのでは?」
「それとは別に何となく持って来ておりまして…よろしかったら、すこしですけどどうぞ召し上がってください」
「そう…有り難う。さっき頂いた時に美味しかったから気になっていたんだ。君は人の気持ちを慮るのが上手いんだな」
「とんでもないです、恐れ入ります」
いたずらっぽく笑う渡久山先輩に、サブレを受け取ってもらえて、ほっと安心した。
「渡久山先輩、誠に不躾ながら、最後にもう一言勝手なことを言わせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「何だろう?」
きっと、先輩だってわかっていらっしゃるだろうけれど、きれいな笑顔を見ていたら、言わずにおれなくて。
「今夜はたくさん、泣いてくださいね」
きょとんと目を見張られた渡久山先輩に、また、桜の花びらがはらはらと降りかかる。
「俺の母は昔、その道のプロだったと言うか…母の言葉で恐縮なのですが…哀しい時は、とにかくひとりで、身も蓋もなく泣けるだけ泣いて、大いに哀しんで感情を解放した方がいいそうです。もうこれ以上はないというぐらいに、涙が涸れるまで泣いて泣いて、その哀しみを身体中で実感して……我慢して哀しみを抑えてしまったら、次に待ってるいいこと、いい出逢いへ繋げられない、気づくこともできないから。
心の奥に傷を負ったままじゃ、たとえ日常的に忘れられたとしても、ずっとずっと残ってしまうから。
大切な人たちに話して、哀しみを共有するのも大事なことですが、先ずはひとりで泣いて、大いに発散させることが重要なんだそうです」
『恋愛だけじゃないわ。いろんな事に言える。その時感じる感情は、ぜーんぶ、ありのままに自由に感じるの。感じることに良いも悪いもないのよ。ありのままの自分を、先ずは自分が受け止めてあげなくちゃ。それがゆくゆくは自分を信じる事へ繋がる。自分を信じる事ができたら、他者とより深く心が繋がる様になる』
父さんや、母さんにもらった、たくさんの言葉たち。
何度も聞いた言葉たちが、俺を生かし、また外の世界へと繋がっていく。
世の中に、無駄なものは、ひとつもない。
どこかで必ず、なにかと繋がる。
世界は円いのだから。
「若輩者の俺が、勝手を言って申し訳ありません。どうかひとつの方法として、ご参考までに…」
先輩は身じろぎひとつせず、しんと佇んで、桜に降られていた。
ゆっくりと、聞き覚えの言葉が全身に浸透していくように見えた。
やがて、それは静かなため息を零し、憂いを帯びた瞳が微笑った。
「……有り難う。俺はどうも理性を優先しようとするみたいだ…寝れば忘れられると、安易に考えていた所だった。男だから泣くのは女々しい、みっともないと体裁ばかり考えていた…こんな時でも自分を抑える事ばかりだ。そうだな、俺は3年間実によく頑張ったし、悪い想像ばかり働かせて怯える必要はもうない。今夜位は自分と素直に向き合ってみようかな…幸い、寮は防音が利くしね」
「はい!男だって、影では泣いたって良いと想います!…ただ、寝る前に目を冷やすのを忘れないでくださいね」
「はは、そうだね。俺の場合は、眼鏡で大分誤摩化せるけどね?」
「…そう言えば先輩、今日は眼鏡かけていらっしゃらないですね」
「あぁ、あれは伊達だから。風紀の制服みたいなものなんだ」
「???そうなんですか」
眼鏡が、制服…???
寮まで送れなくて申し訳ないと、律儀な渡久山先輩は心配してくださったけれど、笑って大丈夫です!と答えて、先輩と別れた。
先輩の、颯爽とした後ろ姿を見送りながら、たくさん泣いた後はぐっすり眠れますようにと、心から願った。
さて、ではダッシュ!!
急がなければ〜!!
2010-09-16 23:45筆[ 149/761 ][*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]
- 戻る -
- 表紙へ戻る -