16.謎のおっちゃんの呟き


 暫く歩き、足音が遠ざかって行くのを耳で確認し、静かに振り返った。
 一般的な高校生男子にしては小柄な体躯は、しかし、「今時の若者」には珍しく綺麗に背筋を伸ばし、流れる様に歩き去って行く。
 厳しく躾られたのだろうか…
 後ろ姿を見送りながら、ふと、想った。

 都心部の発展、科学技術の発達等に因り、核家族化が叫ばれて幾年月経ったものか、バブル経済の破綻を受けてどれだけの時が過ぎたものか、母親が働きに出る事が珍しくなくなったのは最近だったか…
 絶えず流転する世の中の不穏な動向は、見事に各家庭の内部へ知らず知らず浸透し、子供達へ影響を及ぼす。
 この、隔離された学園でも同様。
 目に見える確かなものだけが絶対で、もてはやされる。

 それは、格付けするのもおぞましい話だが、家庭のレベルが上がるにつれ、絶対的な価値観となる。

 どれだけ多くの資産を有しているか。
 どれだけ多くの世界に名立たるブランド品を、より自然に日常扱いしているか。
 何処に居を構えているか。
 親兄弟親類縁者は何処の学校を出て、何処で働いているのか。
 どれだけのルックスを有しているか。
 家柄、財産、偏差値、経歴、人脈、賞歴、海外渡航歴、ルックス、恋愛歴、所有ブランド品数…
 大人も子供も物質至上主義の下、皆、ひどく公平に裁かれる。
 目に見えるもの、算出できるもので、人間の価値が決められる。

 勿論、ひとつの目安にはなるだろう。
 会話の突破口、糸口にもなる。
 全てを否定するのは滑稽だ。
 今、存在するものに何の罪もない、必要だから存在している。
 ただ、これが全てと決めつけるから、歪みが生じるのだ。
 目に見えてわかりやすい確かなもの、それでわかる事はささやかな情報に過ぎず、真実とは限らない。
 それにしがみつく人間の中身は不確かで厚みがない、それで生じる人間関係も然り、薄っぺらく壊れやすいものとなる。

 空虚なのだ。
 だから誰もが、絶えず不幸を訴える。
 本当に欲しいもの、得るべきものがわからず、常に飢えて枯渇している。
 心の底から満ち足りる幸せを、物質や数値へ求めるから、際限がない。
 上昇志向と言えば聞こえは良いが、それはつまり、無限地獄だ。

 生きながらの無限地獄だ。

 何処まで昇りつめても、充足する事などない。
 休む事もできない。
 自分で自分の首を絞めながら尚、同時に自分を可愛がるものだから、壊れて行く。
 そうして、僕も私も「こんなにも頑張っている」、「個」なんだ、1人の尊重されるべき人間で在るのだと、高いプライドが築かれて行くまま己の事だけで手一杯になり、他を顧みない。
 年齢と身体だけ大人になっても、心は未成熟な子供のまま、あらゆる責任を放棄して行く。
 その余波は、間違いなく子供達へ向かう。
 子は、大人の姿を見て育つ。
 社会の形を見て育つ。
 
 環境や衣食住に如何程恵まれても、子は、正直だ。
 子供の目を、子供の笑顔の有無を見ていれば、世情は容易く浮かび上がる。
 この学園の子供達も、皆、空虚な瞳をしている。
 恐らく彼らの親や保護者、周囲の大人達と同じ瞳をして、永遠に満ち足りない心を抱えながら生きている。
 それは、彼らの生活態度、行動、会話、表情などにつぶさに現れる。
 人間が作った物、数値だけに機敏に反応する、ある意味哀れな子供達…特にこの上流階級から集まって来た子供社会の中では、外界より顕著だった。

 心のない、形だけの礼儀作法、挨拶。
 試験は出来ても、日常には活かされない。
 得た知識は、上辺を取り繕う為だけに使用される。
 他者が傷付く事を恐れない。
 自分が傷付く事には異常な恐怖を覚える。
 
 それでも、彼らが卒業後、放り出される社会は非情で過酷で、ならば仕方がないと想えた。
 人が生きて行く為には、時代に沿った、武器が必要だ。
 昔のそれは、自分に厳しく他者に優しい心だったり、自我を抑える勇気だったり、かけがえのない心友や家族だったり、自然を尊重する為の知識や感性だったりした。
 今は、変わってしまった。
 それは仕方がない。
 万物流転が必然。
 子供らは子供らで、責任を放棄し「個」を主張する大人達から、我が身を護って生きて行かねばならないのだ。
 いつしかまた時代の流れが変わる事を、無力な己は願うしかなかった。

 それが、あの子はどうだ?

 今にも倒れそうな、粗末な形(なり)をした老人を助けようとする生徒は、他に居るだろうか…視界にすら留めないかも知れない。
 ぼんやりと、後ろ姿を追ったまま、立ち竦んで居た。
 振り返らないだろうと確信があったから、考え事を止めなかった。
 ところが…
 随分歩いた所で、少年は、ふと振り返った。
 振り返ったからと言って、まさか気付かないだろう。
 それ程に距離があった、まるで年齢差の様に、遠い隔たりがあった。

 けれど、少年はこちらに真っ直ぐ視線を向け、俄に腰を折った。

 親密な気配の会釈に、目を見張るしかなかった。
 遠目にも、少年が微笑んでいるのがわかった。
 ぼうっと見返して、我に返り、慌ててこちらも軽く会釈した。
 少年は程よい余韻を残した後、去り難い気配ながらまた歩き始めて、今度こそ去って行った。
 時間に追われ、先へ先へと急ぐ現代人の生活だ。
 いかな見識の持ち主でも、振り返る余裕のある者は殆ど居ない。
 この国の、異国からも認められる素晴らしい流儀は、廃れ往こうとしている。
 それを、少年の中に見た。

 小柄でどこにもで居そうな平凡な面立ちの少年に、何かとても大きなものを感じた。

 
 「……本当に、頑張りなさいよ、前陽大君…」


 先刻から振動し続けている、携帯電話を手にしながら、寂寞とした心情に駆られていた。




 2010-09-10 23:01筆


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