47.その時、子供達の心は


 「いけませんっ…!!」


 食堂中に響き渡った、毅然とした声。
 その瞬間、食堂中の人間全員、ハッと我に返っていた。
 陽大と同じテーブルの人間だけではない。
 食事に来ていた生徒達、食事が終わって帰ろうとしていた生徒達、陽大達のテーブルに邪な視線を送る食堂に用のない生徒達、忙しく立ち働いていたウェイター達、厨房の人間…
 すべての人間が、その叱責に、全身全霊の意識を傾けていた。

 それ程に、圧倒された。

 真摯な語りに。
 真剣に哀しんでいる瞳に。
 必死な声に。
 取りたてて目立つ特徴のない、平凡な容姿の小柄な少年が発する、凄まじい熱量に、全員が圧倒されていた。
 少年の叱責の言葉、その根底に、無償の愛があったから。

 「あなたのために」叱っている。
 己の利益や損得勘定ではない。
 他でもないあなたのために。
 あなたの過去を作り、現在を形成し、未来へ繋がっていく、大切なことだから叱っている。
 敢えて、叱責の形を取っているけれど。
 あなたのことが、心配だから。
  
 延々と続く言葉の、ひとつひとつが、心に染み渡る。
 
 ある者は目頭を熱くさせ、ある者は胸に手を当て、ある者は見ていられないと俯いて、ある者は震える拳を握り、ある者は二の腕を抱いた…
 食堂中の人間の心は、奇しくもひとつの魂の叫びになっていた。


 (((((お母さん…!)))))


 この学園の生徒達は、いずれ劣らぬ名家の出だ。
 これに従属する大人達も同様の出自か、或いは特別に徹底されたカリキュラムを経て学園に存在していた。
 故に、食事の作法1つ取っても、それは厳しく教育されている。
 それぞれの両親や目上の兄、姉、ないしは祖父母、従兄弟等の身内関係か、もしくは生徒達の大半が乳母や爺、執事や専用の教育係、或いはマナーの先生、料理長…
 各家庭、どんな大人が彼らの食事の作法を教育するかは異なる。

 陽大に母性を見出したと同時に、彼らは、食事について厳しく教え込まれた、かつての記憶を呼び起こしていた。

 好き嫌いなく何でもバランス良く食べなさい。
 しっかり食べない子は、立派な大人になれませんよ。
 世界は広く、飢餓に苦しむ国がある中、食事できることは幸せなことですよ。
 大人になったら、様々な人と食事する機会が増えるのだから、きちんとマナーを身に着けなさい。
 食べ物を粗末にしたら罰が当たりますよ。
 あなたの為に作ったのですよ。 

 幼かった自分に、根気強く教えてくれた大人達…

 なのに、我が儘言って泣いて、困らせたこともあったっけ…
 しまいには大人達が怒って、お仕置きされたこともあった…
 ごはんを食べずに、反抗心でおやつを食べたこともあったな…
 我が儘言って、それを受け入れられた方が辛かった…
 食べない自分の代わりに、食べてくれたこともあったよ…
 どうして怒ってくれないのか、試したこともあった…
 捨てる羽目になった料理を見つめる瞳、後ろ姿、「気に為さらないで下さい」と言った寂しそうな声… 
 怒られることを愉しんで、わざと困らせたりもしたっけ…
 食べ終わるまで、テーブルを離れることは許されなかった… 

 いろいろな、それぞれの想い出と共に去来するのは、昨日までの春休みの時。

 自分が高校生になった分、年を取った大人達の姿。
 まだまだ負けないと、自分の前では気構えが相変わらずで、厳しい言動や気難しい説教ばかりして、正直ウザいと想ったけれど。
 時折、さり気なく腰や肩を押さえる仕草とか。
 自分が見ていないと想って、ため息を吐く姿とか。
 「まだまだ…あの子が大人になるまでは」と、大人達はいつでも自分達のことを想ってくれている。
 元気な内は気弱な所を見せまいと、懸命に意地を張ってくれているじゃないか。
 自身が知り得る生きる為の知恵を、必死に伝授しようとしてくれているではないか。

 それなのに、自分は今、何をしている?

 少しの孝行もしていない。
 「ありがとう」と伝えてもいなければ、態度で示すこともない。
 帰省の時も、ふらふら遊んでいた。
 親の付き合いに顔を出しただけ偉いだろうと、ふんぞり返っていただけだ。 
 心のどこかでは、大人達をバカにしていて。

 厳しい教育を、ものにした気でいた。
 どこがだ。
 何もわかっていないではないか。
 食べ物を粗末にしている。
 食べられることに、感謝していない。
 与えられることを当たり前だと想い、与えられ続けることを無意識に望んでいる。
 何もわかっていない。
 何ひとつ、身についていない。
 物事の上辺だけ掴んで、全容を制覇した気でいる。

 何をやっているんだ…!!


 陽大は、言葉の最後、騒がしくしたことを謝罪したが、殆どの生徒はその時点で上の空だった。

 ある者は食堂を出てすぐ、実家に電話をかけていた。
 ある者はメールを作成していた。
 ある者は手紙を書くべく、寮へ走り帰っていた。
 ある者は食べきれずに残した料理について、ウエーターに頭を下げていた。
 ある者は今後の為に、本当に食べられないものを、ウエーターに相談していた。
 ある者は友人同士で、食べられないものをカミングアウトし、少々行儀は悪いが残すよりは…と、お互いに助け合って食べ合い、お皿を空にしていた。
 手の空いているウエーター達は、今後の食堂の在り方をミーティングすべきだと語り合った。
 厨房でもそのミーティングに参加する意向を示し、学園へ提起すべきだと心を決めていた。 

 陽大の叱責の矛先は、天谷悠個人に絞られていたのだが、何故か食堂中の人間の心に波紋を広げていたのだった。

 そして。

 最も近くで、陽大のまるで母性溢れるが如き叱責を耳にした、テーブルを共にしていた生徒達は……



 2010-07 28 23:07筆


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