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ありえない

ありえないありえない

ありえな・・・い



とにかく急いで服を着た俺はここから逃げることを考える。目の前の変態は少し困ったように、それでも顔は笑っていて、それがまた俺をイラつかせる。

だって、ありえないだろ?
別に、同性愛を否定するわけじゃないよ。だって恋愛は自由だ。問題はそこじゃない、問題は俺がノーマルだってこと。ゲイでもバイでもない。


俺が好きなのは、女の子。



悶々とした思考がどんよりと俺の頭を埋め尽くす。そんな中で至って普通に話しかけてくるコイツはやっぱり頭がおかしい。



「ね、コーヒー飲む?何なら朝ごはんも作るよ?」

「…帰る」



そうだよ、とにかくここから逃げなきゃ。また何されるかわかったもんじゃない。
床に転がっていた荷物を拾い上げて足早に(といっても腰が痛いので、俺の精一杯の早足で)部屋の出口、変態の横をすり抜ける。
腕でも引っ掴まれて引き止められるかと思ったが意外にもすんなり部屋を出れた。

玄関で靴を履いていると後ろに人の気配。

でもここで振り返ったら負けだ。


「・・・」

「・・・」


黙々と靴紐を結ぶ間、互いに何も喋らない。
履きにくいスニーカーを履いてきた事を少し後悔した。


「ねえ、何そんな怒ってるの?」


ようやくスニーカーを履いたところで声がかかる。ナニってお前、怒るだろ普通は!どうしてこいつはこんなにへらっとしてそういうことを聞けるんだ!

ああそうかホストだもんな。
こんなの別に珍しくないよな。

そう考えるとさらに腹が立ってきて、しかしそれと同時に悲しくなる。

あれ?何で悲しいんだ俺。

「・・・・・」

「・・・・・」


無言のまま振り返らない俺に、痺れを切らしたのかさらに「ねえ」と声をかけられ今度は肩に手を置かれた。

正直振り返るのは嫌だったけれど、聞こえた声があまりにも真剣な声で、振り返らなきゃいけない気がして振り返った。

そして目の前にあるソイツの顔が予想以上に真剣で、思わず息を呑む。


「…何」

先を促す声をかければ、彼は一息ついてから尚も真剣な表情で続けた。



「俺、言ったよね?本気で君のこと好きだって。」

「・・・」

「それを承知の上で君は俺の誘いを断らなかった。だから俺は少しくらい俺にもチャンスがあるんだって思ってたんだよ。昨日だってそうだ、・・・酔ってたなんて言い訳は聞かないよ」




“向こうは絶対期待してるよ”

そこでまた、昨日の友人の言葉を思い出した。


確かに俺も悪かったのかもしれない。
けれど、だからってまさかこんな目にあうとは思っていなかった。

一方的な言い分に次第に募る苛立ちが、つい口に出てしまった。


「・・・前から思ってたんだけどさ、俺のどこがいいの?」

「・・・」


予想以上に震えている自分の声に少し驚きながら、しかしどんどんと溢れてくるドロドロしたものは止まることを知らない。


「俺、男だよ?何がいいの?どこが好きなわけ?俺のことなんて何も知らないくせに・・・だいたいっ!ホストなんだから、他に可愛い女の子だっていっぱい言い寄ってくるんだろっ。そんな子ともどうせ遊んでるくせに!俺のことだって、ほんとは、からかってるだけじゃないの?!」


思わず声を荒げる。
だってそうだ。
出会ったのなんかついこの間で。しかも別にお互いのことについて深く情報を交換したわけでもない、今だって俺は彼についてなにも知らない。誕生日すら。

回りに可愛い女の人がたくさんいるのに、それで男の俺が好きだなんて言われても、正直俺の何がいいのかわからない。俺のどこを好きになった?何も知らないくせに。



睨むように相手を見つめると、彼はそれに臆することもなく真剣な表情で見つめ返してくる。そして紡がれた言葉に俺は何も言い返せなくなってしまった。




「・・・結局は、男だからダメなの?」

「―え」

「男は男を好きになっちゃダメなの?そもそも好きになるのに明確な理由って必要かな?一目惚れとか経験ない?そういう感覚的なものって許されないの?」

「それは・・・、」

「・・・もういい。結局俺の好意は君にとって迷惑なだけだったんだよね。ごめんね、もう連絡もしないから、安心しなよ。」


あっさりと告げられた別れ。
その言葉をいやに冷静に受け止める自身がいた。



彼はそこまで言って言葉を区切ると、スッと目を細めた。それは今まで俺を見ていた穏やかな目ではなくまさに敵を見るような鋭い目。そして吐き捨てるようにこう言った。


「でも、ホストだからっていう理由だけでそういう風に見られてたなんて、すごく、ムカつくよ。」



そこで初めて俺は言ってはいけないことを口にしたのだと思った。しかし言ってしまったものは消せやしない。

結局俺は何も言えないまま、部屋を後にした。



自然に家に向かう足が早くなる。


濁った空と冷たい空気にあたってだんだん冷えてくる思考回路。


頭を掠めるのは最後に見た彼の顔。そして思い返す自分の今までの行動。




“いつか絶対痛い目見るよ”


追い討ちをかけるような友人の言葉。



思わず足を止めた。


“何も知らないくせに”


ああ、そうだ。何もしらないのは、俺だって同じじゃないか。
何もしらない。
彼がホストをしている理由だって。なのにあんな、わかったようなこと、言って。


好きだ好きだと言ってくる彼を煩わしく思っていたし、無意識に男という時点で異常視していたのかもしれない。何が同性愛を否定してるわけじゃない、だ。
めちゃくちゃ偏見を抱いているじゃないか。
否定、してしまっているじゃないか。





「…バカだ」




誰に言うわけでもなくそう呟いた言葉は、突然降り出した雨の音にかき消されるほど小さく弱弱しいものだった。







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