サービスデー
露西亜寿司―
ここのお寿司はおいしい。
その名の通りロシア人が握っている変わった寿司屋だけど、ネタは新鮮だし店員はいい人ばっかだし、ちょっと割高だけど行って損はないお寿司屋だと思う。
そんな露西亜寿司には月に1度のサービスデーというものがあり、美味しい上に普段より安いということでいつもより人で賑わう。
そして今日はその月に1度のサービスデーの日。
だからといって別に行く気はさらさらなかったんだけど…。
「ウマイヨー安イヨー!今日ハ露西亜寿司ノサービスデーネ!オ嬢サンドウ?」
「ひっ―…!?」
「サ、サイモン?」
いつもより3割増しくらいの勢いでチラシをばら撒くサイモンを見つけてしまい思わず立ち止まったのが事の始まりだ。
「オオ紀田!寿司食ウネ、寿司ハイイヨー。今日ハサービスデーネ!」
「え、いや、ちょっと??サ、サイモーン?」
というわけで有無を言わさぬ勧誘で連れてこられたのは露西亜寿司のカウンター。
「紀田、遠慮イラナイヨ!何食ウ?何食ウネ??」
「あー・・・じゃあ、とりあえず1番安いの。」
「オーウ紀田、遠慮シナイデ!今日ハサービスデーダヨ??」
いくらサービスデーだっつっても学生には高いんだよなー。そんなわけで贅沢は言えない。
「サイモーン、ちょっと俺トイレ行ってくる」
軽くため息をついて席を立つ。後ろで何か言ってるサイモンを若干スルーしつつ、トイレに向かう。
まさかこれが地獄への始まりだとは露知らず―、
「はぁ。・・・―ん?」
トイレから出てきたところで聞きなれた声が聞こえ、ちらりと目をやる。
「あれ?紀田くんじゃないすかー!」
「え、どこどこ?あ、ほんとだー!おーい、紀田くーん!」
距離にして若干15メートル。正直そんなに叫ばなくても聞こえているがあえて反論はしない。
それが正解。
「遊馬崎さんに狩沢さん、お久しぶりっす。今日はお2人ですか?」
「ううん、ドタチンたちを待ってんのー」
「なんてったって今日は露西亜寿司のサービスデーだからね〜」
なるほど。考えることはみんな一緒、か。
そんな目の前の2人組は文庫本を片手にああだこうだと話し始める。
ちょ、声かけといて放置プレイですか。
目の前で繰り広げられる未知な会話に着いていけず、挨拶もそこそこにカウンター席に戻ろうとそちらに目をやればなぜか見知った人物が2人。
「あ?何だ、紀田じゃねえか」
「おお久しぶりだな!元気だったか〜」
「お久しぶりです、静雄さんたちもサービスデー狙いですか。」
「何だよサービスデー狙いって。」
「はは、まあそんな感じだけどな〜」
恐るべしサービスデー。
仕事終わりなのかスーツ姿で寿司を食べる2人は、若干浮いている気がしなくもない。とりあえず俺も注文した握りを食べ進めることにした。
静雄さんたちと他愛ない話で盛り上がり、結局お会計はトムさんが出してくれた。
「何かすいませんでした、奢ってもらっちゃって…」
「いいっていいって、今日はサービスデーだし。な、静雄?」
「ああ、トムさん太っ腹だから気にすんなよ。久しぶりに話せて楽しかったしな。」
「ほんと、ありがとうございます。」
何気に俺は静雄さんとトムさんが好きだ。
会話は楽しいし、何より話していると静雄さんの意外な一面が垣間見えたりするから。
池袋最強と恐れられるこの人も、楽しければ笑うし、恥ずかしいときは照れるし、そんな意外な一面を見るのが好き。
…って何思っちゃってんだ俺。
「じゃあな、最近この辺物騒だから気ぃつけて帰れよ。」
「…はい、気をつけます。じゃあまた。」
赤くなる顔を隠しつつ2人に別れを告げる。
午後11時、俺は露西亜寿司を後にした。
大通りを抜けて薄暗い路地に入ってしまえば、先ほどまで聞こえていた人で賑わう声も、もう聞こえない。
必然的に早くなる足。
この辺りは何かと物騒で、噂でしか聞いたことはないが、この間も通り魔が出たらしい。
襲われたって一応それなりに対処できる自信はあるが、やはり襲われないのが1番。
そんなことを考えていた矢先。
「うわ―っ!!?」
突然顔の両側から伸びてきた手によって視界を遮られる。慌てて振り払おうと足掻くがどうにも相手のほうが力があるようだ。
「このやろ…っ!!!」
とりあえず、思いっきり肘鉄をお見舞いしてやろうと構えた瞬間、
「ふふっ、さて私は誰でしょう」
「い、臨也さん!??」
聞きなれすぎた声が耳元を掠める。俺が名前を呼べばあっさり離れていく腕。
それと同時に勢いよく振り返る。
「な、なんでアンタがここに…っ」
「何でって、今日露西亜寿司のサービスデーじゃない?俺、人間の次に寿司ラブだからさー」
「まじっすか」
人間の次に寿司って、どんな順位だよ。
「ほら、正臣くんにもお裾分けしてあげようと思って声かけたんだよ?俺っていい人だよね。はい、アーン。」
「アーンて…」
嗚呼恐るべし露西亜寿司のサービスデー。
目の前で寿司の包みを開けて大トロを差し出す臨也さんを見て、半ばやけくそに口を開いた俺。
強烈な山葵が鼻を突いたのはそれから3秒後だった。