「どけんがいたいから、ちょっと休憩しようよ」 名字名前の言葉に、観月はじめは目を丸くした。首を傾げじっと見つめると、「ああ!」と気付く。 「ごめん、『かかとが痛い』って言ったんだ」 「どけんには、かかとの意味もあるんですね」 「おじいちゃんおばあちゃん位しか使わないけどね、カットバン持ってない?」 「……カットバン?」 「……絆創膏のことデス。九州では伝わるのに!」 連続しての失態に、気まずさから顔を背ける。それに観月は苦笑を浮かべ、一先ず喫茶店に入ろうと促した。 「本当、面白いですね」 「これが標準語だと思ってた」 「イントネーションも逆ですし」 「えっ、間違ってる?」 「間違ってはいませんよ、ただ違和感を感じるだけで」 「感じるんだ」 美術館内にある喫茶店に入った観月と名前は、入口近くの席に座った。着いた途端名前は靴を脱ぎ、痛みに顔をしかめる。どうやらまめが潰れていたらしい。観月はバックの中から絆創膏を取り、名前に手渡した。 「あいがと」 「どう致しまして」 「ついでにはじめもレッツ方言」 「ついでの使い方、間違ってますよ」 軽く交わすと、絆創膏を貼りながらチッと名前が舌打ちをする。もしもテニス部員にされたら観月の怒りに触れていたが、名前にはもう慣れたもので笑いしか出て来ない。 そもそも名前とのファーストコンタクトが、衝撃的過ぎたのだ。三年の春に転入してきた名前と同じクラスになった。そして掃除担当場所が同じ教室になり、色々あり教室内に二人きりになった時だった。 『あの、ラーフルクリーナーってないんですか?』 『……はっ?』 『その、これ綺麗にしようと思って……』 怖ず怖ずと言った風に問い掛けてきた名前の言葉に、観月は目を丸くした。それにどう勘違いしたのか、名前は手に持っていた物を観月に掲げて見せた。 どの学校にも必ずある、黒板消しを。 『鹿児島では、黒板消しのことをラーフルと言うのですか?』 『……えっ、ラーフルじゃないの?』 『僕は初めて聞きましたよ』 『うっ、うっそだぁ!』 『僕が山形出身だから、かもしれませんが』 『えっ、山形から来たの?』 『ええ、去年の夏に転入してきました。テニス部の為にね』 『ふーん、そうなんだ。……あっ、えっと、観月、君だっけ?』 『ええ、観月はじめです。そういえば、こうして話すのは初めてでしたね』 『うん、宜しくね』 結局その後、黒板消しのことをラーフルと呼ぶのは鹿児島だけだと分かり、名前は酷く落ち込んだのだが、それ以来観月と名前は互いを名前で呼び合う程の仲になるまで親しくなっていった。 「んふ」 「何?」 「いえ、名前と初めて話した時のことを思い出しまして」 「……ああ、ラーフル。未だに信じられないんだけど」 店員を呼び、紅茶を二つ注文する。去っていく店員の背中を眺めながら、名前は不満そうに顔をしかめた。それに観月が小さく笑うと、益々しかめっつらになる。 「笑うな」 「無理です」 「こんわろ……!」 ぐっと握りこぶしを作り、観月の頭に落とそうとした時だった。店の出入口付近で、小さな男の子の泣き声が響き渡ったのは。 「おや、迷子でしょうか」 「んだもしたん、ぐらしかね」 「……何語ですか?」 「……無意識の鹿児島弁デス」 えーんえーんと泣き叫ぶ少年の声に、名前が立ち上がる。目で問い掛けてきたので頷き返すと、名前は少年の元に向かって行った。 「……お人よしめ」 名前の背中を見つめながら、ぽつりと呟く。恐らく名前は少年が親と再会するまで、離れることはないだろう。 その間暇ですね、と欠伸が出そうになった時、ポンと肩を叩かれた。 「やあ、観月。今の彼女かい?」 「……っ、幸村君!?」 振り向くと、立海の幸村が満面の笑みで立っていた。何故東京の美術館に、と驚き固まっている内に、名前がいた場所に座られる。どうやら居座る気でいるらしい。 「今日はね、ここの絵画展を蓮二と見に来たんだ。そうしたら観月を見付けてね」 「……彼女は友人ですよ」 「そうなのかい? 随分仲よさ気だったけど」 「……一応、親友のカテゴリに入っているのでね、んふ」 誤解するな、と全面に出しながらアルカイックスマイルを浮かべる。観月と名前は、お互いに純粋な友情しか抱いていない。こうしてデート紛いなことをするが、単純に『親友との遊び』でしかないのだ。 幸村は納得したのか、そうとニッコリと笑った。観月と同じく中性的な容姿をしている為、遠目から見ると女の子にしか見えない。 「良かった。初恋が散らなくて」 「初恋?」 不思議な単語に、観月が眉をひそめる。幸村はただ笑うだけで、何も答えようとしない。観月が追及しようとした時、予想よりも早く名前が慌てた様子で帰ってきた。幸村に気付かず観月の前に立ち、ブンブンと両腕を振る。 「はじめはじめ、よかちごの目が!」 「おっ、落ち着いて名前、どうしたんですか?」 「きのって会ったよかちごと会ったの!」 「全く分からない」 「……これが、鹿児島弁?」 混乱しているせいか、名前は方言を話していることに気付いていない。観月はまだ慣れているが、初めて聞いた幸村は目を丸くしている。深呼吸させ落ち着かせると、名前は観月の隣に座り事情を説明しだした。 「きのって道案内したよかちご君と、さっきそこで会って」 「きのって? よかちご?」 「……この前道案内した美少年君と、さっきそこで会って!」 面倒臭い、と吐き捨て名前は息を整えた。だが観月も同じ気持ちである。 「迷子君を受付まで一緒に連れていったら、この前のことのお礼を言われて、そして……」 「そして?」 「……された」 「はっ?」 「だから、告白された!」 私どうすればいいの、と名前が叫ぶ。だが観月にさえ分からない。寧ろ己がどうすればいいのか聞きたいくらいだ。 「知るか」 「一緒に考えてよ! よかちご君の目が可笑しくなったんだよ!?」 「寧ろ頭が……」 「『寧ろ頭が可笑しくなったんでしょうね』とお前は言う」 突然、言葉を遮られ盗られる。ギョッとして名前の後ろを見ると、いつの間にか柳蓮二が立っていた。立海生気配なさ過ぎです、と叫ぼうとし、だが柳の目を見て言葉を飲む。普段は閉じられた目が開き、観月を射抜いていた。その瞳に映るのは、暗く燃え上がる嫉妬の情。激しいそれに、無意識に唾を飲み込む。 『良かった。初恋が散らなくて』 幸村の言葉が脳裏を横切った。まさかと目を向けると、ニヤリと笑い返される。 「名前」 「ごめんなさい、よかちご君。私じゃおはんに釣り合いません」 「それは俺が決める。一先ずこっちで二人で話をしようじゃないか」 「ちょっ、ないすっと!?」 まさかすぎる展開に唖然としていると、名前が柳に腕を捕まれ店の奥に引きずられて行った。なす術もなく呆然と二人が去った方を見ていると、幸村におーいと目の前で手を振られた。それに我に返り、柳達の方を指差す。 「なっ、なっ……」 喋ろうとしたが、衝撃が大きすぎたらしく言葉として出て来なかった。数回口を開閉し、額に手を当て深くうなだれる。店員が注文していた紅茶を持ってきたので、幸村が代わりに受け取った。観月の前に一つ置き、名前の分をさも当然の様に飲む。 「と、言うわけだから、頑張ってね、蓮二にライバル視されちゃった観月」 「……柳君の趣味が分からない」 「俺にもさっぱりだよ」 「僕は名前の親友なのに、何で嫉妬されないといけないんだ……!?」 「傍から見ると、恋人同士だからじゃないかな?」 「意味が分からない……」 「ふふ、大変だね。お疲れ様って、鹿児島弁でなんて言うか知ってるかい?」 心底この状況を楽しんでいる幸村の無邪気な笑顔に、観月は机に突っ伏した。親友と遊びに来ただけなのに、何故か親友の恋路に巻き込まれてしまうとは、誰が想像しただろうか。こんなの僕のシナリオにない、と思いつつも、幸村に名前が以前言っていたのを思い出し、教える。 そう、と幸村は笑った。その笑顔が妙に輝いているのは、気のせいでないはずである。 「おやっとさぁ」 ああっ、テニスを思い切りしたい。現実を忘れる位打ち込みたい。非常に面倒臭い三角関係の一員になってしまった観月の苦労は、ここから始まったのである。 *** 方言解説 (※本文中でされていないもの) 「あいがと」…ありがとう 「こんわろ」…こいつ、この奴 「んだもしたん」…あらあらまあ 「ぐらしかね」…かわいそうにね 「おはん」…貴方 「ないすっと」…何をするの |