■先生に伝える
薄暗い部屋で、触れ合うだけのキスをして。
「……せんせい」 「どうしたの?」 「先生は、私と付き合って、後悔していない?」
どうしても不安で不安で仕方が無くて、そうポロリと出た不安の形が、先生の膝の上に転がる。
「どうして、そう思うの?」
小さな小さな私を拾い上げた先生は、優しく、優しく、そうやって私を見つめて問い掛ける。
「あの子も、先生のことが好きだった」
絞り出した私の声は、みっともなく震えていて、最後は掠れていて。なのに先生は、そんなみっともない音でも、一つの音も聞き落とす事はなく。
「それは知っているよ。君は……、紗織は、あの子と僕が付き合えばいいと思ってるの?」 「そ、れは……ちがう」 「うん。君は僕の事を大好きだからね? 僕も、君のことを愛しているから、ほかの人の所に行って欲しくないのは同じだよ」
少しだけ意地悪な色を混ぜた先生の瞳が、私を捕らえる。蜘蛛の糸みたいに、私の体に絡まったその視線は、甘くて、少し苦くて、でも嫌じゃない。
「せ、んせ……」 「うん……悪くはないけど、もう僕は君の“先生”じゃない」
愛おしそうに、壊れ物でも扱うみたいに、私の髪に手のひらが撫でて、耳元で小さく音を立ててキスをされる。 ぴくりと揺れた肩に、先生の大きくてあつい手が滑り落ちてきて、私の頬が朱に染まる。身体が火照ってくる。
「あ、せん……」 「違うでしょ?」 「っ……」
唇同士が、触れるか触れないかの距離で、先生が囁く。湿ったあつい唇に、先生の吐息が触れて、それだけで脳が溶けてしまいそうな感覚に陥って。
「紗織?」 「た……貴文、さん」 「うん、よくできました。偉いですね」 「ぅ……ん、っ」
さっきみたいな子供みたいなキスじゃない、先生の言う“大人の”キスはまだ慣れなくて、酸素を求めて開いた唇は、先生に吸われて、食べているんじゃないかってくらいに貪られる。 一緒に私の考える余裕も全部、先生に抜き取られてしまうみたい。くらくらとして、少しだけ苦しくて、もっと気持ち良くて、先生のことしか考えられない。 今の私の顔、どうなっているのかなあ、なんて呑気なことも考えられない程に、私は先生の虜ってやつなのかも。
「……おや、少しだけ先生、大人気なかったですか」
反省も後悔もしていない先生は、私の火照った頬に指を滑らせて、私を見下げる。 先生の頬も、少しだけあかい。 そのことが嬉しくて、笑みを浮かべたら、瞼にキスが落ちてくる。
「今、先生のこと少し近くに感じましたか?」 「え……」 「僕は近くに感じました。君の顔、すごく色気が出てた」 「っ……う」
吐息を多く含んだ先生の声が、私の脳をくすぐって、言葉に詰まる。
「……先生、おやじくさいです」 「ああ、ひどい。まだそんなに行ってません」 「こどもみたい……」 「や、おやじくさい子供なんて、先生は嫌です」 「ふふ」
ムッとしたように頬を膨らませる先生が、少しだけ若く見えて笑いが自然と出てくる。 拗ねながらも、怒ろうとせず私を見つめた先生にキスをして、ぎゅっと抱きしめる。
「……貴文、さん」 「はい」 「すきです、だいすきです」 「僕も、君のことを……紗織のこと、大好きです」
先生のふわふわな髪が頬に当たって心地いい。先生の大きなあたたかい身体が、まだ小さな私を包み込んでくれていて、気持ちがいい。 すきを形にするのは今私には難しいけど、いつか先生を越える大人になったら、その時は大好きだよって伝えたい。
広い背中に回した腕が、いつか届くようになるまで。 その時までは、まだ私の出来る表現で。
「ずっとだいすきです、先生」
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