■積極的
前方に見える大きくて私より幅の広い背中を、思い切り引っ叩いた。 その直後には気持ちのいい音と共に低くて短く呻く声が降り掛かる。
「痛ッ」
ニコニコとして叩いた手のひらをもう一方の手のひらと合わせ、ゴメンネ☆などと可愛らしく謝ってみるが、その口は何も発すことなくしばらくの沈黙のあとハァと長い息を吐いた。
「何やってるんだ」 「え? ゴメンネって」 「違う。なんで叩いたんだよってこと」 「そこに背中があったから……」
佐伯くんがチョップをしようと手を振り下ろしたところで華麗に回避。何回も受けていればそのうち避けることも出来るようになるのだ。 フフンみたか佐伯! と言う誇らしさと、高校でこんなくだらないことしかやってなかった自分の情けなさが入り混じってよくわからない気持ちになる。
「きっ……貴様、避けたな?」 「フハハハ! サエテル! おまえの行動は全てお見通しだ!」 「な、なん……だと……!? クッ! 覚えていろ! ……で、ホントはなんで叩いたんだよ?」
どこぞのRPGの雑魚キャラのような台詞を言い切った佐伯くんは、私を見下げた。
「だから、そこに背中があったから……」 「ふぅんそうなんだ。それで、ホントはどうしてなの? 教えてくれないかな?」
周りの女の子達に話し掛けるようなにこやかな笑顔、声のトーンはいつもより高く。猫被り王子を出してきた佐伯くんに一瞬顔がひきつる。
「……わかった言うから、ヤメテ」 「早く」
言うと言った途端急かしてくる佐伯くんに溜息が出そうになる。
「立ち話は疲れるから、喫茶店行こう!」 「お疲れですか? ゆったりとした時間を過ごせる海辺の喫茶店、珊瑚礁へお越し下さい」 「……もう公園でいいから」
途中自動販売機でそれぞれ好きな飲み物を買い、佐伯くんと二人並んで公園のベンチに座る。 缶を傾けて喉を潤していると佐伯くんが頬に缶を押し当ててくる。
「冷た! 何!」 「何じゃない。俺店あるから遅くまで話してられないんだよ」 「あ、そっか。えーっと、何て言えばいいかな」 「なんでもいいよ、伝わるなら」 「うん、じゃあね、人間って恋をしたら痛みに鈍感になるんだって」 「へー」
自分から聞いたくせして、まるで興味が無さそうな佐伯くんをもう一度引っ叩きたくなる。
「だからさ、ほら。さっき私、思いっきり叩いたけどそこまで痛くなかったでしょ」
「…………」
ジロリとした佐伯くんの目が私に訴えかける。
「いやいや冗談じゃないから」 「いっそ冗談って言え。言いなさい」 「いやいやいや」 「いやいやいやじゃない」
冗談だと言え言えと言い続ける佐伯くんを無視して、私は言葉を探す。
「うーんとね、だからね、恋をしたら痛みに鈍感になるんだってば」 「さっき聞いた」 「さっき話した。だから、さっき叩いたときいつもより痛くなかったでしょ?」 「痛くしたくせに何を」
即答されて言葉に困った。そりゃあ痛くなるように叩いたから痛いに決まっているし、佐伯くんもそれに気付いている。
「……ゴメン」 「よろしい。……あ、でも跡残ったらよろしくない」 「ゴメン。跡残ったら毎日アロエでも塗ってあげるから」 「いらない」 「スミマ千円〜」
空になった缶のプルタブを外して見てみてウド〜とやれば即座にチョップが飛んできた。 ムスッとして空き缶のウドさんと見つめ合っていると、佐伯くんもプルタブを外して見てみてウド〜と私をからかってきたので脇腹に軽いチョップを飛ばした。
「単刀直入にどうぞ」 「佐伯くん恋してるよね」 「……してない」 「今の間が怪しい。絶対してるな」 「してない」 「嘘つきは泥棒の始まりだよ」 「じゃあおまえは? そんなこと聞くおまえが恋してるんだろ」
ズバリと探偵が名推理を披露した後のようにキリリとした佐伯くんをじっと見つめる。と、すぐに目を逸らされる。
「私はね、恋してるんだよね。だから佐伯くんからチョップされても蚊に刺されたくらいの痛みかな」 「そうかそうか、なら特別に頬でも抓ってあげようか」 「イラナイ」
缶を置いて抓る気満々のように腕も捲り出す佐伯くんと距離をとる。 流石に佐伯くんのチョップが蚊並だというのは嘘だとしても、恋をしているのは本当だ。それと、佐伯くんがどこかの女の子に恋心を抱いているのもきっと間違っていない。 最近、佐伯くんが時折見せる物憂げな表情を思い出してはパパッと頭から掻き消す。 つい漏れそうになった溜息を唇で押し留めて少しだけ視線をずらす。
「…………」
微妙な距離の私と佐伯くんの間に沈黙が流れようとする。 なにか話題を見つけて、話をするべきだとはわかっている。話題を、話題を。 こんな空気は慣れない。普段から生活していればこんな空気になることもないし、なった経験も少ない。 チラリと佐伯くんを普段はしない覗き見ということをしてみれば、向こうも同じようなことをしていて更に言葉を失う。
「……ああ〜」
不意に横からやけに気の抜けた声が聞こえた。声の主は当たり前のように佐伯くんでガシガシと頭をかいていた。
「珍しい。髪が乱れるのに」
思ったことを素直に口にしたらまたチョップが飛んできそうになってきゅっと目を瞑ってしまえば、その手は私の頭にぽすんと乗っかる。
「なに」 「なんでも」
そのままガシガシと同じように髪を乱される。特に気にしないがあまり乱れると直すのが面倒だ。
「ちょっと佐伯さん?」 「なんでしょうか」 「髪が乱れるんですけど」 「乱れても対して変わらないと思いますけど」 「どういう意」
意味くらい聞かせてくれたっていいのに、この佐伯くんは。私が言葉を言い切る前に私をまるで物みたいに荒く引き寄せて唇を。 唇を。
「〜!?!?」
ベシベシベシと音がしそうなほど佐伯くんの右手を叩いて、ギュウと音が出そうなほど佐伯くんの脇腹を抓ってみると、痛いんだけど、と若干不機嫌な佐伯くんの声が聞こえた。
「痛いんだけどじゃないんだけど」
離れて開放された口から不満を漏らせば佐伯くんは鼻で笑う。
「おまえも叩いただろ」 「さっき許したんじゃないの」 「よろしいとは言ったけど許しましたとは言ってない」 「知ってる聞いてないから」
踵で地面を蹴っているのがバレて足を抑えられる。セクハラ! と睨めば下心がないからセクハラじゃないと返されて軽く腹が立つ。
「なに、なんのつもり」 「なにが」 「なにがってそりゃ……」 「恋がどうとか話出されたから」 「なにそれ」
佐伯くんは恋愛の話を出されるたびに、その子の唇を自身の唇で塞ぐんですか。 望んだ答えがなかなか返ってこなくてもどかしい。
「……単刀直入にドウゾ」 「紗織が俺のこと好きみたいだから」 「単刀直入じゃない、やりなおし」 「ハァ……俺がおまえのこと好きだから」 「嘘はいらないからやりなおして」 「無理。何回聞かれても変わらない」
下唇を噛んでも痛いだけなので、その分まだ私の肩口に置かれている佐伯くんのかたい腕をおもいきり握り締める。
「そうなんだー、やっぱり恋してたんだー」 「してた。よくわかったな?」 「……付き合い長いですから」 「嘘つきは泥棒の始まりなんだろ」 「………………」
じっと目を射抜かれるように見つめられて言葉に詰まる。さっきまでの、ウドさんのときの、悪役サエテルのときの空気を返して欲しい。 心なしか息も詰まりそうになってくる。外なのに酸素が足りない。
「ず……」
さっさとこの話を終わらせてしまえばきっと戻るだろうと踏んで、必死に、思いを言葉にしようとしてみるけど。
「…………」
やろうと思えば思うほどうまくいかなくてもどかしい。深呼吸をして心を落ち着かせて前を向くと佐伯くんの顔があって、深呼吸も無かったことのようにまた頭がハッキリとしなくなる。
「……ずっと見てたんだ、佐伯くんのこと」
何度か繰り返した深呼吸のおかげか、少しだけ落ち着いた心臓と頭でそう答えると、待ちくたびれたとでも言いたそうな顔で佐伯くんの顔が離れていく。
「ハハ。おまえ、顔真っ赤だ」 「うるさい。佐伯くんも視線定まってない」 「うるさい」
軽口を言い合ってやっと空気が元に戻りかける。 戻りかけたのに、佐伯くんはそれを嫌がるように、やけに真剣な瞳で私を見つめて、無駄に優しく私の指を撫でる。
「あの、……きもちわるいよ佐伯くん」 「わかってる」 「わかってるならやめよう」 「ヤダ。それより目閉じて」 「いやだ、変態」 「見つめ合いながらするのがお好みかな?」
声のトーンを高くした佐伯くんがにっこりスマイルで首をかしげる。
「やっぱきもちわるい……」
拒否するように顔を逸らせば、今度は顎を持たれて無理やり目を合わせてくる。 どうしたのだろう彼は。どこかのネジが外れたっぽいな。
「………………ぷ」 「はい?」 「ハハッ! おまえさ、ホント変な顔してる」 「そりゃ佐伯くんみたいな美形には劣りますよ」
吹き出して笑い出す佐伯くんを見て眉尻が上がってしまう。
「感情出しすぎ、けど俺は、そういうおまえが好きなんだ」 「ハッ……?」
目尻に涙でも溜まりそうなほど笑った佐伯くんは唐突にそんなことを言い出す。笑うところなのかな、笑えないけど。
「なに、ほんときもちわるいなんなの」 「だからおまえが可愛くて好きって」 「いや、いやいや」 「キスしたら鳩が豆鉄砲食らったような顔するし、好きって言えば必死に顔赤くしてるのバレないようにするし、ちょっとからかっただけでおまえ動揺しすぎ」
「うわ、からかってたんだやっぱり。うわー信じられない」 「からかってたけど、ほぼ本気」 「意味がわからない。佐伯くん本当に意味がわからない」 「意味がわからなくて結構。わからせるだけだから」
またクサいことを、と最初の言葉を言う隙もなく口を塞がれてしまう。また不意を突いた。またからかった。 どうしてこうなった。こんがらがった頭で必死に考えようとしても佐伯くんの唇はそれを許してくれないみたいで、というか長い、長すぎる。 離せと言えない代わりに脇腹に伸ばしかけた手を佐伯くんは止める。 抵抗できないまま、なすがままは流石に我慢ならない。固く閉じていた口を開いて佐伯くんの下唇に歯を立てる。
「いッ」 「っはぁ! ああーっ、長い、長いよ! しつこい!」
下唇を口の中に押し込んでぐぬと唸る佐伯くんの隣から立ち上がってもっと長く距離を置く。
「顔! っていうか口だから!」 「それがなに! 告白されてすらないのにキスキスって! 佐伯くんバカ!」 「バカじゃない」
学年上位だからみたいな顔でフフンと鼻を鳴らす佐伯くんを見てキィィという声でも出そうなほど悔しくなる。
「佐伯くん本当、絶対に許さない」
右足の踵で穴が飽きそうなほど地面を踏みにじりながら思いっきり睨んでも佐伯くんは微笑むばかり。あぁ本当に彼は強敵だ。
「なぜまだ隣にいるの」 「家まで送るため」 「一人で帰れます。佐伯さんも早く帰りなさい」 「おまえの気持ち聞いたら帰る」
「もう言いました」 「いつ」 「さっき! あなたがいきなりキスしたあと」 「アレ?」 「そうじゃなくても二回もほぼ無理やりキスされて急所蹴られてないところで察してください」
横にいる佐伯くんを振り切るために少しだけ早足で歩いて振り返ってみる。 佐伯くんはそこに立ち止まったままで私を見つめる。バックに沈みかけた夕日があって、どこかのドラマか映画かのワンシーンのよう。 あんなに最低な事しといて綺麗に見える佐伯くんが腹が立って、嫌いで、
「だい、好き」 「知ってる」
やっぱり腹立つ。 佐伯くんに走り寄って腕を痛いほどに掴んで、踵を少しだけ浮かせて目を閉じる。 足元から長く伸びている私と佐伯くんの影が重なった。
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