■15

2009年4月19日(日)


「…………ハァ」

 日曜日の昼下がり。一人、ベンチに座って煉瓦の敷き詰められた歩道を見下ろしていた。
 視界に入る自分の膝には、赤く擦り切れた傷跡が痛々しく付いている。

 その傷の付いた原因など、わざわざ言うまでもなく。

(なんだかなあ……)

 たまの休日、珍しくオシャレでもしてみようなどと考えついたのが悪かったのだろうか。
 ヒールのある靴など、正直足が痛くなるという理由でいままであまり履いてこなかったのに、ちょっと頑張ろうなどと思ったのが悪かったのか。

 ついつい溜息が口をついで出てしまう。いくらゲームの世界に入り込んだからといって、油断していては何が起こるかわからないのは当然だ。運の良い事ばかりが起きるわけでもない。
 車道に出れば轢かれるし、底なし沼に落ちると抜けられない。目にゴミが入れば痛みを感じるし、頬を抓られるとその箇所が赤くなる。
 自分の無用心さに呆れつつ、ジンジンと痛む傷口を恨めしく見つめた。

「あの〜、大丈夫……ですか?」
「え……」

 頭上から降ってきた声に驚いて顔を上げた。
 心配そうに見下ろしてきたその人の影が顔にかかる。

「…………」

 何も声が出せないまま見上げていると、その人は困ったように笑った。

「ああ、すみませんね。こんな格好で。配達の帰りだったもんですから」
「……えっと」
「……? どうかしました? 何か俺の顔に付いてます?」
「花……」

 無意識に口から出た小さな声に、その人はぴくりと反応した。

「わかります? ハハ、服装がそれっぽいですかね? それとも、花の香りがしてたりとか……」
「あ、違……あの……大丈夫です」

 数分前に聞かれた質問に答え、すくりとベンチから立ち上がる。と同時に、踵と膝がズキリと傷んで顔を顰めてしまう。
 再びベンチに座り込んでしまうと、心配そうに身を屈めて私と視線を合わせてくる。

「大丈夫じゃないっぽいけど……怪我してるし。俺の働いてるとこ、すぐそこなんですけど……ちょっとだけ我慢できます?」





「結構無理させちゃったみたいですね、スミマセン」
「いえ……ありがとうございます、真咲さん」

 よちよちと、一緒に歩いて貰うのが申し訳なくなる速度で歩いて着いた先は、そこそこの広さの花屋。
 アルバイト先を見て回った時に一度来たことがある場所だ。だがその時は外から覗いただけだったため、店内をじっくり見ることが出来るのは初めてだ。

 キョロキョロと傷口の痛みも忘れそうに落ち着きなくあたりを見回していると、店の奥からどこかで見たことのある店員さんが出てくる。
 私に視線を留めると、こちらへ歩いてきた。

「真咲くん、この方?」

 キリっとしているものの、優しい雰囲気を持った女性の店員さんが、私に向き直ると綺麗に微笑む。
 胸のプレートには“有沢”と書かれていた。

「真咲くん……その店員さんに着いて行ってもらえますか? 店の奥に治療道具を用意して置きましたから、そこで少し休んで行かれてください」
「え、ええと……はい」

 手招きする真咲さん――もとい、真咲先輩についてゆっくりと店の中へと着いていく。


 スタッフルームのような場所の扉を開けて部屋へと入っていくと、救急箱の蓋を開けながら私に微笑みかけてくれた。

「ここの椅子に座ってください、すぐ手当てしますんで」
「え、あの……」
「傷の手当てとかある程度できるんですよ。そんなに心配しなくても悪いようにはしませんって」

 あまり拒否をしても良いものではない。真咲先輩に任せることにした私は、控えめに真咲先輩の近くにあった椅子に座った。

「こういう傷って、女の子は後に残ったら大変ですからね」
「そう、ですね」
「あんまり絆創膏とかは良くないらしいですよ」

 傷の手当ての豆知識を披露してくれながら、真剣に傷の手当てをしてくれている真咲先輩。

「なんか懐かしいな」
「……?」
「あ、スミマセン。前にも、こうやって手当てしたなーって思い出して」
「そうなんですか……」

 伏し目がちにそう言う真咲先輩は、誰かを思い浮かべているようだ。
 私の間違いで無ければ、きっとそれは……。


「あの……ごめんなさい」
「え?」
「心配して声をかけて下さったばっかりに、こんな面倒な事……」
「気にしないでも大丈夫ですって。今日はあれで配達は一応終わってましたから」
「でも……」
「それに、無理矢理ここまで連れてきたのは俺ですからね。謝られるとなんだか……」

 手当ては終わったらしく、救急箱や使った道具を直す真咲先輩を黙って見つめる。
 わざわざこんなことをしてもらうのは本当に申し訳がない。全く関係の無い私がここまで面倒を見てもらうのはあまり良くない。

 俯いて反省や後悔でいたたまれなくなっていると、部屋の扉が開いて大きな溜息が飛び込んできた。
 ふと顔を上げてそちらを見てみると、視線がバッチリと合ってしまった。

「アレ? 紗織ちゃんだ」
「琉夏くん」
「おう……なんだ、知り合いか?」

 驚いた顔を見合わせていた私と琉夏くんに、真咲先輩は気の抜けた声を出した。

「うん、同級生」
「へ……そうなのか? 珍しいこともあるんだな」

 私と琉夏くんの顔を交互に見て、椅子にどかっと座った真咲先輩が私に視線を向ける。

「桜井より年上だと思ってた」
「えー? それってどういう意味なんだろう」
「どうだろうなー?」

 今度は真咲先輩と二人で首を傾げる琉夏くんに、小さく笑いが溢れてしまう。
 真咲先輩は少しだけ安心したような顔をしてくれた。

「あ、あの、ありがとうございます」
「ん?」
「その、いろいろ面倒見てくださったこと。心配してくださったこととか……」
「いや、マジで気にしなくても良いですから! うーん、そうだなあ。アンネリーをご贔屓にして頂ければ……」
「それは勿論、是非に!」
「冗談ですって!」

 私と真咲先輩のやりとりを見ていた琉夏くんは、近くの椅子に座って不思議そうに小首を傾げる。

「……紗織ちゃん、真咲さんになにかされた?」
「えっ……と、動けなかったところに……」
「ちょっと俺が無理矢理連れてきて勝手に……」
「動けなかったところに無理やり……!?」

 口元に手を当てて、一昔前の少女漫画のような顔をした琉夏くん。なにか大きな勘違いをしている。
 慌てて否定をすると、おかしそうに吹き出されてからかわれていたのだと理解できた。


 そうやってしばらく話していると、段々と足の痛みなど消えて無くなるようだった。
 有沢さんが戻りの遅い琉夏くんの様子を見に来た時、三人で少しだけヒヤッとしたのも、また楽しく思えた。





「あ、あの、私、そろそろ帰らなきゃ迷惑…… あ、その前にお花……見てもらってもいいですか?」

 店内へと戻り、枯れにくく初心者でもできるだけ世話のやりやすい花を選んだもらった私は、その花を抱えて真咲先輩や琉夏くんに深く頭を下げる。
 謝罪と感謝を言い終えた私は、なんだか昼よりは暖かな気持ちで足取り軽く家への帰路を辿ることができた。










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