■弄られる二月

「設楽先輩!」

 息を切らしながらパタパタと俺に駆け寄って、立ち止まるとハァと息を整える。

「どうした」
「……トボけるんですか?」
「はぁ?」

 もうっ、と俺を見上げてくる石倉に眉を顰めた。暫く俺を見上げていた石倉だが、黙ったままの俺に痺れを切らしたのか、ハァと呆れたように溜息を吐いた。

「なんだよ」
「今日はバレンタインです。ハイ!」

 そう言って石倉は可愛らしく包装された小さな箱を俺に押し付ける。別に、今日がバレンタインだと分かっていなかったわけではない。ただ、石倉から貰えるのは予想していなかった。石倉の顔を見ると、気持ち悪いくらいに満面の笑みで俺を見ていた。

「…………」
「バレンタインチョコです」
「俺が貰ってもいいのか?」
「設楽先輩、受け取ってくれませんか……?」

 今度は目を潤ませて見上げてくる。わざとだろうか。そのまま見つめ続けられるのも居心地が悪いので、包みを開けて中を見てみる。

「へぇ…………お前、料理下手なのか?」
「うっ……」

 思った事を直接口にすると、石倉は涙目になった。それもわざとなんだろうか。もう少し優しい対応はしてやれないのかと、紺野に言われたのを思い出した。
 そんな事言われても、石倉から渡された物は、バレンタインやチョコレートというキーワードから大きく外れていたからだ。何と言えばいいのかわからない絶妙に食欲の失せる色に、何とも言えない歪な形。
 この泡のようなものは何だ? この茶色の粒は何だ?
 必死にフォローしようと、頭でいろいろと考えてみても、何と言えば石倉をこれ以上傷付けずに済むのかが分からない。

「なんというか……芸術品だな」
「うぅ……」
「……褒めてるから、そんな顔するな」
「でも……」

 ああもう……こんな時、紺野なら何て言うんだ。美味しそうだと、嘘でも言うのか? 大事にする、とでも言うのか? 石倉から貰ったチョコをじっと見つめたまま、うんうんと考え込む俺に、石倉はにっこりと笑った。

「……何笑ってる」
「だって、設楽先輩があんまりにも必死に考え事してるから」

 図星を突かれ、少し驚いた。石倉はそのままクスクスと笑い続け、もう一つ、同じ包みの箱を俺に渡して、俺の持っていた何とも言えない形のチョコを俺から取る。

「ふふっ。ごめんなさい、どんな反応するのか気になっただけなんです。本当のバレンタインチョコはそっちです」

 先ほどの歪なチョコのせいで、躊躇しながら包みを開けると、今度は綺麗にトッピングまでされたハート型のチョコだった。少しホッとし息を吐く。

「手作り……だよな?」
「頑張ってみました!」
「ふぅん……さっきの物体も、手作りか?」
「はい! そのチョコ以上に頑張ったんですよ?」
「あぁ、そうだな。クマが出来てる」

 なんだか可笑しくなって、石倉の頬に手をやり、親指で目元に触れる。石倉はピクリと肩を震わせる。でも抵抗してこない石倉が珍しく、チョコ片手に暫く石倉の目元を触っていると、突然紺野の声が聞こえた。

「えっと、何してるの?」
「!!」
「紺野先輩」

 石倉から離れようとすると、石倉は俺の腕を掴んだ。石倉を睨むが、にっこりと笑顔を返すだけで一向に離す気配はない。

「……お邪魔だった?」
「そうですね」
「ち、違う! これは、別に」
「設楽……そんなに必死にならなくてもいいのに」
「必死になんかなってない! おい、離せ」
「嫌です。あ、紺野先輩、よかったらこれ……」

 そう言って、最初に渡された歪な方のチョコを紺野に渡す石倉。それを見ると、多少驚いたように目を見開いたあと、可笑しそうに笑った。

「これ、設楽の為に作ったんじゃない?」
「あ、わかりますか?」
「納豆みたいな物が入ってたから……」
「入れました!」
「は!? 納豆って……」
「良かったな、設楽。こんなに設楽の事思ってくれてる、可愛い後輩が居て」
「えへへ……」

 若干引いた様な笑顔を向けると、「これは設楽が食べなきゃ」と歪なチョコを石倉に返してそのまま歩いて行った。残された俺はどうする事も出来ずただ立ち尽くすだけだった。
 出来ることなら、石倉がまた歪なチョコを渡してくる前にこの場から去りたいのだが……。
 掴んでいた俺の腕を離した石倉に、チラリと視線をやると、石倉は紺野から受け取ったチョコを口に運ぼうとしていた。

「おい……」

 焦って声を掛けた俺を気にも止めずに、石倉はチョコを口の中に放った。

「うーん……やっぱり納豆はマズかったかな?」

 そう言いつつ小さく割って食べ続ける石倉の手を掴んで止めさせる。

「何してる」
「何って……チョコ食べてます。勿体無いし……」
「腹を壊すだろ」
「そんな怖い顔しなくてもいいじゃないですか……」

 そう言うと石倉はたった今食べようとしていたチョコの欠片を俺に差し出した。食べるか、と聞いているんだろうが……そんな色の食べ物を食べようと思うほど俺はチャレンジャーではない。とりあえず嫌だという素振りを見せておいた。

「設楽先輩の言う変な物は、納豆くらいしか入れてません。この色だって、ホワイトチョコに着色料をちょっと多めに混ぜたくらいだし……味は普通です」
「着色料を使った食べ物に普通も何も無いんだ。俺は食べないからな」
「なーんだ、残念」

 拗ねたようにチョコをまた包み直すと、石倉は俺に背を向ける。

「どこに行くんだ」
「……? もうすぐお昼休み終わりだし……名残惜しいですか?」
「なっ」

 無意識に引き止めていた自分が小っ恥ずかしくなる。石倉はずっと俺の近くに居るものだと思っていたからか。
 石倉のニヤついた顔が気に食わず、ふんと鼻を鳴らしてやる。

「別に? お前なんか着色料に当たって腹痛に苦しめばいい。じゃあな」

 石倉から去られるのは悔しい、それだけの理由で俺は背を向けて石倉から立ち去った。
 石倉から貰ったチョコをまた包み直そうとする時に、今度は俺の好物ばかり入っている事に気付いた。



 教室に戻って自分の席に座れば、近くにいた男子生徒が声を掛けてくる。

「やけに嬉しそうな顔してんじゃん、何かあった?」
「そんな顔してないし、何も無い」
「あ! そのチョコ、カノジョから?」
「は? 違う」
「照れんなって! 設楽も人の子だったんだなー」
「……うるさい」

 俺に向けられるニヤニヤとした視線に溜息を吐くと、チョコをバッグにしまって、これ以上何も聞いて来れないよう、机に突っ伏して目を閉じた。










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