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ピピピピ―― と、一定の速度で音を出す小さく丸い機械をこれでもかというほどバシンと叩いた。 ぼやぼやとする頭を無理矢理動かして、身体を動かすように脳から命令を送る。
・ ・ ・ 2009年4月2日(木)
「……」
眠い。 ゆっくりと手を付いて起き上がる。 先程叩いた目覚まし時計を見れば、時刻は6時を過ぎたところ。 早く起きすぎた、二度寝しようと再び枕に顔を埋めたところでカタンと何かが落ちる音が聞こえる。 ――ああ、もう。 頭を軽く叩いて起き上がる。ベッドとお別れを済ませた私は、音を出した腹立たしいそのモノを探すため部屋を見回す。 幾分か重さがあって、床にあるもの。
(……あ)
目に付いたものは携帯。 昨日から全く携帯を触っていない事に気付き、なにか情報があるかと手に取り画面をスライドさせる。 携帯の待ち受けはデフォルトのままシンプル。ホームに貼り付けてあるアプリやウィジェットは必要最低限なものだけ。電池は満タン。電波は……ちゃんと三本立っている。 特に壊れてもいないし、おかしな場所も見当たらない。 念の為に着信履歴や発信履歴、電話帳の確認もしてみたが、何もなし。 画面を閉じて歯磨きでもしようと机に置いたところで、まだ行くなと言わんばかりに振動しだす携帯に若干の苛立ちを感じながら画面を見れば、どうやらメールを受信したらしい。
新着メールは1件、本文には【アルバイト情報】と表示されていた。
「ようこそ石倉さん、はばたきアルバイトNEWSにご登録ありがとうございます……」
(……登録したっけ)
昨日の事を思い出すも携帯は先刻見つけたばかり。部屋にパソコンも置いてあるものの、それを使った覚えもない。 だが、自分の名字が書かれ、この携帯に送られてきたという事はきっと登録したという事なのだろう。ゲームで見た限りでは、このメールは迷惑メールに分類される物ではない……と、思う。メールアドレスを空っぽの電話帳に登録して携帯を閉じる。 改めて部屋を見直してみると、家はきっとゲームで言うシンプル系統の部屋なんだろう。 今更気付いて、というのも変だが……少しだけ安心した。もしこれでゴージャスやポップの部屋だったら違和感満載で生活なんて出来なかったと思う。きっと。 小さく息を吐いて、先ほどしようとしていた朝の支度を思い出し、立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
両の手のひらを合わせて言葉を発し、一息吐く。 何故か冷蔵庫に入っていた食材を使って朝食を作って、食べ終わったところだ。 先刻カレンダーや携帯を見てみたところ、今日は2009年の4月2日。自分が住んでいた世界……私が今居る世界ではない現実の世界とはかなりの差があるようだ。 クロゼットに入っていた真新しい夏季の制服や先刻のメール、置いてあった学生鞄の中に入っていた学生証や財布などを見る限り、どうやら私は今年の春からはばたき学園に通うことになる新入生。……という設定らしい。 信じがたい話だが信じるしかない、元の世界に帰れるまで、ずっと家に引き篭っているわけにも行かない。 食器を持って立ち上がり、台所のシンクへ置いて水を溜める。ぼうっと昨日のことを振り返って、この家に来るまで自然と足が動いていたことを思い出した。 昨日はこの家に辿り着いたからなんとかなったけど、いつもそうとは限らないんじゃないかな、と言うことで、明後日、4日の始業式の日が来るまで少しでもこの街の事を覚えようと出かける事に決まった。
・ ・ ・
街を知るためだと家を出て当てもなく歩いてきたものの、出るのが早すぎたのか、なかなか同年代らしき人は見当たらない。 今はまだ春休みだからだろうか。目にするのは大方出勤中のサラリーマンくらいだ。
(でも、私がいた元の場所よりは多い方かも……)
「あー……どこだろうここは」
迷ったような気がする。ではなく、完全に迷った。 見た事も来た事もない土地を携帯と財布だけ持ってブラつくのは危険すぎた、かもしれない。 回線つながってたし、と携帯のGPSを使って現在地を調べようとしても大海のど真ん中を指していて。
(なるほどここは異次元でした)
現実逃避したくなったがもう既に私は現実逃避してここにいるわけだ。もうどうにもならないよね。 とりあえずゲームで使われていた背景に映っているものがないかもう一度当たりを見てみると、小さくバス停のようなものが見えた。 もうそれに頼るしか無かった私は、期待を込めてそちらへを目指して歩いていくことにした。
・ ・ ・ (…………)
だよね、知らない土地のバス停見たところで詳しい現在地とかわかるわけないよね。 はばたき市民ホール前と書かれたバスの時刻表をボケっと見つめながら私は薄い記憶をたどる。 はばたき市民ホールとは、きっと臨海公園地区にあったイベントホールのこと……だ、多分。 4月に何をしていただろうか。確かKCH交響楽団のコンサートはあったはずだ。出会って間もない設楽先輩を無理やり引き連れて来た記憶があるような、ないような。 あの時の設楽先輩はかなり嫌だっただろうな……などとADVを思い出して少しだけ笑いそうになる。
「……兎にも角にも、ここからどう行けば家に着くのかどうにかして知らなきゃ」
ぱし、と両手で頬を挟んで市民ホールへ視線を向ける。
(市民ホールだし、きっと案内板とか地図とかあるはずだよね)
・ ・ ・ (よかった……地図、ちゃんと貰えた)
係員のお姉さんがかなり優しい人で、家までついて行ってあげようか、なんて聞かれたときは驚いたけど、一応これで家には帰れそうだ。 携帯で時刻を確認してみると、まだお昼前だ。落ち着いてきて気付いたが、段々と人通りも多くなっている。 夕方になるまでこの街を歩いて少しでも慣れておかなければ。 いつまでこの世界に居続けることができるのか不明だが、この夢のような状況は楽しむに越したことはないだろうから。
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