「かいとー、マスター様のお帰りだよー」
玄関から部屋に向かってそう叫んでみれば、少しもせずにバタバタと騒がしくなる家。
しばらくして、ドアが開いたかと思えば、ズボンの裾を踏みつけて転ぶ、愛しい我が家の居候くん。
「大丈夫?」
「は、はぁい……マスター、おかえりなさい」
「ただいま」
そう彼に微笑んで靴を脱いでいると、床に置いてあったスーパーの袋を持ち上げて私を待つ。
いつもの事だけど、こういう所なんか機械とは思えないような、紳士な行動だと思う。
鞄を肩から下ろしながら部屋に入る。
「う、うぅわ 寒っ」
玄関より低い部屋の中で、おもわず自分の肩を抱く。
KAITOの方を見てみれば、さぞかし不思議そうな顔で冷蔵庫の中に食料をしまっていた。
「……KAITO、窓がね」
「え? 窓ですか? ……あっ!」
慌てたように窓際に駆け寄って、全開だった窓を閉めていくKAITOに、小さく溜息を吐く。
鞄を置いてソファに沈み込みブランケットで体を包みながら、しゅんとした様子のKAITOを見つめる。
「ごめんなさい……」
「怒ってないよ。ただね、君が風邪引いちゃうと……って、KAITOは風邪引かないんだっけ」
KAITOがこの家に来てからも暫くした時のことをうっすらと思い出す。
あの時は転んだとかで、手に持った鍋の中の水を全部自分の上にひっくり返していたかな。
「風邪は引きません。僕は機械ですから」
その時も、今みたいに少しだけ悲しそうな顔をして同じことを言ってきた。
「そっか。じゃあ、寒いとかは? そういう感じる温度はあるでしょ」
「ありますよ。だけど、極端に低かったり暑かったりした時以外には、何か不具合があるわけじゃありませんから……」
「ふぅん……。KAITOはそれ、いいと思う?」
「え?」
つい気になったことをそのまま口に出してしまう。聞かれた本人は驚いたように、そして質問の意図が読めないといった様子で私を見つめる。
「すこし気になっただけだよ。人間と同じように寒がって暖かさを求めたり、暑がって涼しい所に足を運んだりすることがないってことでしょ」
「……僕は…」
考えてもなかなか言葉が見つからない、そんな表情をして視線を下げるKAITO。
彼は機械で、人間ではなくて、温度は分かるがそれについての感情は特に無い。風邪も引くことはないし、虫歯や腹痛にだってならない。
そんな機械の彼なのに、人間より人間らしく表情が豊かで、悩んで困って、考えを巡らせたりする。
ほら、今だって。
私の何気ない質問の答えを探して、困った顔をしている。
「ごめんね。答えにくいよね」
「い、いえ! えっと…僕は、最近、マスターみたいに感覚が多くないことが少しだけ寂しいです」
顔を上げて、どこか必死なようにそう答えたKAITOを、じっと見つめる。
「暑いとか寒いとか、痛いとか苦しいっていう感覚は僕にはありません。それは人間にとってはいい事なのかもしれない……だけど、僕は、もっとそういう気持ちを知りたいです」
「……」
「時には、感覚がない事で得をしたりする場面もあるかもしれないけど、でも僕は、マスターと同じ感覚を味わいたいって思います」
「KAITO……」
「だから僕は、いいって言い切る事は出来ません。…これで、答えになってますか……?」
不安そうに私を見つめ返すKAITOに小さく頷いて、自分の隣をぽんぽんと手のひらで叩く。
戸惑いもなく私の隣に腰を下ろして、私を見下げるKAITOに笑顔を見せた。
「難しいこと言っちゃってごめんね。……でもね、KAITO。今君が言ったこと、何処と無く告白っぽかったよね」
「ええっ……!? ち、違いますよっ」
「え、違うんだ……」
「あ、あぁぁ…それも違います、ええとっ……」
くるくると目を回して何か私を慰められるような言葉を探す姿が可愛らしくて、笑ってしまうと、ハッとしたKAITOはむくれたような声を出した。
「ふふっ、ごめんごめん」
「マスターの意地悪…」
今度は私が慰めるようにKAITOの手を取る。
両手で片手をぎゅっと握った。
「ね、私の体温は感じてる?」
「はい、マスター、今日はいつもより冷たいみたいです。……あ、それとマスターの鼻の頭が赤くなってます」
「寒いからね。……君の手も冷たいよ」
とても機械とは思えない。少しだけおかしそうに笑って歪む顔も、この大きな手も。なのに、こんなに機械的な冷たさをしている。
「僕に発熱機能とかが付いていたら良かったですか?」
「うん? うーん、それは助かるかもね。電気代が浮くかも。……あ、でもKAITOは今のままでもいいよ」
「そうですか」
嬉しそうな顔しちゃって。
KAITOのもう一方の手が私の手に伸びて、今度は私の片手が包まれる。
「こうして、マスターの手が暖かくなるのが理想なんですけど……」
独り言のように呟いたKAITOに、胸が少しだけ締め付けられる。
機械ではあるものの、彼は彼なりに考えて胸の内に秘めているものがあるのだろうかと。
そう考えさせるような不思議な表情を見せたKAITOは、パッと笑顔に戻ってソファから立ち上がった。
風が起こって、私の手を冷やしていく。
握られていた手は熱なんて持たないはずなのに、まるで熱をすべて風に奪い取られるような感覚がして、ブランケットの中に両手を閉じ込めた。
「マスター、今日は僕がご飯を作ってみてもいいですか?」
「うん、いいけど……火傷はしないでね? 包丁は丁寧に扱わなきゃダメだよ? ガスを使うときは換気扇…」
「そんなに心配しないでください。それはいつも言われてるから覚えちゃいましたよ。火を付けたままその場から離れないでね、水道はきちんと止めなきゃダメだよ、冷蔵庫は開けたらすぐ閉める、でしょう?」
「う、うん……凄いね。覚えてるんだ」
腰に手を当てて鼻の下を伸ばしたような顔をするKAITOに笑って、ソファに座りなおす。
「じゃあ、待ってるね」
「はい、任せてください!」
腕まくりをしながらキッチンに消えていくKAITOを見送って、私はブランケットの中の手を擦り合わせた。