窓の外を眺めながら、幸村は溜息を吐いた。
 その様子すらお美しい、と言わんばかりに、どこがで黄色い悲鳴が上がったが、本人はどうでも良さそうに窓の外を眺めていた。

「精市様」

 トテトテと、ペンギンの如く幸村の席に近付いてきたのはちあき、彼の同級生でありクラスメイトであり、後ろの席の女子生徒だ。
 ちあきは自分に見向きもしない幸村を物ともせず、続けて話し掛けた。

「精市様、今日の放課後はテニス部に行かれますよね? 私、タオルとドリンク用意して来ましたから、呼んでくださいね!!」

 どこからともなく、ミネラルウォーターの入ったペットボトルとふかふかと洗濯したてのようなタオルを出して両手に持ち、ニコニコと向日葵のように笑うちあき。
 幸村は窓から見えた見覚えのある黒髪でパーマの男子生徒にくすりと微笑んだ。
 すると、すぐ近くからドサリと何かが倒れる音。勿論幸村は完全無視。

「アァ、精市様……わたくし、精市様から笑われ幸せです……」

 何やら誤解をしているちあきを引き続きスルーし、幸村は黒髪パーマの男子生徒を追いかけ回すテニス部の副部長である彼を見つけると、さらに微笑んだ。



「赤也、お疲れ様」
「ありがとうございます、部長!」
「真田。……あれ、真田?」
「真田副部長は」
「弦一郎様は只今厠でございます、精市様」
「ウ、ウオッ!? なんだよお前!」

 どこかのお付きの忍者のように、空から落ちてきたちあきは、幸村の前に傅いて、真田の状況を伝えた。
 幸村は赤也を見たままにっこりと微笑む。

「お前には聞いてないよ。下がれ」
「はっ!!」
「う、うわぁ〜……部長、なんスかアレ」
「気にしちゃいけないよ、赤也」

 笑顔を絶やさずそう答える幸村の、どこからか漂う魔王、または鬼のオーラに縮み上がった切原は、すごすごとその場から離れて行った。
 その様子を見ていた仁王が、隣にいた柳生にコソコソと面白おかしく耳打ちをすると、柳生はまるでチョウチンアンコウの様に真っ青になり勢いよく首を振った。
 きっとちあきになりきって幸村にアピールしてみるか、とかいう相談だろう。あまり触れないでおこう。

「どうやら俺を呼んでいたようだが……どうかしたのか」
「あれ、真田」

 厠から帰ってきた真田が、ベンチに腰掛ける幸村に話しかける。
 幸村は振り向いて真田を見つめると、不思議そうに小首を傾げる。
 真田を呼んでいたことは赤也しかしらないはずだ。他の部員が聞いていたとしても、コートからは誰も出ていない。

「あ、あぁ……桜庭と名乗る女子が、用を足している最中に突然現れてだな……」

 思い出しては怪訝そうな表情をして、その時の状況を生々しく幸村に伝える真田。
 人のトイレでの出来事など聞いていて楽しい話ではないため、幸村は若干真田の無神経さを殴りたくなっていた。

「そうなんだ、へぇ。もう黙って」

 暫く聞いていたものの、もはや用事とは関係ないものに切り替わった真田の話を一喝して黙らせ、幸村はベンチを立ち上がる。
 その様子を見て、用事があったのではないかと聞いてくる真田に「お前のトイレの話なんか聞いてたら気分悪くなってきた」と返し、部室へと足を進めた。

「おかえりなさいませ、精市様

 ギギィバタン。バタン。
 扉を開け閉めした幸村は、部室に背を向けてコートへと戻ろうとする。
 嫌なものを見た。

「せ、精市様ぁ〜」
「あは」

 部室の扉を開けてモジモジと顔だけを覗かせるちあきに笑顔を送る。
 部室で堂々とメイド服に着替えて幸村を出迎えるほどプライドが無いくせに、メイド服のまま外に出て誰かに見られるのはダメらしい。
 心底理解が出来ないといった態度で笑顔のまま肩を竦めた幸村は、ちあきに中に入るように促し、扉を閉めたのを確認して部室の扉の前に、その辺にあったタイヤを積み上げた。

「よーし、いい仕事したなあ」
「ちょっ……精市様? 精市様!? こっ、このドア開きませんけどッッ!!」

 ガタガタと部室の扉を揺らしながら、ちあきは悲痛に幸村に訴えかけるが、とうの幸村はとっくにコートへと戻って部員に指示を出していた。
 扉の中に座り込んだちあきは、一人フリフリのエプロンを見下ろして自身の体を抱き、恍惚とするのだった。


「さて、今日はおしまい」

 コートへと幸村が声を掛けると、部員は一斉に挨拶をした。
 部室へと向かった幸村は、あのまま一度も部室に戻っていないことに気付いた。部室の前に置いてあるタイヤはそこから動いておらず、どうやらここからは出ていないようだ。
 部室の扉をどうしようかと見つめる幸村の背後から、柳が声を掛ける。

「どうしたんだ? 入らないのか」
「あぁ……うん、そうだね」

 あの空から降ってくるちあきのことだ、流石にもうどこからか出て帰っているだろうとタイヤを退かして扉を開ける。
 中には、壁にもたれかかり小さく寝息を立てる制服のちあきが居た。

「部員ではないな」
「うん」
「……おや、この女子生徒、泣き疲れて眠ったのか」

 柳はちあきの前に屈んでそう言った。ちあきの頬に薄く跡がついているのを見た幸村は、自分のユニフォームを握った。

「ありえない」
「ん?」
「ありえないよね。自分から嫌われてもおかしくないように付き纏っておいて、放置されたら泣くなんて」
「精市?」

 ちあきを見下ろして、眉を顰めながらそう言った幸村は、自分の荷物を持ってさっさと部室を出て行った。
 残された柳は、どうしようかとちあきを見つめる。
 やがて、小さく笑ったちあきがパッチリと目を開いた。

「精市様のあのお顔……素敵……
「…………」
「あら! これはこれは柳蓮二様。どうかなされましたか?」
「ウワッ……さ、サイテー! なにこのひと、サイテー!」

 普段の姿からは想像もつかないような言葉を発した柳は、立ち上がって自分のロッカーへと向かった。
 すると、クスクスと笑いながら部室に入ってきた仁王が、ちあきに近付き、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回し満面の笑みを向けた。

「くっ……はは、お前さんなんじゃそれ、面白い……」
「普通は面白いとは思わないと思いますけど」
「それ自覚しとるんか、……くくっ」

 あっさりと答えたちあきをさらにおかしいと腹を抱えて笑いだす仁王を横目に立ち上がったちあきは、「失礼いたしました」とだけ言い残し、そのまま部室を出て行く。
 幸村の顔を思い出し、写真に撮っておけばよかったと、心底後悔しながら帰路に着いた。




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