パシン――と、 心地のいい音。 その直後に耳に飛び込んできたのは、聞いていて気持ちの良くない女の子の悲鳴と、急いで駆けつけてきたような慌ただしい足音。
「どうした! って、ちょっ、泣いてんのか!?」 「うぅ、……桜庭先輩が、わ、私のこと目障りだって、気持ち悪いから消えろってぇっ……!」
どこかで聞いたことのあるような定番の台詞と、こちらに突き刺さる男子生徒数人の睨むような視線。
「それ、マジ?」 「……えっ?」 「トボけんなって! こいつのこと罵って殴ったのお前なのかって聞いてんだよ!」
ぐすんぐすんとすすり泣く一つ下の後輩の声が段々と耳障りに思えてきた。 彼女は我が校の男子テニス部で私と一緒にマネージャーをやっている、とても可愛らしく謙虚な女の子だ。……いや、うーん? どうかな?
「えー……ちょっと状況が読み込めないんだけど」 「てめぇっ……!」
何が気に触ったのか、私に向かって拳を振り上げる短気でなんとまぁ可哀想なお方。 彼は向日くんと申しまして、赤髪おかっぱ、とてもよく跳ねる可愛らしく元気いっぱいの男の子です。
「殴られそう……」 「うるせぇ!」
睨みつける向日くん。と、その背後で後輩ちゃんを慰めている丸眼鏡の忍足くん。何故か無言で傍観しているまた一つ下の後輩の日吉くん。
「えーっと、私が後輩ちゃんのことを殴った事になってる? もしそうならそれは彼女が突然自分のほっぺたを思い切り自分自身の手で引っ張た」 「お前バカなのか? こいつが嘘ついてるっていうのかよ!?」 「いや、私は真実を言っているだけだよ」
責められるような視線を向けられて、思わず溜息が出そうになる。 どこかで見たような展開が目の前で繰り広げられている。きっとこれはアレかな、証言がないから私が加害者になっていろいろと不利になる流れだな。 前に見たネット小説の一連の流れを思い出すと堪えきれなかった溜息が漏れた。
「……ッ」
それを聞いて、今まで黙っていた日吉くんが何かを言いたそうに私を睨む。
「……あなた、最低ですね。必死に否定するならまだしも、溜息ですか? それは、肯定と受け取っていいんですよね」
それを聞いた忍足くんはまぁまぁと日吉くんを宥める。日吉くんは私を睨みつけたまま舌打ちをしてその場を立ち去る。
うーん、どうしてこうなった。
「やってないって言ってるのになぁ」
後輩ちゃんと私を比べれば、もちろん後輩ちゃんの方が可愛いし女の子だけど、そんな疑いもせずに私がやったと信じてしまうのか。 彼はもう少しちゃんと考えて行動するタイプだと思ってたなぁ、なんて。 後輩ちゃんはいつの間にか泣きやんでいて、忍足くんにお礼を言っていた。そして私に向かって笑顔を作って。
「ごめんなさい、先輩。私、先輩に迷惑かけちゃってたんですね」
その笑顔をだんだんと曇らせて、泣きそうな表情にまでするとその場を走り去っていく。
「あ、ちょっと待ち……おーい、転ぶで」
そのあとを忍足くんが追いかける。 残された私と向日くんの間に妙な空気が流れる。居心地悪いなぁ。 私が動いた方がいいのかなと考えていると、向日くんは私をキッとひと睨みして後輩ちゃんの走って行った方に去っていく。
「………………ハァ」
なんだ、あれは。
「桜庭さん」
背後から無駄に穏やかな声が聞こえて、振り返る。 そこには色素の薄い髪に少し太いわんこのような眉の無駄に身長が高い鳳くん。
「見てた?」 「はい」
ニコッと人懐っこい笑顔を浮かべる鳳くんにうーんと首を傾げる。
「鳳くんはどう思う?」 「なんの茶番かなって思いました」
向日くんや日吉くんは騙されていた……っぽいが、実際のところあれで騙されることなんて本当にありえるのか不思議だ。 彼女がこれまでに築いてきたテニス部マネージャーとしての実績が、向日くんと日吉くんの心を揺さぶったのかもしれない。
「宍戸さんも途中まで見てたんですけど、つまらなさそうにどこかへ行っちゃいましたよ」 「つまらない茶番でゴメン……」 「ほんとですよ」 「酷い」
くすりと笑った鳳くんに私も苦笑を返す。
「それにしても……桜庭さん、絶望的ですね!」 「うん、そうだけどそんなに元気良く言われてもなぁ」 「ちょっとしたドラマの主役気分で、頑張ってください!」
鳳くんは、拳をぎゅっとして胸のあたりに持ってきてそう言うと、じゃあこれで、と背を向けて歩いていった。 うーん、……ちょっとしたドラマの主役気分で、って言われてもなぁ。 これから繰り広げられるであろうとてつもなく迷惑な茶番劇を想像してしまい、私は頭を抱えた。
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