春の日の朝、俺の隣を歩く先輩は言った。
「寒いね」
「そうっスかね? 今日は大分過ごしやすいっスよ」
「…そうだね。私寒がりだから」
「へぇ…あ、仁王せんぱーい! 桜庭先輩、じゃあまた後で!」
「うん、またね」

 夏の日の夕方、俺の隣を歩く先輩は言った。
「寒いね」
「うっそ、マジっすか、桜庭先輩。汗かいて冷えてるんじゃないっスか?」
「そうかも、帰ってすぐお風呂入るよ」
「そうした方がいいっスね」

 秋の日の朝、俺の隣を歩く先輩は言った。
「寒いね」
「そうっスね、もうすぐ冬っスから。風邪引かないようにしてくださいよ」
「それは私の台詞だよ、切原くん」
「桜庭先輩、俺のことあんま子供扱いしないで下さい!」
「ふふ、ごめんね」

「切原くん」
 部活帰り、着替える事も何となく怠く感じた俺は、ジャージのまま帰路に着いた。そこに、突然背後から掛かった声。驚いて後方を振り返ると、先輩が口元に手をやり、小さく笑みを漏らした。予想もしなかった人物に何度か目をぱちくりさせる俺の頭を先輩は優しく撫でた。
「こんばんは、切原くん。今帰り?」
 俺の着ていたジャージを見ると、先輩は小さく首を傾げた。俺が頷くと、片手に持っていた半透明のビニール袋を少し持ち上げ、先輩は言った。
「私は買い物帰り、テニス部って案外遅くまでしてるんだね」
「もうすぐ卒業なんで、三年の先輩達とのお別れ会するかって、話し合ってたんスよ」
「そうなんだ」
 少し間を置いて、楽しそうだね、と付け加えると、先輩は歩き出した。風が吹いて、先輩がしていた女の子らしい、淡いピンクのマフラーがひらひらと揺れる。その一景に見とれていると、頭上からカラスの鳴き声。ハッとし先輩の隣に駆け寄って、歩幅を合わせる。
 暫く先輩の隣を歩いていると、微かに漂ってきたシャンプーの香り。お風呂上がりに出てきたのだろうか、と、少し胸が踊ったが、頭をブンブンと振って無理やり平常心に戻す。目線を先輩が持っていた、カサカサと鳴るビニール袋に移す。他人の買った物を詳しく見るのは駄目だと分かっていながらも、見てしまうのは何故なのか、自分でもわからない。

「切原くんの家って、どの辺りなの?」
 不意をつかれ、ドキっと胸が弾んだ。今日二度目だ、先輩に驚かされるのは。先輩の顔を少し見上げ、口を開く。
「そこ角曲がって、ぐーって行って、その次も曲がった所くらいっス」
「大雑把だね、わかんないや。けど、その次曲がるのは私も同じ」
「そうなんスね」
 俺はその言葉を聞くと胸を撫で下ろす、その動作に自分で首を傾げた。疑問符がふよふよと飛ぶ中、視界に先輩の持っていたビニール袋が入った。

「桜庭先輩」
「なに?」
「それ、持つっス」
 そう言って、先輩の手からビニール袋を半ば強引に取り上げる。先輩の、困惑したような声が耳に入った。
「大丈夫っスよ、先輩んち、俺よりこっから近いんっしょ? それに、俺も男なんで! こんくらい軽いっス」
 そう言って微笑めば安心したように微笑む先輩。なんだかむず痒くなって、先輩の家も知らないくせに、家までリードするように、俺は先輩の数歩前を歩いた。それとほぼ同時に聞こえてきた声。

「切原くん」
 立ち止まって振り向いてみると、数歩後ろの先輩は楽しそうに笑いながらこう言った。
「寒いね」
 過去に何度か、こんな事があった気がする。先輩は今と同じ声、同じ速さ、同じ位置で、俺に同じ言葉を投げかけた。くすり、と笑むと、先輩は俺の隣に歩み寄って、じぃっと見つめてくる。しばらくの沈黙の後、先輩は呆れたように苦笑して、俺に手を差し出してきた。俺は持っていたラケットバッグと、ガサガサと音を鳴らすビニール袋を逆方向の手に持ち変えると、先輩に近い手を先輩の手と重ねた。先輩は満足したように強く手を握って、そのまま歩き出した。
 先輩と触れる手が暖かい、吐く息が白く、先輩の頬が薄らと紅色だった。むず痒さは一層強みを増す。胸を掻き毟りたくなる衝動を必死に抑え付けた。不本意ながらも、俺の鼓動はテニスをしている時よりも、早い気がした。

「ここだ。ありがとう、切原くん」
 そう言って俺の持っていたビニール袋を受け取り、握っていた手を離そうとする先輩。何となく名残惜しくて、強く握ったまま先輩の手を離そうとしない俺に、先輩は困ったように笑った。その顔を見ると胸が締め付けられるような感覚がして、咄嗟に先輩の手を離した。
「す、すいません、…っス」
「大丈夫だよ、気にしないで? 持ってくれてありがとう」
「いいんスよ!俺が勝手にやった事だし…っ」
 先輩は俺の頭にそっと手を伸ばし、ふわふわと優しく撫でた。一瞬だけだったが、心地良くて目を瞑りそうになる。先輩の手はすぐ俺から離れ、ひらひらと宙を舞う。
「じゃあ、また学校でね。切原くん」
「あ、…はい!またっ」

 気付いた時には自分の家の玄関で、微かに夕飯の匂いがした。無意識に強く握り締めていた、先輩と繋いだ手をそっと開いてみる。外の風に触れ、熱が奪われていく。先輩が遠くに行った気がして、再び手を強く握り締めた。

 冬の日の朝、先輩の隣を歩く俺は言う。
「寒いっスね、桜庭先輩」

It will be warm if it is with you.
貴方と居れば、暖かいのに。





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