でろんでろんに溶けてしまいそうなくらいの真夏日が続いたあと、雨が降ってまた急に寒くなった。

「うう…さむい」

昇降口に出るとぴゅうと風が吹き抜けて思わず身震いした。衣替えもとっくに済んで半袖で出かけるのも当たり前になっていたのに、どうして今日はこんなに寒いんだ。これが本当に夏なのか。ここ数年は気温の上下が不安定過ぎて、そろそろ一年を四季に分けるのも困難になってきた気がする。これはきっと環境破壊の影響に違いない。

「地球は…泣いている!」
「なに言ってんのなまえ馬鹿だな」
「ぎゃあ!」

背後からあたしの独り言に突っ込みを通り越して暴言を吐いた幸村は、辛子色のジャージに身を包んでその美しいお顔を不機嫌そうに歪めていた。

「ゆ、ゆきむら」
「変な声出すなよ馬鹿」
「な、誰のせいよ!ばかって言う方がばかなんだよ!」
「俺が馬鹿ならお前はなんなの?ゴミ虫?」
「ごっ…!?」

何てことを言うんだこの人は。心ないことを平然と言ってのけるこの男は巷じゃ神の子と呼ばれて慕われているようだけれど、小中と一緒だったあたしの前ではめっぽう口が悪い。
それにしても今の彼はいつにも増してご機嫌斜めのようだ。

「なに…どうしたの」
「なにが」
「…生理?」
「ぶっ飛ばされたいの?」
「ひ!」
「風邪引くよ」

容赦ない言葉とは裏腹に、やさしく肩からジャージをかけられた。今の今まで幸村が羽織っていたものだ。さすがモテる男はやることが違う。ふわりと柔軟剤が香った。幸村の匂いだ。

「…幸村に抱かれてる気分」
「気持ち悪いこと言わないでくれる?」

幸村はビタンッと音を立ててシューズを地面に落とすと、ゴロゴロ転がったそれを足先で捕まえて履いた。その外見だけはどこまでも麗しい幸村に似つかわしくない動作の一部始終をポカンと見ていたら「アホ面向けないで。アホが伝染る」とかほざきやがった。そこでふと幸村の左頬が赤らんでいることに気がついた。

「どうしたの…それ」

びっくりして問い掛けると、幸村は一層不愉快そうに眉を潜めてあたしを見た。

「別れてきた」
「えっ」
「それ、洗って返せよ」

幸村は吐き捨てるようにそう言うと、ぷいと背中を向けてすたすたと歩き出した。あたしはその思わぬ発言に、慌てて彼を追った。

「ちょ、待ってよ!別れたって!彼女と?なんで?」

幸村は無言でずんずんと前を歩いた。ついてくるなと言わんばかりに歩調を早めるその後を必死で追いかけるうち、それがどんどんエスカレートして、気がつくと全力疾走していた。あたしは羽織られたジャージを落とさないよう抑えながらひたすら走った。

「ねぇ待ってよゆきむ…うぁっ!」
「っ…なまえ!」

テニスコートも過ぎ去り中庭へ差し掛かったところで、脚がもつれてバランスを崩した。思わず目を瞑ると、本来あるはずの衝撃の代わりにやわらかな香りが頬を掠めた。ゆっくり瞼を持ち上げると、目の前は辛子色に染まっていた。

「あ、ありが」
「馬鹿だななまえは」
「な…っ」
「馬鹿なのは俺か」

幸村の胸に顔を埋めたまま、身動きが取れなくなった。あたしは幸村に抱き締められていた。

「ゆき、むら…?」
「ごめん、少しだけ」

未だかつて幸村があたしに向かってごめんなんて言ったことがあっただろうか。背中に回された幸村の腕は痛いくらい力強いのに、頭上から落ちてきた声は信じられないくらい弱々しいものだった。

幸村とその彼女と言えば、校内でも名高い美男美女カップルだった。高校に上がってすぐ付き合い始めてから二人仲良く一緒にいるのをよく目撃した。幸村が彼女を大事にしているのは一目瞭然だったし、彼女もそれに応えるかのように幸せに満ちた眼差しを彼に向けていた。その二人が別れたなんて。嘘だ。今日だって楽しそうにお昼を共にしていたじゃないか。

「テニスと私どっちが大事なのって言われたんだ」

ぽつりと幸村が言った。腕の力がふっとゆるめられて、あたしは解放された。おそるおそる見上げた幸村は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

二人は週末に遊園地に行く約束をしていたのだという。それはもう一ヶ月も前から。それが今日になって急に練習試合の予定が入ってキャンセルになってしまった。ずっと楽しみにしていた彼女は当然怒って、そのありきたりな台詞を口にしてしまったのだ。

「わかんなくなっちゃって」

そう言って自嘲気味に微笑む幸村は、驚くほど綺麗だった。

幸村がテニスにかける想いは尋常じゃない。中学のとき病気で入院して、もうテニスが出来ないかもって言われていたのに、つらいリハビリを乗り越えて克服したんだ。テニスを大事にしない幸村なんて想像できない。きっと他の何物も天秤にかけられない。

「彼女のこと、大事にしてたつもりなんだけど…そう言われた瞬間、何かもういいやって思っちゃったんだ。それで別れるかって言ったら」

ぶたれた、と。あたしは黙って幸村の話を聞いた。ひんやりとした風が首筋を撫でて、肩のジャージを揺らした。

「つまらない話をしたね。もう行くよ」
「ゆ…幸村は悪くない!」

速やかに立ち去ろうとする背中に向かってそう叫ぶと、幸村は振り返ってあたしを見据えた。かと思うと不意に腕を掴まれて、あっという間に距離を詰められた。幸村はあたしの目の前まで顔を近付けると、唇で弧を描いてにっこりと微笑んだ。その瞬間、かあっと頬に熱がのぼるのがわかった。

「あ、あの…」
「お前に慰められるくらいなら死んだ方がまし」
「なっ…!?」

幸村はそう言ってあたしの肩からジャージを剥ぎ取ると、呆然と立ち尽くすあたしを捨て置いて今度こそいなくなってしまった。

「さ、さいてい!!」

真っ赤になったままのあたしを嘲笑うかのように、冷たい風が彼の残り香を拭い去って行った。

(20120723)
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