本格的に夏が始まろうとしている。

苗字は今日も眠た気に図書委員の仕事をこなしていた。
と言っても、受付にぼんやりと座っているだけなのだが。

俺は全校生徒の顔と名前は確実に記憶している。
が、特に必要がなければそれ以上知るべき事でもないので、逆に言ってしまえば殆どの生徒のことは顔と名前しか知らない。
今年度になって初めて図書委員になった彼女も、そのうちの一人でしかなかった。

「あ、柳くん。久し振り」

俺に気付いた苗字はいつもと同じ挨拶をして、やわらかい笑みをつくる。
クラスも部活も委員会も違う俺たちが顔を合わせるのは、苗字が当番である火曜の昼休みと金曜の放課後の週二回だけになる。そのため苗字は俺の顔を見る度「久し振り」と言うのだ。

「ああ、三日と四時間振りと言ったところか」
「今日は少し遅かったね」
「生徒会の用を先に済ませてきたからな」
「そうなんだぁ」

図書室には毎日立ち寄っている。
苗字は俺と話すとき、あまり目を合わそうとしない。
初めは嫌われているのかと思っていたが、そうではなかったらしい。当番の度に見かける俺に声をかけるのは、決まって苗字の方だった。

「今日はもう来ないかと思ったよ」
「これからすぐ部活だ、長居はしない」
「そっかぁ、暑いのに大変だね」
「そうでもないさ」

知り合った頃は途切れ途切れだった会話も、三ヶ月を過ぎた今では随分と自然になった。

俺にとって他人の情報を得るのはそう難しい事ではない。
知り合って間もなく、俺はそれまで顔と名前しか認識していなかった苗字なまえという人物をそっと観察し、分析した。

「そう言えば今日の朝、席替えがあってね」

苗字は相変わらず俺の目を見ずに話し続ける。
俺にはひとつ、普段の彼女を知るうちに、わかったことがある。

「窓際の一番後ろになったの」
「ほう、いい席だな」
「うん、でね、今日F組サッカーしてたでしょ?」
「ん、ああ…」
「柳くんがゴール決めたの見えたよ!すっごいかっこよかっ…あ」

そこまで言って、苗字は恥ずかしそうに口を噤んだ。
それは彼女の仕草や表情から読み取れる、ほんの少しの違和感。
俺と話すとき、彼女は少しだけ声のトーンが上がる。俺と話すとき、彼女は少しだけ笑顔が増える。俺と話すとき、彼女は少しだけ頬を染める。それらの事例から導き出されるもの。

察するに、苗字は俺に好意を寄せている。

苗字は「えへへ」と誤魔化すように笑いながら、貸し出しカードに判子を押した。

「ありがとう」
「いいえ、お仕事ですから」
「それじゃあ」
「あっ、柳くん」

彼女の、彼女にとっての失態に気がつかない振りをして、足早に背を向けその場を去ろうとしたが、すぐに呼び止められた。
振り返って見ると、まだ少し照れくさそうな顔をした苗字とばっちり目が合った。

「えっと、その…」

自分で呼び止めておいて言葉に詰まるので「苗字?」と声をかけると、困ったように目を泳がせたあと小さな声で「部活頑張ってね」と言った。

「ありがとう、行ってくる」

俺がそう答えると、苗字は安心したように微笑んだ。

苗字なまえという人物を観察し、分析するうちに、もうひとつ気付いたことがある。
彼女の笑顔を見ると、その日その後の調子がとてもいい。また彼女が他の男子生徒と仲良さ気にしているのを見ると、あまり良い気分ではない。その他、幾つかの似たような事例から導き出されるもの。

要するに、俺は苗字に好意を抱いている。

俺は思考する。
夏休みも近い。そうすれば長らく彼女と顔を合わせることはなくなるだろう。
その長い休暇が明けても、彼女はいつもと変わらず「久し振り」と言って、いつもと変わらない笑顔を俺に向けてくれるのだろうか。
ほんの少し先の事でしかないというのに、それはどんなデータを以てしても読み切れず、俺を不安にさせてしまうのだ。

恋とは、実に厄介なものである。

(20120622)
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