※これのヒロイン視点のつもり
覚えているのはまたな、って頭を撫でてくれた手の感触。彼を乗せた車はあっという間に遠ざかった。走っても走っても追いつけなくて、途中で転んでたくさん泣いた。
あたしが陸上始めたのは、あの時もっと、もっと速く走れたならって思ったのがきっかけ。
「よー焼けとるのぉ」
真っ黒になったあたしの脚を見てそう言ったまさは、あたしと違って真っ白い肌をしていた。男の子のくせに。運動部のくせに。けどだからこそ、そのきらきら光る髪の色がよく似合う。
日が落ちるとともに、しとしとと雨が降った。花火しようって、せっかく約束したのに。お夕飯の冷麦は美味しかったけれど、傾いたあたしの機嫌は戻りそうになかった。
「いつまでぶーたれとるんじゃ」
「だってーだってだってー」
雨が降ったおかげで少し涼しくなったけれど、まさは扇風機の前から動こうとしない。ときどきだるそうにあーって声を震わせて遊んでいた。その後ろから脇腹をつっつくと、あほ、と頭をはたかれた。
「あーばかになるー」
「もうとっくに手遅れじゃ」
「わ、ひどーい!」
「ははは、」
まさはそのままわしゃわしゃとあたしの髪を掻き回した。そのやさしげな眼差しにぎゅうと胸が締め付けられる。ずるいなあ、と思う。
まさはいつもこんな調子で、何を考えているのかわからない。昔からそう。まさは同い年なのにどこか大人びていて、お兄ちゃんみたいだった。だから初めて遊んだときから、あたしはまさのことが大好きだった。いつだってあたしの一歩先をゆく彼は、あたしの憧れだったのだ。
けれども彼はいつだってあたしと違う世界に生きていた。そのことに気がついたのは、いくつめの夏だったか。それまで真っ黒だったまさの髪が、眩しいくらいの銀色に変わっていた。そのときはすごくびっくりしたけれど、なんだか彼にぴったりだと思った。
そして去年の夏のこと。あの日も今日みたいなにわか雨が降っていた。あたしはふとお風呂上りのまさの白い胸元に、小さな紅い痣みたいなものを見つけたのだ。
そのときは虫刺されかなって思ったんだ。夏休みが明けて、友達が初めて彼氏の家にお泊りしたって話を聞かされるまでは。
その子の首筋には、まさと同じ紅い小さな点があった。それを見て気づいてしまったんだ。まさはもうあたしの知ってるまさじゃないんだってこと。いくら走って追いかけても、もう手の届かないほど遠いところへ行ってしまったんだって。
一年に一度しか会えなくても、まさは同じ空の下に生きている。あたしとまさはいとこ同士だ。この繋がりはどうあっても切れるものじゃない。だからもう少し大人になればきっともっとたくさん会えるようになる。そんな風に思ってた。
だけどそうじゃなかった。はじめから、あたしとまさの距離はどうやったって縮まることはなかったんだ。
「まさー」
「ん、」
あたしの髪を撫でるまさの手は、すっかり男の子から男の人のものに変わってしまっていた。そのことを素直に受け入れられるほど、あたしはまだ大人じゃない。
「あたし、まさのことすきだよー」
「…なん、いきなり」
「えへへ。まさだーいすき」
「…知っとる」
まさは困ったような顔をして笑った。それを見ていたら、なんだか鼻の奥がつんとした。誤魔化すように、あたしも笑った。けれど本当は、今すぐ泣いてしまいたかった。
「ねえ、まさ」
「んー」
「あしたは晴れるかなあ」
「…さあの、暑いんはいやじゃ」
「あはは、まさらしいね」
ねえ、まさ。
まさはあたしを置いて大人になってしまったんだね。
じゃあさ、もしもあたしが、
「…ねえ、まさ」
あたしのことも大人にして欲しいって言ったら、どうする?
(20120907)
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