※死ぬ話
※夢じゃない



「ブンちゃん久し振り」
「あれ仁王もうガッコ来ていいのかよい」
「おん。熱下がってから三日でええんじゃと」
「にしても復活はやくね?」
「予防接種受けたからかも」
「そんなもん?」
「たぶん」

この冬もインフルエンザが横行していた。俺らは幸村くんの命令で秋にはしっかりと予防接種を受けた。そのくせ部内では赤也と仁王がダウンして、あとからインフルは予防接種受けたほうが感染しやすいらしいって聞いた。まじかよ最悪じゃんって思ってたけど俺は今のところ元気だ。うちにはチビがいるから人一倍気を遣ってる甲斐があったらしい。うがい手洗いって大事だよな。

「…苗字がおらん」

久し振りに顔を見せた仁王はぐるりと教室を見渡してそう呟いた。いないのは苗字だけじゃないんだけど。欠席者が増えて通常より若干密度の低くなった教室は心なしか冷たく感じる。

「苗字?あー、あいつもインフルったらしいぜ。昨日からきてない」
「…まじで?」
「あん?どうしたんだよい」
「俺のせいかも」
「は、なんで」
「休んだ最初の日、プリント届けに来てくれた。うち同じ方向じゃき」
「…あー」

なんだ、だから苗字なのか。俺はひっそりと納得した。クラスメイトのこととかほとんど興味を示さない仁王の口から特定の人物の名前が出たのが意外だったからだ。俺はこいつがちょっと苦手だったりする。嫌いとかじゃないけど。何考えてるかわかんねーんだよな。

「まーあんま気にすんなって」
「…おん」

否定も肯定もしない(って言ってもほとんど肯定したようなもんだけど)俺の言葉に不安気に眉を寄せる仁王の顔は何だかレアだった。こいつのこんな表情は珍しい気がする。ちなみにこれは先々週の話。

今年のインフルはわりと強烈らしくて、かかった奴はどいつもこいつも復活に時間がかかった。つってもそのうち戻ってくるわけだから深く考えることもなく、虫食いみたくぽつぽつと空席の目立つ教室での日々がすっかり当たり前になっていた。だから週明け一発目に苗字の訃報を聞いたときは信じられなかった。予鈴とともに姿を見せた担任がただならぬ雰囲気を醸し出していて、それを察知した俺たちはいつになく静かにその言葉を聞いた。今朝苗字が自分の部屋で亡くなっているのが見つかった。原因はインフルエンザの菌が脳に回ったことらしい。と。

「お顔見てあげてね、最期だから…」

葬式の日、苗字のお袋さんはそう言って、参列した生徒ひとりひとりに挨拶してくれた。喪主の親父さんもあちこち動き回っていて、一人娘の葬式だってのに二人の姿はとても気丈に見えた。きっと今は泣いている場合じゃないんだろう。何でも苗字はすっかりよくなっていて、医者からも月曜には登校を許可されていたそうだ。

苗字はどちらかと言えば地味な女子だったから、正直俺はあんまりよく覚えていない。祭壇には生前の苗字がやわらかく微笑んでいて、それと薄っぺらい記憶の中の苗字を照らし合わせながら覗き込んだ棺の中は、何だかとても不思議な感じがした。

「のう…ブンちゃん」

見よう見まねに焼香を終えて、俺たちは出棺前に式場をあとにした。泣いてる奴もいたけど、慣れない場から離れてみんなの緊張感が和らいだのがわかった。ぞろぞろと学校へ戻る途中、それまで一言も発しなかった仁王が重々しく口を開いた。

「…ん」
「苗字のこと覚えとる?」
「んー…いや、まあ。正直あんまり」
「じゃろな。俺も、あんま知らんかった。目立たん子じゃったし」
「…だよな」
「…けど、俺な」
「うん?」

俺な、あいつの声が好きじゃった。本読みするときとか、綺麗な声じゃな思て。よう居眠りする振りして聞き耳たてとったん。それだけなんじゃけど。

そう淡々と話す仁王の横顔をチラリと盗み見たけれど、やっぱり何を考えてるのかは分からなかった。

「…そか」

俺には苗字の声なんて思い出せなかった。ただ写真の中で微笑む苗字と、棺の中で眠る苗字の顔だけが交互にちらついて頭がおかしくなりそうだった。

「俺のせいかのう」

…ちげーよ。そう言ってやりたかったけど、何故か声にならなくて、かわりに出て来たのは涙だった。あーなんで俺が泣いてるんだよい。くそ。んなおセンチなこと比呂士に話せよ馬鹿野郎。むかついたから仁王の横っ面に思い切りグーパンしてやった。それをまともに食らいながら情けない顔をして笑う仁王のことを、やっぱり俺は苦手だと思った。


(20120801)
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