×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




以前に彼女が北宅に来たのは1ヶ月ほど前だっただろうか。カレンダーの日付を見ながら、そろそろ連絡が来そうだと北は思った。その読みは当たりでスマホの通知音がして画面を見ると『7:00には着きます』という短いメッセージ。絵文字も何もないシンプルな文は、余程疲れていることの表れだろう。
これは彼女の密かなSOSのサインであると北は考えている。彼女本人は断じて認める気は無いが。


◇◇◇◇◇


祖母と夕飯の支度を終えてもうすぐ7時になるかという頃。玄関に人の気配がして、ガラガラと戸が開く音がする。
「こんばんはー!みょうじです」
「いらっしゃい、なまえちゃん」
「結仁依さん、お邪魔しますね」
祖母と挨拶を交わした彼女は居間へと顔を出す。
「北くん、いつもごめんね」
「ええよ。はよ食べんと飯冷めるで」
北は早く座るよう促した。今日のメニューは今朝畑で取れたばかりの夏野菜をふんだんに使ったカレーだ。いただきます!と手を合わせてから、みょうじはそれを美味しそうに食べ始めた。彼女がこうして嬉しそうに食べるのを見るのが北は少し楽しみでもあった。


◇◇◇◇◇


みょうじなまえは北の高校の同級生である。3年間ずっと同じクラスでそれなりに話す仲だった。高校を卒業してからはほとんど連絡をとることもなかったけれど。それでも当時から何事にも真摯に向き合う彼女の姿勢を、北は好ましく思っていた。
お互いが社会人となり、たまたま治の店に米を卸した帰りに駅で2人は再会を果たした。数年ぶりに会ったが、北は一目で彼女だとわかった。そして仕事で理不尽に怒られ、疲れきって今にも泣きそうな彼女に思わず飯でも食いに来んか?と北は言ってしまったのである。結果として彼女は北宅で気持ちの切り替えが上手くいったらしい。それ以来リフレッシュと称して北宅でご飯を食べて雑談をするという関係が出来上がったのである。


◇◇◇◇◇


彼女がカレーを美味しそうに食べていた日から丁度1週間後の金曜日。時計の針は21時を回ろうとしていた。就寝の準備をしていたところにトークアプリの通知。驚いてスマホの画面を見ると『遅くにごめん。今日行ってもいい?』という文字が並んでいた。
だいたい彼女がリフレッシュしに家へ来るのは1ヶ月くらいのサイクルだ。今回はえらく早いし、この時間だ。何かあったのだろうか、と北は不安げに時計を見つめ、『ええけど気をつけるんやで』と短く返した。

メッセージを返してからしばらくすると、玄関のチャイムが響いた。玄関へと向かうとスーツ姿の彼女がそこには居た。
「ごめんね。こんな遅くに」
「何かあったんか?」
「えっと」
「ああ、ちゃうわ。とりあえず上がってからや」
いの一番に何かあったのか聞いてしまった。普段の北であれば、このように動揺することなど考えられなかった。
居間へと招き入れ、彼女にお茶をいれてやる。その顔をよく見ると頬に少し赤みがさしていた。おまけにアルコールの匂いもする。どこかで呑んできたのだろうか。
「……何かあったんか?」
一息ついたところで北はさっきと同じ質問をぶつけた。
「ちょっと、仕事で嫌なことがあって。迷惑なのはわかってたんだけど、北くんの顔どうしても見たくなって」
深呼吸を1つして、ゆっくりとみょうじは零し始めた。話によれば後輩のミスを被り、相手企業に謝罪に回っていたらしい。おまけにその後苦手な上司に飲みに連れ出され断りきれず散々だったらしい。きっといつもならこんな時間にここへ来ようとはしなかっただろう。
「いつでも来てええよ。みょうじ、よお頑張ったな」
ふわりと優しく微笑む北の顔を見て、みょうじの涙腺が弛んだ。ぽろぽろと堰を切ったように涙を零す。北が頭をぽんぽんと撫でてやるとしゃくりあげるように泣き始めてしまった。
その後、みょうじは泣き疲れたのか机に突っ伏して寝てしまった。目元は薄ら赤く腫れている。北は涙のあとを親指でそっとなぞった。
本当は彼女には笑っていて欲しいんやけどな、と北は思う。前々から聞く分には、彼女の職場環境は良くないようだった。
彼女のために来客用の布団を敷いてやる。寝かせてやろうと抱えあげたその身体は想像以上に軽かった。
「…………惚れた弱みやんなぁ」
すやすやと寝息をたてるその顔を愛おしげに見ながら北は呟く。気持ちに気づいたのは最近。しかし、高校時代からの淡い恋心はここまで確実にすくすくと育っていた。


◇◇◇◇◇


翌朝、味噌汁のいい匂いで北の目は覚めた。着替えをすませて台所に行くと祖母とみょうじが朝食の準備をしていたようだった。こちらに気づいた彼女が振り返る。
「おはよう」
「おはよう北くん。ごめん、勝手に用意させてもらっちゃった」
「いやありがとうな」
祖母は早朝ながらも近所の人と趣味のウォーキングへと出かけ、2人きりの朝食となった。朝食を食べる音が居間に響く。その沈黙を破ったのはみょうじの方だった。
「き、昨日はご迷惑をおかけしまして……」
「眠れたか?」
「へ?う、うん。眠れたし、スッキリした」
これであの会社でも頑張れそうだよとみょうじは力なく笑う。こんな無理した顔を俺ならさせへん、などと思うと気づいたら北は口を開いていた。
「なぁみょうじ。その仕事辞めへんか」
「え……いや、でも」
「苦しそうなお前見てられんわ」
食卓に並んだだし巻き玉子を北は一口頬張る。綺麗に巻かれた卵は彼の好みの味付けだった。彼女のいる生活もええんちゃうやろか、なんて考える。
「でも、仕事辞めたら生活できないし」
住むところもなくなっちゃうよと彼女は言う。そういえばみょうじは早くに両親と死別しているため、頼れる人がいないのだ。だからこそなかなか仕事を辞められなかったのかもしれない。
「養わせてくれんか」
「誰を?」
「みょうじ」
「私を?」
「おん。農家の嫁に来る気ないか」
「へ?…………よ、嫁!?」
思っても見なかった言葉にみょうじは顔を赤くさせている。その様子を見られただけでも満足やな、と北は思った。
「あ、あの。北くん私のこと好きだったの……?」
「好きでもない子を家に上げるような男に見えるか」
「み、見えません……」
机に置かれた彼女の手に自身のそれを上から重ねる。すり、と動かすと彼女は肩をびくりと跳ねさせた。
「北くん」
「おん」
「えっと、その。まずはお付き合いから始めませんか……!いきなり嫁入りってのは、ほら」
しどろもどろになりながらも、真摯に言葉を選ぶ彼女に愛おしさが溢れる。
「それは前向きに受け取ってええってことか?」
北が尋ねると消え入るような声で肯定が返ってくる。その返事に北は柔らかい笑みを浮かべるのであった。






Back