17.5、 ドキドキする 羽ペンは部屋から撤去した。ブルーベルに羽ペンで脅されるのは、嫌だったからだ。 だというのに。 「ウォルド、今日も好きって言って」 ブルーベルの手には、羊の毛で作られた毛玉があった。僕が羽ペンを隠したことに憤慨し、翌日から羊の毛玉を持ってくるようになったのだ。 さすが、実家が牧羊を営んでいるだけのことはある。 まさかこんな強引な手段に出るとは思わなかった。 「大好きだよ、ブルーベル」 僕は棒読みで答えた。僕達は今、暖炉の前に椅子を置いて座っている。いつもならば三人掛けの椅子を持ってくるのだが、今ブルーベルと並んで座るのは危険だと判断したのだ。 「もっと感情をこめて言って」 ちらちらと羊の毛玉を目の前で翳すブルーベル。 「好きだよ、ブルーベル」 そう言っただけで、ブルーベルは笑顔を見せた。最近の彼女は、僕に好きと言ってもらうのが大のお気に入りらしい。そこは可愛いのに、ブルーベルの手に持っているものだけが可愛くない。 「もう一度」 「大好きだよ」 ふと、ブルーベルの笑顔が曇った。 「こんなふうに脅して無理やり言わせるなんて、いけないよね」 「どうしたの? 急に」 「私もサリア様に叱られて、ごめんなさいは? ってよく言われるの」 「何か悪いことをしたの?」 「ううん。していないよ。でも、すぐに謝らないと叩かれるの。ウォルドも、無理に言わされて嫌だよね、こんなの」 僕は椅子から立ち上がると、すぐにブルーベルの体を抱きしめた。 「僕は嫌で君が好きだと言っているんじゃないよ。わからないのなら、君が理解するまで好きって言うよ。僕の君への想いに偽りなんて無いんだから」 ブルーベルは顔を赤くした。暖炉のせいで赤く見えるわけではない。 「ねぇ、ウォルド」 「ん?」 「もっとぎゅってして」 「……」 「どうしたの?」 「う、ううん、なんでもないよ」 今一瞬、とっても危なかった。ブルーベルが可愛すぎて意識が飛んでいたよ。 ブルーベル、可愛い。 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。 でも、お許しが出たんだから、もっとぎゅって抱きしめてもいいんだよね? いや、今さらダメだって言われても抱きしめるよ? 抱きしめちゃうよ? 「ウォルド、ぎゅってして」 「うん、それじゃあ、はい。ぎゅう……」 がちゃり、と部屋の扉が開いた。 「お坊ちゃま、お取込み中のところ、申し訳ありません。旦那様がお呼びです。お坊ちゃま宛てにお手紙が来ていると」 僕はブルーベルを抱きしめる寸前で硬直していた。 部屋へ入ってきたのは執事のハンスだ。 どうしてノックをしなかったのだろう。ハンスがノックを忘れるなんて。まさか、わざと邪魔をされた? 「手紙? そんなの後回しじゃいけないの?」 不機嫌を隠さずに、恨みがこもった視線で訴えた。 「それが、旦那様も午後から出かける用があるので、今すぐに確認を済ませたいそうです」 「……そう」 ブルーベルは寂しそうな顔で僕を見上げていた。 「帰ってきてからでいいから、ぎゅってしてね」 ぎゅってしていいんだ? 僕は機嫌を直した。 「うん、いい子にして待っていたらぎゅってしてあげる」 「わかった。いい子にして待ってる」 いつになく従順で素直なブルーベルに、僕はどきどきしていた。羽ペンを突き付けて脅してきたブルーベルと同一人物とは思えない。今すぐ襲ってしまいたい。 「お坊ちゃま」 ハンスが呼んだ。 「わかっているよ。行くよ」 僕はブルーベルの頭を撫でてから、部屋を出て行った。 そうして十分後。 僕はウキウキしながら部屋へと戻ってきた。 「あ、ウォルド、お帰りなさい」 ブルーベルが明るい声で迎えてくれた。体には肩掛けと膝掛けがある。 「ただいま、ブルーベル。……どうしたの? それ」 「ハンスさんがね、さっき持ってきてくれたの。すごく暖かいよ」 「そう、良かったね」 「うん、だからね、もうぎゅってしてくれなくていいよ。肩掛けと膝掛けのおかげで、暖かいから」 僕は何を言われたのかわからなかった。 僕は、ブルーベルを抱きしめることができると思って、それを楽しみに部屋へ戻ってきたのだ。 それなのに。 抱きしめられないとはどういうことか。 納得できない! 「え? いや、僕、君を抱きしめることをわくわくしながら戻ってきたんだけれど」 僕はブルーベルを抱きしめようとした。 でも、僕の指がブルーベルの耳にほんの少し当たっただけで、ブルーベルが嫌がる。 「ウォルド、冷たいっ。離れてっ、寒い」 長い廊下を歩いて部屋へ戻ってきたので、僕の体はすっかり冷えていた。そのせいで嫌がられたことに、僕は動揺を隠せない。 「じゃ、じゃあっ、ブルーベルが温めてよっ! 僕だって寒いんだからっ! ブルーベルの意地悪っ!」 逆切れした。 僕は拗ねた顔で椅子へと座る。するとブルーベルは座席から立ち上がって、膝掛けを僕の膝の上へと置いた。そして僕の体を肩掛けで包み込むように抱きしめてくる。 「意地悪してごめんね?」 僕はブルーベルの体を抱き返した。 「僕の体が温まるまで、こうしてて。そうしたら、許してあげる」 「わかった」 僕はブルーベルをぎゅってしたかったはずなのに、これでは逆だ。僕がブルーベルにぎゅってされている。 「なんだか、違う。僕が望んでいたことじゃない」 「え?」 僕は、あの寂しそうな顔をしたブルーベルを、ぎゅってしたかったのだ。けれど今のブルーベルはちっとも寂しそうじゃない。 不満だ。 「さっきはあんなにも僕に縋ってきて、可愛かったのに」 思わず不平が口を突いて出た。 「ウォルドが帰ってきてくれたから、寂しくないんだよ?」 ブルーベルが即答した。僕は俯いてもじもじしてしまう。 「……へ、へー? そうなんだ?」 顔がにやけてしまった。 「そうだよ。ウォルドと一緒の時が、一番幸せ」 僕は顔面が真っ赤になるのがわかった。 どうしよう、顔を上げることができない。 すごくドキドキする。 ブルーベルのことが好きすぎて、ドキドキする! あああっ、心臓の音が邪魔だっ。どうしてこんなに鼓動が速いんだよっ。 「……」 「ウォルドの体が温かくなってきた。もう離れていい?」 「まだ、だめ」 「え?」 「責任、とってよねっ」 僕をこんなふうに惑わせて、乱して、困らせて。 本当にブルーベルは酷い。 いつか、僕をこんなにも好きにさせた責任をとってもらうんだから。 覚悟しててよね。 僕はブルーベルを強く抱きしめながら、不機嫌な顔をしていた。 |