ブルーベルとウォルドは浴室へやってきた。老執事のハンスはウォルドの入浴を禁ずるわけでもなく、素早く入浴の準備をしたのだ。 「ねぇ、ねぇ。ブルーベルも一緒に入ろうよ。お風呂に」 衝立の奥からウォルドの声が聞こえた。ブルーベルは石鹸を手にして、布で泡立てる。 「この石鹸、いい匂い」 「おじい様が、異国から取り寄せたものらしいよ。薔薇の石鹸だったかな…」 貴族だけあって、石鹸一つにしても身分の差が出ていた。 「ウォルドの家は、本当に凄いね」 「そう? 欲しければその石鹸、いくらでもあげるよ」 「貰うだなんて、悪いわ」 「石鹸をあげるから、僕と一緒にお風呂に入ってよ。一人でお風呂に入るの、寂しいなー。僕もブルーベルの体をその石鹸で洗ってあげたい」 「私はいいよ。自分で洗えるし」 「遠慮なんてしなくていいのに」 ブルーベルは布を泡立てると、衝立の奥へ入った。庶民が桶に湯を張って体を洗うのに対し、目の前にあるのは大きな岩をくり抜いたかのような浴槽だった。ウォルドと二人で入っても十分な大きさがある。排水溝もきちんと完備されており、床が濡れてもいいようになっていた。 ウォルドは腰に布を巻いて、浴槽に腰掛けるようにして大人しく待っていた。色素の薄い肌は、うっすらと青い血管が浮いている。小食というわけではないが、体調を崩した時に食事ができなくなる為、痩身なのだ。 ブルーベルは桶を手にすると、熱くないことを確認してからウォルドの肌にそっとかける。 「熱くない?」 「うん、大丈夫」 ブルーベルは泡立てた布で、ウォルドの左腕を洗うことにした。 「私は一人っ子だけれど、ウォルドを見ていると弟ができたみたいで楽しい」 「え…」 ウォルドの腕を洗った後は、首や胸、腹部や背中を丁寧に洗った。 「足は自分で洗える? それとも、私がしたほうがいい?」 「じ、自分で洗えるよ…」 「そう? じゃあ、はい」 ブルーベルは布をウォルドへ渡した。ウォルドはどこか落ち込んだ様子で自分の足を洗う。 「ブルーベルも、僕と一緒にお風呂へ入ろうよ。僕に見られるのが恥ずかしいのなら、僕が目隠しをしてもいいから」 「そんなに私と入りたいの?」 「うん」 「でも私、恥ずかしいし」 「僕は恥ずかしくないよ」 大切な親友のウォルドとならば一緒にお風呂へ入っても大丈夫だろう、とブルーベルは信用することにした。継母から受けた傷の手当ても、ウォルドがしてくれるのだ。 ブルーベルは衣服を脱いで下着姿になった。だがウォルドがじっと真剣に見つめてくることに気づいて、顔が赤くなってしまう。 「こっち、見ないで」 「どうして? 君の下着姿ならいつも見てるじゃない。僕が服を脱がせてあげようか?」 「いい。自分で脱げるから」 ブルーベルはやはり、ウォルドの視線が気になってしまった。ウォルドは浴槽から出ると、衝立の上に引っ掛けておいた黒い布を手に取る。それを、自らの両目を覆うようにして後頭部で縛った。 「これでいい? こうしたら、僕はブルーベルのことが見えないし」 ブルーベルは本当に見えないのだろうか、とウォルドの前に立って手を振ってみた。だが彼は見えていない様子。ブルーベルは素早く下着を脱ぐと、衝立へと脱いだ服を引っ掛けた。そして浴槽へ身を沈める。 「ウォルド、入ったよ」 「じゃあ、僕も入る」 ふらふらしながら、ウォルドが浴槽へと手をつけた。そのまま慎重に浴槽へ入る。浴槽の中にはラベンダーの香りがする湯が張られており、とてもいい匂いがした。 「贅沢ね。こんなに湯を使うなんて。ね? ウォルド」 ウォルドへ振り返ると、彼は布を手にして石鹸を静かに泡立てていた。 しかも、鼻歌混じりである。 「待っててね、ブルーベル。僕も君の体を洗ってあげるから」 「いいよ、私は。自分で洗えるから」 「ダメ」 「え?」 「自分ではきちんと洗えてるつもりでも、もしかすると洗い残しがあるかもしれないだろう? だから、僕が綺麗に洗ってあげる」 ブルーベルは奇妙なほどに不安にかられた為、ウォルドが本当に見えていないのか確認をすることにした。浴槽の湯を手で掬うと、ウォルドの顔へかける。 「えい」 ぱしゃっ、とウォルドの顔に思いきりかかった。 「うわっ、なに、酷いよっ。僕が見えないのをいいことにお湯をかけるなんて」 「ご、ごめんなさい…」 「もう…」 ウォルドが石鹸を浴槽の外へ置いた。手を宙に向けて動かし、ブルーベルの居場所を探す。それほど広い浴槽でもない為、ブルーベルはすぐにウォルドに腕をつかまれて立たされる。 「ウォルド、本当にいいってば」 ウォルドがブルーベルの唇へと手を当てた。 「しーっ。いい子だから、静かに。ね?」 妙な強制力を発揮された。ブルーベルは何も言えなくなってしまい、ウォルドが泡立てた布を右腕に当てられるのを感じる。くすぐったいような、ぞわぞわするような。思わず腕を引っ込めてしまいそうだった。 「ん…っ」 右腕が終わったら、次は左腕。指先のほうから徐々に上へへと布がなぞられていく。 「君の肌は、滑らかだね。女の子の肌だ」 「そう…? 傷だらけだよ、私」 首筋に、布が当てられた。 「ばか。君の継母が傷をつけたぐらいじゃ、君の美しさや輝きは損なわれないよ。こうして目隠しをしていたってわかる。君がどれだけ綺麗なのか」 体を引き寄せられて、抱きしめられた。互いの濡れた肌が密着し、まるで肌同士が吸い付いているかのような錯覚に陥ってしまう。 「ウォルド…」 「君のほうがぼろぼろなのに。神様はどうして、こんなにも残酷なのだろう」 「ウォルド。神様をそんなふうに言ってはいけないわ。パパはいつも言ってる。神様は、その人が耐えられるだけの試練しか与えないって」 「こんなの、試練なんかじゃないよ。僕は、神様がずっと嫌いだった。唯一神に感謝をすることがあれば、それは君に出会えたことだけだ。僕にとって君と出会えたことは、最大の喜びだから」 「じゃあ、私達、お互いに運が尽きてしまったのかもね」 「え?」 「私も、あなたと出会えたことが一番の幸せだと思っているの。一番いい事が終わってしまったから、運が悪いのかもしれないわね」 ウォルドは苦笑した。 「そうだね。きっと、そうだ」 「うん」 「でも、ね。聞いて、ブルーベル」 「なに?」 「君を幸せにするのは、君のパパでも神様でもなくてこの僕だ。こればかりは、絶対に誰にも譲らないよ」 ブルーベルは頷いた。 「うん。私も、ウォルドを幸せにする」 「ブルーベル……」 お互いに、裸のまま抱きしめあっていた。 永遠とも思えるほどの時間。 だが次の瞬間。 「はっくしょん」 ブルーベルがくしゃみをした。ウォルドはブルーベルから体を離す。 「ブルーベル、ごめん。体が冷えちゃったよね」 「あ、うん、これぐらい全然だいじょう、へっくしょん、へっくしょんっ、へっくしょんっ!」 連続でくしゃみをするブルーベル。ウォルドはおろおろせずにはいられない。 「ブルーベル…」 ブルーベルはウォルドが手にしている布を取った。 「ごめん、ウォルド。やっぱり私、自分で体を洗うね。風邪をひいてしまうから。ウォルドは浴槽にそのまま入って体を温めて」 「あ…、うん」 ウォルドはどこか落ち込んだ様子で湯の中に入った。ブルーベルはササッと体を洗って湯に浸かる。 「気持ちいいね、ウォルド」 「そうだね…」 「どうかした? なんだか元気が無いように見えるけれど」 「気のせいだよ…」 ブルーベルはゆっくり湯に入って体を温めると、立ち上がった。 「ウォルド、私先に上がるね」 「うん。僕はもうちょっと入ってるよ。せめてこのお湯だけでも楽しまないと、立ち直れない」 ブルーベルは首を傾げたが、気にしないことにした。 彼は時折不思議な言葉を発するが、ブルーベルがわからないだけでおそらくとても崇高なことを考えているのだ。 ウォルドは貴族であり、聡明で気高い気質を持っている。 そう。 凡人であるブルーベルには、到底及びもしないことを思っているのだ。 ブルーベルは脱衣所に置いてあった大きな布を借りて、肌についている水滴を拭いた。麻とも羊毛とも違う手触りの布。 「ねぇ、ウォルド。そろそろ上がらないと、のぼせちゃうよ」 「うん、わかってる。…あぁ、……ルのいい匂い。幸せ」 「そうだね。ラベンダーの香りが浴室いっぱいに広がっているものね」 「このお湯、捨てたくないな…」 「わかる、その気持ち。こんなに水を使うだなんて、贅沢だものね。私も捨てるのは勿体ないと思う。…あ。お洗濯に使えばいいんじゃないのかな。それだとお水も勿体なくないし」 「…うん、そうだね……」 「じゃあ、私、先にウォルドの部屋に戻ってるから」 「僕ももうちょっと楽しんだら、上がるよ」 ブルーベルは浴室を出てウォルドの部屋に向かった。 だがその後、待てども待てどもウォルドが部屋へ来ることはなく。 三十分経ってからブルーベルが浴室へ戻ると、彼は浴槽の中でのぼせて気を失っていた。 ブルーベルが悲鳴を上げて再び大騒ぎになったのだが、これはまた別の話である。 |