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10M


これまでの彼女との思い出を回想しながら、一段一段大事に登っていた階段が、とうとう終わりを告げた。
最後の一段を踏みしめて、オレは灰色の怪獣の頂きへと足を進める。ひゅるりと、挑戦者を迎え入れるかのように乾いた風が吹いた。
飛び込み板に立つと、ダイビングプールの端に名前さんの姿が見えた。眩しそうにしながらこちらを見上げている。
オレは大きく息を吸い込むと、彼女に向かって、「苗字名前さん!!」と叫んだ。

「えっとすね……あのー……あれっ」

やべぇ、緊張で何言うか全部トンだ!! 真面目に色々考えてたのに!!

「とっ、とにかく、オレは改めて言いたい!! あなたのことが好きです!!」

こうなったら破れかぶれだと、気持ちをそのまま押し出すように大声を出せば、隣の公園の木々からパタパタと鳥が羽ばたいていった。ひょっとしたら、オレの声はかなり広範囲まで響いているのかもしれない。でも、そんなことどうでもよかった。

「名前さんの、飛び込みが好きです! 笑った顔、好きです!! えーと、あと……全部好きです!! オレはあんたが欲しい!!」

身体のどこからか止めどなく溢れてくる熱いものを、必死に言葉に変換して、繋ぐ。
そこで一度はぁ、と息を整えて、「だから!!」とオレは訴えかける。

「年の差も、他の障害も、全部全部、今から飛び越えます!! そしたら、オレと付き合ってください!!」

返答はない。やがてしんとした静寂が辺りに降り注いだ。
ゆっくりと、だけど堂々と胸を張って足を進め、オレは飛び込み板の先端に立った。ちらりと目を落とせば、沈黙するダイビングプールの水面。西日が舐めつけて、挑発するかのようにギラリと光った。
でもオレは知っている。水の世界は、失敗したものには容赦なくその恐ろしさを突きつけるけど、成功すれば意外なほど柔らかく、身体を受け入れてくれることを。

恐れはない。トラウマは克服した。
不安もない。何度も何度も練習した。

そして完璧に仕上げた、101A──前飛び込み伸び型。
かつて大失敗したコイツでもって、オレは名前さんを手に入れる!!

ゆっくりと、両手をまっすぐ横に広げた。魔物を調伏するヒーローのように、指先の方まで静かに闘志を行き渡らせると、一度目を閉じた。
思い出すのは、名前さんのダイブ。初めて見たその瞬間からオレの心を掻っ攫った、カッコよくて、美しくて、見てると血が沸くような圧倒的なダイブ。

(──今だ!!)

カッと目を見開くと、深く両膝を折り曲げて、ざらざらした足場を力いっぱい蹴り上げて、オレは大きく宙へ飛翔した。時速60kmの急降下。横に広げていた手を頭の上で合わせる。そのまま体幹がブレないように、重力に振り負けないように、持ちこたえろ、持ちこたえろ、持ちこたえろ──!

次の瞬間、薄く張った氷の層を一気に突き破っていくような清々しい衝撃と共に、オレの身体は水中に投げ出された。脱力のままに沈んでいく身体。成功を確信して、小さくガッツポーズを決めた。

目を開ければ、水面がどんどん遠のいていく。ヤベ、そろそろ上がんなきゃいけないけど、力が入らな……、

そんな時、ざぶんと飛沫を立てて飛び込んできたのは、水着姿になった名前さんだ。ゆらゆらとぼやける水の世界の中で、こちらにぐんぐん近づいてくる彼女のシルエットは、まるでおとぎ話に出てくる人魚姫のようで。腕を掴まれて引き上げられる途中、前にもこんなことあったなとぼんやり思った。
水中から脱して、呼吸を荒くして必死に酸素を取り込んでいると、名前さんは興奮をそのまま声に乗せて、「すごいっ!! すごいよ、一差!!」とまくし立てた。

「101Aなんて、一体どこで誰に教わったの!? ただ飛び込むだけだと思ってたから、私びっくりしたよ!!」
「……誰にも教わってないす」

そう言った後、「でも、強いて言うなら」とオレはニッと口角を上げた。

「名前さんが、前に見せてくれたやつ。あれを思い出しながら、ずっと練習してました」
「……!」

そう、目を見つめて言い切れば。名前さんは「いつの話よ……」とため息をついたあと、前髪を掻き上げて、それから観念したように乾いた笑いを洩らした。

「あーもー、負け。私の負けよ。あんな見事なダイブ見せられたら、もう……何も言えないわ」
「!!」

それって、と続ける声は、みっともなくも震えてしまった。

「付き合ってくれるってことすか……?」
「…………。」
「付き合ってくれるってことすね!? そーなんですね!?!?」
「あーー……これで私も犯罪者予備軍の仲間入りか……今までまっとうに生きてきたのにな……」
「!! ッッッシャー!!!!」

やった!! オレの想いが通じたんだ!!
拳を大きく突き上げて喜びを爆発させるオレに、「そんなに嬉しいか?」とつられたように名前さんも顔を綻ばせる。しょうがねーなーとでも言いたげな笑顔だったけど、その頬ははっきりと分かるぐらい赤く染まっていて。

──うわ、ヤバイかも。なんか、めちゃくちゃ名前さんが可愛く見える。

「嬉しいです。すっげー嬉しいです。このまま勢いで抱きつきたいぐらいには嬉しいです!」
「……は!?」

驚いたようにそう叫んだ名前さんが、ちゃぷんと水の中にもぐる。それから顔の半分だけ覗かせて、オレを品定めするみたいにじっと見つめてから、おもむろに浮上して。

「……マセガキ」

じとりと上目がちに放たれた一言には、こちらを咎めるような色も滲んでいたが、照れ隠しで言ってることがバレバレだったから、むしろ余計に可愛いなと思うだけだった。これがキュンとするってやつなのかもしれない。

「まあ、いいだろう。だが、私を捕まえられたらな!」
「あっ、ちょ!」

可愛いって言ったらどんな反応するかな、なんて思った矢先に、名前さんがそう言ってオレから逃げるようにクロールで泳ぎだした。さすが人魚モドキ、泳ぐのも超速い。「ふはははは、追いつけるかな!?」と挑発する声が届いたので、全く子供かよと思いながら、オレも彼女のことを追いかけ始めた。

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