top

荒北君と終わりから始まる話



親友の名前:一宮珈奈

───────────

まず初めに言っておくと、私は新開君が好きだった。同じクラスになったこともない、私が見たのは、自転車に乗っている彼。彼は本当に楽しそうに漕いでいて。(かっこいい)私はいっぺんに引き込まれた。それだけ。私は何もできないまま、高校2年生を終えた。
見ているだけで、何かが変わることなどない。そんな当たり前のことを思い知らされたのは、それからすぐのことだった。
新開君は、私の親友を好きになった。高校3年の始業式の日、教室に押しかけてきて珈奈に迫った挙句、ばきゅん、と宣戦布告をしていったのだ。
良くも悪くも役者な私は、流れのままに、新開君のばきゅんポーズの意味を教え、2人のことを見守るような形になってしまった。
言えるはずなかった。言ったら珈奈が困る。新開君が困る。だって珈奈は自慢の友達だし、新開君も素敵な男の子だから。きっと珈奈は新開君のことを好きになるし、新開君は珈奈のことをもっともっと好きになるだろう。言えるはずがなかった。
私は言うべきだったのだ。多分、ずっと前の、あの日──自転車で駆け抜けた新開君に一瞬で魅せられた、あの日のうちに。今となってはもう遅かった。私は誰にも気取られないまま、荒北君とともに2人を見守るばかりだった。腹の底に、澱のような悪いものが溜まって、凝っていくのが分かる。
それを溜めて溜め続けて、10月。私は気づいてしまった。
新開君を見る珈奈の目が、変化している。去年の私と同じ目をしてる。
ずしん、と、鉛が投げ込まれたように、体が重くなった。それでも私は、珈奈の親友でいたかった。私は隠し通すことにし、それは私には案外簡単にできてしまった。
それから1ヶ月半経った今日。
新開君と付き合うことになった、そう珈奈から言われた。やっぱりね、まんまと仕留められたか。そう言って笑ったら、名前ずいぶん片棒担いでたよねえ…と苦笑を返された。

──今日も2人は図書室で勉強してくの。
──うん。名前は。

嘘はするりと口から滑り出た。

──私ちょっとノート買わなくちゃいけないから、駅の方まで行ってくる。
──そっか、分かった。

そんな会話をして別れた。帰り道、歩きながら私は泣いてしまっていた。声を出さず、静かに涙を流して歩いている私を、道行く人々は見て見ぬふりをして通り過ぎた。
涙を落ち着かせてから寮に戻り、次の日。


***


帰りのHRが終わって鞄を肩にかけたら、荒北君が近寄ってきて小声でこう言った。

「苗字サン、ちょっと顔貸してくんナァイ」
「何?」
「いいからァ」

連れ出された校舎の端の空き教室で、荒北君は私の目を強く見つめて、唐突に言った。

「昨日、何で泣いてたンダヨ」
「……な、何で、」
「最近何か様子がオカシイと思ってた。昨日は特に…だから、ワリ、尾けてたんだヨ昨日」

気まずそうに視線を外して、荒北君はそう答えた。
私のポーカーフェイスが、ばれていた。私の腹の底の淀みは、もう抱えきれないくらい重くなっていたのか。
でも、荒北君は新開君の仲間で友達で。知ったら困らせるから。言えない。

「受験のことで…ちょっとナーバスになってて」
「ちげーダロ」
「え」
「6時間目の進路指導ンときも、あんな辛ェ顔はしてなかった。嘘つくなヨ」

な、なんで、そんな、
そんなに、見てるの。気にしてるの。
私、そんなひどい顔してた?荒北君にも分かるくらい?………もしかして珈奈にも。ぞっとして、思わず言葉が口をつく。

「…珈奈は、」

でも言いかけて、すぐ我に返った。こんなの、聞いたってしょうがないことだ。なのに。

「…アー、多分だけど。気づいてねーヨ、一宮チャンは」
「え」

な、なんで荒北君、私の考えてること……。

「そういう気の遣い方、しねーダロ。…………一宮チャンのコト?」

荒北君の顔を、もう見れなかった。
なんで、気づいちゃうの。何もかも、もう遅いのに。

「……言えないよ………物凄く嫌なことだから」

知られてしまったら、きっと嫌われてしまう。失望されてしまう。
そう思って、自分で自分に呆れる。結局私、自分が可愛いだけじゃん。馬鹿みたい。

「言ってヨ。オレは絶対、…誰が苗字サンのこと否定してもオレだけは絶対、味方ンなってやるから」

聞こえた荒北君の声は、聞いたことがないくらい必死で。信じたい気持ちと不安な気持ちが鬩ぎ合って、信じたい気持ちが僅かに上回った一瞬のうちに、私は。
弱い私は、吐き出してしまった。

「私の方が…先に新開君のこと、好きになったのに」

息を呑む音がした。途端に罪悪感と後悔が燻り出したけど、もう言葉は止まらなかった。

「どうして、私じゃなかったんだろう。…分かってる、新開君はかっこよくて、珈奈は自慢の親友で。私は見てただけで、動かなくっちゃ何も変わらない。分かってる…分かってた!」

やっぱり言うんじゃなかった。こんなこと、言って今更どうにもならないのに。荒北君を困らせるばっかりなのに。そう思うのと裏腹に感情が昂っていく。

「でも怖かったの!新開君に振られるのも、珈奈が友達じゃなくなるのも嫌だった!もうずっと辛いの、珈奈を見てる新開君を見るのが辛い、その目が私が新開君を見るのと同じ目してるから」

ああ、駄目だ。泣いたら駄目。これ以上荒北君に迷惑かけられない。声が震えるのを抑えこむ。

「最初から自業自得だって全部分かってて、それでもなおポーカーフェイスでいろんなことの片棒担いでる自分が馬鹿馬鹿しくて、愚かで、でも誰も気づかなくてほんと馬鹿みたい!4月からずっと、腹の底に黒い悪い嫌なものが沈んでる気分」
「苗字!」

鋭く名前を呼ばれて、温かいものに包まれた。

「っこの、バァカチャンがヨォ…」

耳元で聞こえる荒北君の声。その口調は優しい。
漸く状況を理解して、驚いた。
私、抱きしめられてる。荒北君に。

「な、な…」
「だァってろ。…辛かったな、苗字サン」

ゆっくり頭を撫でられて鼻の奥がつんとした。視界が歪んできて、思わず横を向く。

「あらきた、くん…ごめ、わたし、泣いちゃう、から…ごめん、はなして」
「だァめ」
「でも、せ、制服、が」
「いーンダヨ、泣かしてんナァ…オレだ。黙って泣いとけってのォ」
「…な、なん、っ、で…」

あんなこと聞かされて気まずいはずなのに。迷惑なはずなのに。どうしてそんな言葉をくれるの。なんで、認めてくれるの。
思った言葉は、声にならなかった。涙がどんどん溢れてきて、私は荒北君のシャツを握りしめて、言われた通り声を出すこともなく泣いてしまった。
背中を緩く叩く手は、ぎこちないけどとてもあたたかかった。


***


やがて涙が落ち着いてきたころ、ぽとりと、荒北君が呟いた。

「オレはさ、ずりィ奴だヨ」
「…?」

見上げると一瞬目が合って、すぐに逸らされた。

「苗字サンがすげェ辛くて慰めてやンなきゃいけないのに、オレ、」

──今、嬉しい。

「…え、」
「苗字サンが、失恋したから」

それ、は、どういう。

「バカげた一方通行だよなァ。オレは苗字サンが好きで、苗字サンは新開が好きで、新開は一宮チャンが好きで。…ほんと、バカげてンぜ」

荒北君は自嘲的に薄く笑う。私は目を見開くことしかできない。今、なんて。

「ほんとにずりィけど、失恋したのに付け入ってでも、苗字サンが欲しい。…苗字が、好きだ」

呼び捨てにされて告げられたまるはだかの気持ちが、鮮やかに私を貫いた。
知らなかった。荒北君が、私を好きだなんて。

「…わ、私、」

どうしたらいいのか、分からない。そう叫ぶ自分の影で。
付け入られてもいいじゃないかと、この優しい人に縋ってしまえと囁く自分がいることに、私は気づいてしまった。
荒北君はガラ悪くて口も悪くて。でも福富君から聞いたけど、自転車競技部に入ってから人の3倍練習してインターハイのメンバーの座を勝ち取ったそうだ。それに、すごいなって言うと「ほめんな」って怒るんだって。
それに荒北君はなんだかんだと面倒見がいい。今回もそうだけど、よく気がつく人だなあと思うことが多々ある。言うと怒るのは前項に同じだけど。
見えないところでめちゃめちゃ努力するところとか。何かと悪ぶるけど本当は優しくて照れ屋なところとか。
そういう男の子ってかっこいいよね、とは思ってた。こんなことになるなんて思ってなかったけど。
荒北君が口角を上げた。でもそれは無理して作っていて、こんなやり方は狡いと、苦しんでいるんだろう。
私も苦しい。少しだけだけど、荒北君に惹かれるのが分かるから。制服を握る手に力が入る。自分がこんなに軽い女だなんて。

「…苗字サン、こういうずりィの、嫌い?」

(分からない、でも、荒北君に言われるの、嫌じゃない)

「荒北君こそ…すぐ心変わりして、軽蔑しない?」

(他の奴だったら分かんねェ、でも、苗字だから、可愛くてしょうがない)

「オレは、……苗字サンなら何でもイイヨ」

(こんな、手放しで受け入れてくれるなんて、全部肯定してくれるなんて、荒北君は本当に優しい)

「私も…荒北君に、惹かれてる」

(アア、もっと惹かれて。アイツのことまだ忘れらんなくても、全部オレが引き受けるから)

言い合って、ぎこちなく笑みを交わした。ちょっと気まずくて、ちょっとこそばゆいような空気になる。

「…アー、今日サ、ここで勉強しね?」
「う、うん、そうだね」

いろんなことが変わったので、ちょっとあの2人とは顔を合わせづらい。それに、私はもっと荒北君のことを、知りたい。今日はきっと勉強なんかできないで、たくさん話をするだろう。
気がつけば秋の綺麗な夕日が、彼と私と教室を、赤く染め上げていた。

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -