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クリスティーナの憂鬱


私の名前は苗字名前、別名ミス・クリスティーナ。生年月日とタロットカードを組み合わせた相性診断を得意とする、箱根学園占星術部の部長にして、大人気フォーチュンテラーである。

そんな、普段なら相談に乗る立場である私が、今現在誰かに相談したくてたまらないぐらいに頭を悩ませていることが、ひとつ。


「…………東堂様」


薄暗い資料室の中。ぐっと下唇を噛み締めて、白いカチューシャを光らせて真向かいに座る彼を見つめる。
……この狭くて埃っぽい空間では、どうしたって彼は「東堂様」なのだ。私が「クリスティーナ」である限り。

「どうしたクリスティーナ? おっと、そーかそーか、オレが美しすぎて言葉を失ってしまったか!」

……そうじゃない。そうじゃないけど、もう付き合ってやるもんか。その手の妄言にいちいちツッこんでやるほど私は優しくないんだ。……ああ、でも、悔しすぎる。
どうしようもない歯がゆさに堪えながら、私は口を開いた。

「東堂様。あのですね。これ、毎回言ってるんですけど」
「何だ?」
「………来過ぎ、ですわ。毎日毎日来られても、困ります……」
「何か問題があるのか? だってオレは真面目に恋愛相談に来ているんだぞ? ここは恋愛相談をする場所なんだろクリスティーナ、文句は言えないはずだ」
「ぐっ………」

彼の言うことは一応その通りなわけで、私は何も返す言葉がない。ただの世間話で居座ってた以前とは違って、彼は「恋愛相談」という、ここに訪れる正当な理由を手にしてしまった。

……でも。でも、だ。

「――それじゃあクリスティーナ、本題に入ろう。オレの想い人である苗字名前さんともっともっと親しくなって、最終的に彼女の心を手に入れるためには、今後どうすればいいかな?」


(……こんなの、どうしろってのよ……!!)





彼に私の正体を見破られたあの日。生年月日とタロットカードから導き出された私達の相性占いの結果は、なんとも複雑なものだった。

『出たカードは三つ……〈月〉、〈愚者〉、〈節制〉………ですわね。ふむ……順番に、正位置、正位置、逆位置………』

『それは何を暗示しているんだ?』

『焦らせないでください。……そう、ですわね……生年月日の相性も考慮して、私の見解を述べさせていただくと……。私…いえ、苗字名前様と東堂様の相性、ならびに今後の展望は……一言でいうと、〈未知数〉ですね』

『未知数…?』

『悪い方向に転ぶも、いい方向に転ぶも、どちらも等しく可能性があるということです。逆に言えば、そのどちらかしかない。今の〈占い師と客〉や〈元クラスメイト〉という平凡な関係は、この先終わりを迎えるのでしょうね…』

『ほう……』

『そして、私た……いえ、東堂様と苗字名前様の性格はほぼ真逆といっていい。水と油のように、決して調和することはない存在同士。ですから、このままお互い相容れないまま反発していれば、確実にジ・エンドの方向に突っ走るでしょう』

『……なかなかスリリングな結果だな。要するに、ハッピーエンドとバッドエンドしか無いわけだ。ノーマルエンドは存在しない……興味深いな!』

たっぷりの情感をこめて放った私の「ジ・エンド」という言葉だったが、何一つ効いていないようだった。彼は目を細めて物憂げにそう言うと、その次の瞬間私を見てニヤリと微笑んでみせる。

『―――で? これで終わりではないだろう、ミス・クリスティーナ。オレが相手だからって、差別はならんよ。さあ、導いてくれ、箱根学園の女神様』

『………! その呼び方は、おやめください……』

ふてぶてしいその顔に、ギリ、と奥歯を噛み締めた。この男は、こうやって時々鋭いから油断できない。得意げに髪をなびかせている時はバカっぽく見えるけど、さすがあの自転車競技部の副部長と言ったところか。洞察力はピカイチだ。

そう、彼の言っていることは事実で、本来の私の役目はむしろここからだ。生年月日から割り出される相手の性格、今まで色々な生徒の恋愛模様を見てきた経験、そして占い結果。それらを総合して、今後相談者がどう動けばその人に運勢が傾くのかを一緒に考えてあげる。ただ占いだけしてはい終わりなんて、そんなのは占い師じゃないと、私は思っているから。

『……そうですわね。水と油、と言いましたが。人の心というものは必ずしもそう単純に割り切れるものではありません。タロットカードが良くなる方向にも可能性を示しているということは…つまり、そういうことです。諦める必要は、無いということになります……』

―――だから、この部屋で私がクリスティーナをやっている以上、彼にだってアドバイスをしなくてはならないのだ。この部屋では私は苗字名前ではないから。……恥ずかしいやら悔しいやら、やりきれない複雑な思いに胸をやきもきさせながら、私は言葉を続ける。

『……反発し合う者同士は、関わりあうと互いに大きなストレスがかかります。言い換えるなら〈刺激〉です。これは調和してしまう、いわゆる相性がいい二人には起こりえないものです。その刺激の主導権を握り、プラスの方向に持っていくことができれば……』

『一発逆転もありうるということだな』

『……まあ、そんなうまくいくとはとても思いませんがね』

『ワッハッハ! それは誰に言ってるんだミスクリスティーナ!! このオレに不可能なんてものはない、なぜならオレは天に愛されてるからな! この美貌、トークセンス、そして――――――』

………はい、回想はここまで。
あの日の後もやっぱり彼は毎日やってきて、クリスティーナに苗字名前との恋愛相談を持ちかけてくる。私は、彼に好意を寄せられているというそのあまりにも突拍子もない事実をまだしっかり飲み込めていないし、イコール彼に対してもどう向き合えばわかっていないというのに、彼は、

「クリスティーナ、オレはもっと苗字名前さんの色々なことが知りたいんだ。やはり好きな女子の好みに合わせていくのは恋愛の基本だからな!」

―――こうやって容赦なく私に揺さぶりをかけてくるのだ。今日も。

「ええと……昨日は好きな食べ物を占ってもらったのだったな。苗字名前さんの好きな食べ物はそばで、温かいのと冷たいのだったら温かい方が好き。そして、中でも天ぷらそばが好き。……それで間違ってないか?」
「…………そう、でしたね」
「ふっふっふ。かかさずにメモを取っているからな。今までに聞いたのは、趣味、好きな動物、好きな教科……じゃあ今日は、好きな色を教えてもらおう。クリスティーナ、よろしく頼むぞ」
「………………」
「? クリスティーナ?」
「……東堂様、………」

――――もう、限界だった。こんなふざけた茶番、やってられないよ。当たり前だけど私は占ってるわけじゃなくて、クリスティーナのお面を被って彼の質問に答えてるだけで……。わけわかんないし、もうどうすればいいのかわからなくなる。

いや。……どうすればいいのかなんて、分かってる。本当に嫌なら、彼のことを突っぱねてしまえばいい。占いなんてしていないわけだし、彼を追い出す理由ならそれで十分だ。そして、部長である私は、本気を出せば彼を出入り禁止にしてしまうことだってできる。

……でも、それが何故かできない。厄介でうざったいと思ってるのに、何故か私はこの資料室に彼を迎え入れてしまう。そして毎日毎日、彼から好きだ、と、暗にアピールされ続けて。それに耐えられなくて明日こそは断ろうと思っても、できなくて……。

「…クリスティーナ?」
「………もう……勘弁してください………」
「どういうことだ?」

彼の目が鋭くなって、私は俯いてしまう。

「………い、意地悪、しないで…………」

羞恥で声が震える。素の苗字名前が一瞬出てしまって、私はそれを繕うように慌てて「くださいませ……!」と言葉を続けた。

向かいから、ため息と共に「意地悪なんてしていないんだけどな」という声が聞こえてくる。

「………何故そうまでして意地を張るんだ? あの日から、一度もキミは苗字さんになってくれない。キミがクリスティーナを突き通す以上、オレも客の東堂様をやったほうがいいんだと思った。だが、それが逆にキミを追い詰めてしまったのかもしれないな」

「…………」

「オレは、苗字さんと話がしたい」

「………ここは、う、占いをする部屋、ですから………」

「それなら、そのベールと顔を覆うカバーを取ってしまえばいい。そうすればキミはクリスティーナじゃなくなるし、クリスティーナじゃなくなればこの部屋は占い部屋じゃなくてただの資料室になる。そうだろ?」

そんなの屁理屈だ、とは言えなかった。ただただ、彼の静かな声を聞いてうつむいていた。顔を上げればきっと、整った顔で、まっすぐな視線で、こらえていたものが決壊させられてしまうような気がした。

「……それを、取ってくれよ、クリスティーナ」

ダメだ。ただの苗字名前に戻ってしまったら、今度こそ押し切られてしまう。彼の一方的で純粋な好意に、流されてしまう。私はクリスティーナの仮面を被っている時だけ、彼に毅然とした態度で向かい合えるのだ。外してしまったら、強気でいられる自信がない。全てなし崩しになってしまう。それがとても、恐ろしかった。

「―――自分でできないのなら、オレが外してあげようか」

「……!」

思わぬ提案に、肩がびくりと震えた。

「決心がつかないというのなら、オレが剥ぎ取ってあげよう。そんな薄い布切れのせいで本当のキミと向き合えないというなら、」

……そんなもの邪魔だ、と。彼にしては低い声で続けられた言葉に、私は息を呑んだ。心音がドクン、とうるさい程に身体に響いて、それを押さえつけようと息を殺しても、ゆっくりと鼓動は加速していく。なんだこれは……ひょっとして、私は、

―――期待している?

その言葉に行き着いた瞬間、頭に閃光が走った気がした。

「あ……だ、ダメ………!」

自分自身のその感情を否定したくてとっさに口走ったその言葉は、あまりにもみっともなくか弱くこの薄暗い空間に響いた。クリスティーナの口調にすることも、もうできない。そんな余裕がない。こんなの、彼に気づかれたら……!

―――その時、向かいからガタっと椅子を引く音が聞こえて、一瞬にしてカーっと頭に血がのぼる。

このままじゃ、東堂くんに脱がされちゃう。

どうする?

私は………。

私は…………。

不意に何も聞こえなくなった。それは多分一瞬のことだったけど、私の感情の管制塔はその一瞬で決断を下した。


「おわ……終わりです!! 今日はこれで、お、終わりです!!!」


椅子がひっくり返ってしまいそうな勢いで立ち上がって、机に手をついてそう叫んだ。そしてそのまま東堂くんの姿を視界にいれないように、俯いたまま急いで移動して、私は資料室の扉をガラッと開ける。埃っぽく薄暗い資料室に、白けた光が差し込んでくる。


「もう終わりです。出てってください。もう……こ、来ないでください!!」


果たしてこれを叫んでいるのは、クリスティーナなのか苗字名前なのか。

――わからなかった。

彼の姿が目に入らないように、資料室の床をずっと睨み付けていた。どのぐらいそうしてたのかはわからない。

「……ごめんな、苗字さん」

通りすがりに言われたそれは、すごく優しかった。彼が困ったように笑っているのが浮かんでくるような。その声は、私の心を深く貫いた。誰もいなくなった資料室で、様子を見に来た後輩に見つかるまで、私は顔を歪めてその痛みに耐えていた。



私……間違ったこと、してないよね……?


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