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巻島くんと大人のお勉強 前編


苗字名前は、昨晩見た刑事ドラマを思い出していた。

主役である刑事はまだ登場すらしていない、冒頭の犯行のシーン。強盗が平日の昼間に、とある家に侵入する。もちろんその家の人々がその時間帯にはいないということを、事前に、入念に調べてからの犯行だ。だが強盗の目論見は外れ、その日、家には一人の少女がいた。彼女はこの家庭の一人娘で、今日は風邪をひいて熱を出し、学校を休んでいたのだ。

家に何者かが忍び込んでいるのを察した少女は、慌ててクローゼットの中に逃げ隠れる。不安で飛び出しそうになる心臓を押さえつけて、恐怖で震える身体を自分でぎゅっと抱きしめて、強盗が家から出て行くのをじっと待っていた。


(同じだ、今の自分と)


名前は、本気でそう思った。
机の下で身体を縮こませて、目を強く瞑り、

……教室に響き渡る、女の喘ぎ声を聞きながら。



「……っ、あ、んっ、や、そこ、だめっ、」

「っはは、ここ好きだよな……」

「んっ、違ッ……あんっ」



わあーすっげえー、本当にあんあん言うんだ。エロ同人かよ。

……などと、現実逃避が一周して、逆に淡々と起こっている行為に対して感想が浮かぶようになってきた名前。無の境地というやつかもしれない。さて、ここで彼女が今一体どういう場面におかれているのかを説明しておこう。

時は放課後、場所は視聴覚室。

下校間際、昇降口にてイヤホンを無くしたことに気がついた名前は、今日の授業で唯一イヤホンを使った場所である視聴覚室の鍵を借りて、一人その部屋の中を探しまわっていた。他の教室と雰囲気が異なり、沈黙したパソコンがずらりと並ぶ、どことなくヒヤリとした空気がする視聴覚室。暗幕が中途半端に引かれていて薄暗くて、この時間だとどうも不気味だった。

今日は幼馴染の巻島祐介の家で、友達から借りたアニメDVDを鑑賞する予定だった。さっさと帰りたいという焦りも生まれ、彼女は四つん這いになって、自分が座っていた辺りを中心に長机の下にもぐりこんでいた。探してる最中に2回ぐらい、頭をぶつけた。

頭を抑えながら、ああもう最悪、なんて思ったその直後だ。

突然、ガラガラと戸が開けられる音がした。それに続いて、「あれ? 鍵あいてんじゃん」「ほんとだー! ラッキーだね!」という男女の声。驚いた名前は、反射的に長机の下に身体を引っ込めた。

だがしかし、それが間違いだった。



「ゆみ、鍵閉めて」
「うん。……ね、けーくん、暗幕全部引いちゃって」


(……ゆみ? …………けーくん? え?)


「えー、でも全部引くと真っ暗になっちゃわねえかな」
「そんなこと言って、窓から誰かに見られたらどうすんの」
「見せつけてやればいいじゃん」
「馬鹿、もう何言ってんの」
「そんな風にすねてみせてもさあ、おとなしく付いて来るってことは、学校でヤることに結構乗り気ってことじゃん?」
「きゃっ! ちょっ、まだ開いてるとこが……、っ」


(………え? え? え、え、え、え、え、え、え)



当然ながら、名前はじっと机の下に息を潜めているわけで、何が始まったのか目視することはできない。だが、目で確認しなくても全て聞こえてくる。甘ったるい女子の嬌声に、余裕のない男子の声、二人の息遣い。十分すぎるほど、そこで何が行われているのか、その現実を打ちのめされた。年相応に性知識も性に対する好奇心もあるとはいえ、まだ映画の些細なラブシーンで頬を赤らめてしまう名前には、刺激が大きすぎた。あまりのショックに頭の芯がぐらぐらとぶれている感覚に襲われて、ああ、今の私は除夜の鐘……これが煩悩アタック……と見当違いなことを考えた。



だがしかし、彼女にとって一番の悲劇は、行為そのものにはなく。


肝心なのは、一番同情されるべきなのは、この行為を繰り広げている二人が、彼女の初恋の人と、友達だという、そこの一点に尽きるだろう。



そう、名前の初恋は、あまりにセンセーショナルな形で、この日終わりを迎えてしまった。






ぐすん、ぐすん、と部屋にはすすり泣く声が響いている。

巻島は、(自分の)ベッドの上で、(自分の)枕に顔を埋めて泣いている幼馴染――名前を見やって、今日何度目かのため息をついた。もうこうしてからどれほどの時間が経っただろうか。

久しぶりに家に来るなんていうから、昨晩気合を入れて片付けた自室。見られては困るものもしっかり隠し、お菓子も準備した。ベッドも、ちゃんと綺麗に整えて――いや別にそこに他意はない、他意は無いが。……だが、万が一にも‘そういう展開‘が来たら、なんて、心をよぎってしまうのは男の性だろう。だって相手は好きな女子なのだ。

というわけで、インターホンが鳴って玄関扉を開けるまで、巻島の心は弾んでいた。

だが、開けてびっくり。そこには目を真っ赤にした名前が立ち尽くしていた。そして彼女は、固まる巻島に目もくれず、無言のまますたすたと巻島の部屋に行き、ぼふんとベッドに倒れ込んだ。綺麗に整えておいたベッドが一瞬にしてぐちゃぐちゃになった。

そしてそれからずっと、同じ状態で泣き伏せている。

ベッドの隣の学習机の椅子に腰掛けて、することもなく名前を見守っていた巻島だったが、一定のテンポで続いていた「ぐすん」が落ち着いてきた頃合で、恐る恐る口を開いた。

「なあ、オイ……」
「………」
「少しは落ち着いたか? その、テーブルの上に麦茶用意してある、から……飲んだらどうだ?」
「………」
「……あー、つうか、そろそろ、何があったか教えてくれても……いい、と思う、ショ……」
「………」

しどろもどろになりながら声をかける。そういや、こんな風にこいつが泣いてるところを見るのは本当に久しぶりだった、と巻島はふと思う。だからこそ、接し方に戸惑ってしまう。

返事がない名前に、巻島が再びため息を落とそうとした時、ふいにゴソゴソと枕に埋まっていた頭が動いた。そして、半分だけ顔を巻島の方に向ける。涙で潤んだ瞳に見つめられて、不覚にもドキッとした。

「……祐介さあ……ゆみと佐藤くんが付き合ってたこと、知ってた……?」

しかし、その口から飛び出したのはあまりにも脈絡のない質問で。ぽかんと口が開いてしまう。

「――は? いや……まず、ゆみって誰ショ」
「うちのクラスの委員長。髪長くて、頭いい、……てか去年同じクラスだったじゃん」
「あー……なんとなくわかった。で、誰と付き合ってただって?」
「だから佐藤くんだって」
「佐藤、……ん? 佐藤!? って、あの佐藤か!?」

名前がその問いにわずかに頷く。「まじかよ……」と思わず口から漏れた。

巻島は、「佐藤くん」のことをうんざりするぐらいよく知っている。なぜなら、名前がしょっちゅう巻島に佐藤くんの話をするからだ。バスケ部で爽やかでかっこよくて優しい、クラスの中心的存在の佐藤くん。今時こんなわかりやすいのもいないだろう、というような好青年で人気者の佐藤くん。そして、名前の好きな男子。
名前はよく「見た目じゃなくて、中身で好きになったんだよ」と言うが、ルックスもかなりいい。否が応にも劣等感を抱かされてしまうほどには。

しかし、彼女がいるなんていう話は全く聞いたことがなかった。巻島はじわじわと気分が高揚してくるのを感じた。佐藤に彼女がいたということは、それすなわち名前の恋が破れたことを意味する。名前には悪いが、こっちも本気で想っているのだ、喜んでしまうのも仕方ないだろう。……だがそれを悟られるわけにはいかない。巻島は必死に神妙な顔を維持しようと、麦茶の入ったグラスを手にとった。

「そ、そうか……誰に聞いたんだよ、それ」
「……誰に……っていうか…………」
「?」

口ごもる名前を片目で見据えながら、グラスに口を付けて麦茶を飲んでいると、次の瞬間名前から衝撃的な一言が投下された。


「見ちゃったんだよね。二人が視聴覚室でえっちしてるとこ」
「ゴファッ!!!!」


―――は、は、は、はあ!?!?

はあ!?!?

巻島の口からスプラッシュのように勢いよく噴出された麦茶。しかも器官の入ってしまい、そのまま豪快にむせてしまう。苦しさに目に涙を滲ませながら、巻島は頭の中で必死に先程の名前の言ったことを処理しようとするも、衝撃的すぎてなかなか受け入れられない。

こいつ今何て言った!? オレの思い違いってわけじゃねぇよなさすがに!?

「ちょ、大丈夫……?」
「っ、な、なっ、なっ、」

気が動転して、呂律がうまく回らないことにもどかしさを覚える。

「ど、どういうことショ、おま、」
「あー、正確には見た、っていうか聞いた? かな。いや……居合わせた、だわ」
「はあ!? いっ、居合わせただァ!?」
「うん……。えっと、最初から説明するとね……」

名前が、先程起こったことを巻島に説明する。サスペンスドラマを思い出したことや「除夜の鐘の気持ちがわかった」ことなど余計なことも挟みつつ、聞こえてきた会話の詳細もそのまま説明するので、聞き終わった時巻島の頬は朱く染まっていた。内容もさることながら、自分の好きな子がこんな生々しいAVみたいな話を語ってる、それもかなり刺激が強かった。

「もーさ、ショックだよ。ショックッショだよ。あらゆることがショック過ぎて一周回って笑えてきたよ」
「ま、まァ、無理ねえな……(ショックッショってなんショ…)」
「悪いけど佐藤くんにもゆみにも幻滅だわ。ありえないでしょ学校でヤるとか、やるなら家でやれっつの!! 性欲で頭おかしくなってんじゃない!? それに……ゆ、ゆみ、私と佐藤くんのこと応援するっつってたのにさ! 内心できっと私のこと嘲笑ってたんだよ……もう何も信じられない……」
「…………」

想い人だけでなく友情も失った、確かにそれは相当なダメージだろう。
気持ちを推し量ることしかできず、どう慰めればいいか言葉をかけあぐねていると、もそもそと名前が起き上がった。

「ねえ、祐介はさ………」

泣きはらした赤い目にじっと見つめられて、またドキリとする。

「童貞だよね?」

そして絶句した。

「―――なっ、な、お前な、」
「いいから答えて! 別に聞いても笑わないから!」

真面目に聞いてるんだよ、と泣きそうな顔で懇願されると、もうそれ以上何も言えなかった。巻島はあー、とガシガシと乱暴に頭を掻いて、それからもごもごと呟いた。

「…貞だよ」
「え? なにきこえない」

鬼かコイツ。

「童貞だよ! っつうかオレに彼女なんて出来たことないって知ってんだろお前は!」

何が悲しくてこんなことを想い人に叫ばなくてはいけないのか。
内心泣きたくなった時、名前が神妙な表情でうん、言ってくれてありがとう、と頷いて。

「私も処女」
「………………。あ、あのな、そ、そういうことを女の子が口に出すもんじゃありません」

一瞬思考が停止して、なぜかお母さんのような口ぶりになってしまった。

「ね、祐介はさ、祐介だけは、私を裏切らないって約束して」
「……あ? 急になんショ」
「好きな子ができたら言って。彼女ができたら言って。童貞卒業したら教えて。私も言うから」
「……ンだそりゃ」
「名前は言わなくてもいいから。それだけでいいから教えて。私に隠し事しないで。私、多分……祐介に裏切られたら一番傷つくと思う」
「…………」

巻島は黙り込んだ。

――ふざけんなショ。好きな子? おまえだよ! こっちは何年お前に片思いしてると思ってんだ。もう隠し事だらけだよ、言ったら確実に縁を切られるようなやましい妄想とか毎日してんだよ。もう……もう、とっくに裏切ってんだよ、お前のこと。


「………祐介?」


でも、そんなこと言えるわけがない。それを言ったら名前が離れていってしまうことは、目に見えていた。


「………ああ、約束する」


はち切れんばかりの感情をぐっと押さえつけて、巻島は絞り出すようにそう言った。名前の顔がパア、と明るくなる。

「よっし、じゃあ指きりげんまんしよっ!」
「……はァ? 小学生かよ」
「いーの! はい、小指出して!」

ベッドから降りて近づいてきた名前と、小指を絡ませる。
くっつけると、今では互いの手の大きさの違いが見て明らかで。かつて同じだったことを思い出して、巻島はくすぐったい感慨を覚えた。


「ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーーます! ゆーびきった!」


楽しそうに、名前が手を揺らす。そのあどけない笑顔を見て、巻島は誓った。この距離でこの笑顔が見られるなら、オレはそれでいい。自分の想いでコイツを傷つけるぐらいなら、このまま言わないでおこう、と。


(後編へ続く)
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