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鳴子くんと帰り道


「へんなあじ……」


まだ買ってそんなに時間が経ってない、ほかほかの中華まん。一口頬張って、うぷ、と顔をしかめれば、そんな私を見て鳴子がおかしそうに「カッカッカ、変な顔やなー」と笑う。

11月。ついこの間までまだ暑くて、夏休み明けたのにまだ夏じゃん! なんて文句を言ってたのに、いつのまにか秋は足早に通り過ぎ、気がついたら冬の足跡が聞こえてきていた。コートはまだ早いかなと思って、防寒対策はカーディガンの上からブレザーを着るだけに留まっているけど、来週辺りからはコートに加え、マフラーも必要になるかもしれない。少なくとも、この時間帯は。

ベンチの隣で、大丈夫か、さむないか? とことあるごとに何度も確かめてくる鳴子はクラスメイトで、気心のしれた友人だ。私は吹部、鳴子は自転車競技部、部活が終わる時間帯が同じで、帰り道に何かと遭遇する(私がバスから降りて自宅まで歩いていると鳴子が自転車で通りかかる)ので、いつのまにか二人で帰るようになっていた。そんなうちに随分と仲良くなって、今では帰り道にあるコンビニで色々買って、そこからすぐの公園のベンチで並んで一緒に食べるまでになった。夏はアイス(氷菓子系)、秋もアイス(クリーム系)、最近になってようやく中華まん。

「しゃーないな、ワイの肉まんと半分こにしてやるわ」
「う、ごめん、恩に着ます……」

半分に割って、かじってない方を鳴子に渡す。肉まんを受け取り一口頬張ると、約束された勝利の味がして、心がほっと緩んだ。と同時に、鳴子が隣で「まっず!」と声を上げる。

「なんやねんこの刺激物。何味やったっけ?」
「えーと……アボカドソースとパクチーが効いた南国風XO醤味、だっけ……」

順序は若干違った気がするけど、まぁ大体こんな感じだったと思う。
と、鳴子は「なんやその闇鍋みたいな味は……」とげんなりとツッコみ、「もー、どーしてそーいう分かりきった地雷をわざわざ踏みにいくねん、苗字は」と呆れたように言う。

「や、でもやっぱり一度はチャレンジしときたいじゃん。意外とイけるかもしれないしさー」

少なくとも、パヤングショートケーキ味とか、ゴリゴリくんナポリタン味とかよりは、マシな予感がしたし。
と言いながら、もそもそとその地雷肉まん…いやもはや肉でもない、地雷中華まんの方を口にしていると、鳴子が「そやなァ……そういうもんかもな」と妙に感慨深げにぽつりと呟いた。
ひゅるり、冷たい風が吹いて、鳴子のため息ともつかぬそれをさらっていく。

「………。ねぇ、鳴子、週末なんかあったの?」

意を決して、聞いた。

正直、今朝から鳴子はちょっと変だった。挨拶すればいつものように二カッと笑ってくれるものの、なんだか身にまとう雰囲気が先週とは違って。どこか遠く感じた。身体はそこにいるのに、心だけどっか違うところに飛ばしてるみたいな感じ、だった。

でも私は、なんとなくその原因に心当たりがあった。っていうか、もう確実に。だって鳴子の魂は、いつだって、あの真っ赤で派手な自転車と共にある。

「部活絡み……でしょ?」
「………フッ。アカンなー、そんなに分かりやすかったか? ワイ」
「ううん、いつも通りだったけど……オーラ? が違ったような」
「はぁー。苗字はエスパーかいな」

そう言って、かっかっかーと笑い飛ばしたあと、鳴子は「せやな、苗字には話しておくべきやな」と穏やかに視線を投げかけた。

そして鳴子は、とうとうと語り始めた。今泉くんから『オールラウンダー』になれって言われたこと。最初は反発したこと。週末に大阪に帰って、そこで『ミドウスジ』という人に会ったこと。その人とレースをして、負けて、スプリンターを捨てたこと。オールラウンダーになる決意をしたこと。

「──スプリンターを、捨てた……?」
「ああ、捨てた」

けどこれ誰にもナイショやで、と鳴子がニッと笑う。うん、と曖昧に頷くものの、あまりにもあっけらかんと受け答えするので、私は面食らっていた。
ひょっとして、ロードレースではよくあることなのかな? と思って、「でも、そんな簡単にオールラウンダーに変われるもんなの?」と尋ねてみる。

「んー、簡単にはいかんやろな。ま、ワイは天才やけど!」
「あっごめん、私よく事の大きさが分かってなくて……」
「いや、それがフツーやろ。どう例えたらエエんやろな……あ、苗字がやっとる楽器なんやったっけ、アレ、黒いやつ、パパから貰うやつ」

パパからも貰うやつ、まで出てきてるんだったらもう分かってそうだけど。
振りだなと思って、ちょっと笑いながら「クラリネットね」と言うと、鳴子が「そーそー! それや!」と手を打つ。

そして、そーやなァ…と少し考えてから、口を開いた。

「……それまでずーっとクラリネット一筋で来たのに、いきなりラッパ吹けって言われて、それを来年の夏までにクラリネットと同じぐらいに極めろ! って無茶振りされたら、どー思う?」

………。

「えっそんなん無理だよ! 普通に考えて」
「……スプリンターからオールラウンダーに転向するっちゅーのは、まァほぼそれと同じや」
「…………」

咄嗟に、言葉が出なかった。
それがどんなに大変で、過酷なことなのか。今の説明で頭は理解できたけど、心が受け入れられない。無理だよって思う。

「……鳴子は、それでいいの?」

大変だね、とも、頑張ってね、とも言えず、ようやく絞り出したのがそれだった。

「だって、鳴子は……スプリンターがいいんでしょ? そんな……野良試合で……口約束で……」

そんなの、おかしくない? スプリンターの称号は、今泉くんに言われても引き下がれなかった、鳴子の誇りだったはずだ。それを、そんな、一回負けただけで。

……でも、そこまで口に出せなかったのは、きっと私も心の奥で分かってるから。


「負けたらスプリンターやめる、そういう勝負やったんや。そんな大事なモンがかかってる勝負で、ワイは全力出して、鼻血まで出して、負けた。一回でも負けは負けや。男に二言はない」


そうきっぱり言い切ってから、せやけど心配してくれてありがとうな、と鳴子は私を見て優しく微笑んだ。もう、覚悟が座ってる、目。

…ああ、と思う。泣きそうになる。最初から分かってた。私には、鳴子の言うことが、100パーセント理解できないことを。屈辱的な敗北の辛さも、死にたくなるような悔しさも、共有することができないことを。別の世界の話だってことを。こんなに仲良くしてても、話を聞いても、私には鳴子の瞳に映ってる景色を、どう頑張っても見ることはできないってことを。

私だって、部活、がんばってる。全国一位を目指すような強豪校じゃないし、千葉ならもっともっと吹奏楽強い高校あるし、ほんとに頑張りたいならそっち行けって思われるかもしれないけど。だけど、それなりに頑張ってる。

けど、鳴子の言うことはあんまり分からないや。自転車競技をよく知らないだけじゃなくて、そこに賭けてる熱量がもう全然違うから。あと、単純に、男の子だからっていうのも、あると思うけど…。


「──せやからな、苗字」


ハッとした。
鳴子の声に、それまでと違う響きがあった。

ものすごく大事なことを言われる、そしてそれはきっと、私にとって辛い宣告だ。そう直感するような、険しい声だった。


「……来年の夏までに、もう時間がない。もっともっと、死ぬ気で練習せな、勝てるオールラウンダーにはなれへん」


あ、これ、


「そしてそのためには、余計なモン全部取っ払う必要がある。何かを極めるっちゅーことは、何かを犠牲にするってことやからな」


……ああ、やっぱりそうだ。

鳴子が切り出そうとしてるのは、私との別れだ。


「もう、ワイは負けるわけにはいかんねん」


鳴子は言う。ぽつりと零すように。だけどその言葉に乗ってるのは、私なんかには一生分からないような、重々しい決意だ。

胸がギュッ、と痛んだ。ああ、そうだよね。鳴子からしてみれば、こんな時間要らないよね。視界がぼんやりとしてくる。やだ、泣きたくない、だって別に、私達は付き合ってるわけでもなんでもない。私が一方的に好きなだけだ。それに、別に、今生の別れってわけでもないのに、こんなふうに泣いたりするの、みっともない。

応援してあげなきゃ。頑張って欲しいって気持ちは本物だから。応援してあげなきゃ。私は、自転車しか見てない鳴子が好きだから。いつでも一生懸命で努力家な鳴子が、好きだから。鳴子に、勝って、勝ってほしい、勝って、いつもみたいに笑ってほしい、から、だから私の恋心なんて、


「──せやから苗字、ワイと付き合うてくれ」


「………。へ?」


「好きや……ってうわっ!? な、な、何泣いとんねんお前!!」


はらり。何とか落ちるまいと持ち堪えていた涙が、突然顔を上げたことによって、重力に逆らえず振り溢れる。
鳴子が慌てふためくのを見ながら、もう一度瞬きしたら、また流れ落ちていった。

だって、予想外の言葉すぎて。脳が混乱している。コーヒーだと思って飲んだら中身がコーラだったときみたいな。

「え? わ、たし……鳴子に捨てられるんじゃ、ないの?」
「ハァ!? っ、んな……アホ! なんでやねん、ワイがそんな薄情な男に見えるか!?」
「だって、な、何かを犠牲にするって……だから、私を……犠牲にするのかと思って……」
「ンな訳あるかい!」

鳴子は私を一刀両断すると、はぁーっとため息をついて正面に向き直り、自分の手元に目を落とした。

「……ホンマは、言わんでおこうと思うたんや。仮に付き合ったところで、寂しい思いをさせることになるんは目に見えてたしな」
「………」
「せやけど……週末のレースで思った。本気で欲しいモンがあんなら、どういう障害があったって、本気で獲りに行くべきなんやって」


そう言うと、鳴子は再び私をじっと見つめた。



「……苗字が欲しい」



──その瞳が、怖いぐらい真剣で。

思わず、呼吸が止まった。


「寂しい思いはさせるかもしれへん。けど、絶対に後悔はさせへん! 絶対にや」


せやから、ワイのモンになってくれ。

鳴子はストレートに、そう男らしく告げる。そこに迷いは無く、自転車のことを語る時のような、静かで、燃えるように熱い覚悟が乗っていた。

……ああ、ほんとに私、だいじに想われてるんだな。


「……っ、ばか、もうずっとまえから……私はなるこのものだよ……」

「! 苗字……」

「私……鳴子についてく……だって鳴子のことが……っ、いっつもまっすぐでかっこいい鳴子のことが、大好き、だから……!」


感情を抑えきれなくて、私の目からはまた熱いものが溢れていく。なんとか頑張って、そう伝えきると、鳴子が「あーあーもー泣きすぎやろ」と笑って、指でそっと、優しく涙を拭ってくれた。


「……ワイも大好きやで。せやからもう泣くな」

「! うん……!」

「よっしゃ。ほら、それはよ食べんと冷めてまうで。肉まんと、ほにゃららまん」

「あ、うん…そうだね…(ていうか鳴子はいつの間に食べ終わったんだろう…)」


胸に広がる幸せな気持ちのまま、今なら美味しく食べられるかも…なんて思って頬張ったほにゃららまんの味は、少ししょっぱくなったぐらいで全然変わらなくて。「まずい……」と泣きながら渋い顔をすれば、そんな私を見て鳴子はまた盛大に笑うのだった。


【リクエスト:鳴子くんと部活終わりの帰り道に買い食いをするお話】

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