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今泉くんに逆襲される


これは、まずいことになった。

別に媚薬とか惚れ薬とか飲ませたわけじゃないのに、いきなりこんな展開になりますか。内心パニックになりながら、畳に打ち付けて地味に痛む頭でそんなことを考えた。目の前に迫る彼の顔は、いつもの彼のようでいて、全然違う人のようだった。

彼は、私の家の近所に住む男の子で、私は彼よりほんの少しだけ年上のお姉さんで。お手伝いさんがいるような裕福な家庭の彼と、ごくごく一般的な庶民の私。それでも、そんなこと子供だった私達には関係無くて、ご近所さん同士のお付き合いの中で、私は小さなころから彼の面倒を見てあげることが多かった。

そんな彼が自転車と出会い、それにのめり込むようになったのはいつ頃だったかな。彼はそれから見る見るうちに逞しくなっていった。自転車に注ぎ込む時間が増えたことで、私達が接触する時間は相対的に減ってしまったけれど、ご近所さんということに変わりはない。見かけたら絡みに行くし、たまーに自宅で勉強を教えてあげたり。ぐんぐんと背が伸び、あの髪の毛と同じように私への態度もツンツン尖ってきたけど、それも一種の反抗期みたいなもんだと思って、私はそんな彼のことをずっと可愛い弟のような感じで扱ってきた。

〈扱ってきた〉――過去形だ。

昔は確かにそういう風に思ってた。けど私達は当たり前だけど実の姉弟なんかではなく、そんな陽だまりのような関係はお互い成長していくにつれ少しずつ歪みだし、私は一足先に女になり、彼もまた高校生になって立派な男の子になった。

………ある時から、なんとなく俊輔が私をそういう目で見ていることに気づいていた。だって、コイツってば私のことをあからさまに遠ざけはじめるんだもん。わかりやすすぎる。

けど、それに気づいていながら、私は彼に接触し続けた。私も俊輔のことが好きだったから。

そのことをちゃんと彼に伝えたことはない。そして、私も彼に好きと言われたことがない。だけど、なんとなく私達の間にはそういう雰囲気があった。そう、自宅に彼を招いて勉強を教えてあげたり、我が家で飼ってる犬の散歩や買い物に一緒に行ったりする時に。付き合っているだとか、恋人同士だとか、言葉にはっきりとできるような確かな事実は無かったけれど、なんとなくお互いの気持ちは通じ合っていたと思う。『なんとなく』。非常に曖昧で、揺ら揺らした関係。

私も俊輔も、そんな関係を気に入っていた。
だから、さっきの〈アレ〉も、ただのちょっとしたスキンシップのつもりだったんだ。その関係から踏み外そうだなんて、そんなつもりなかったんだ。

今日……彼が所属している自転車競技部の大会も終わって、直に夏休みが明けるという頃。宿題が大変そうだったから、よしこの名前様が手伝ってやろう! なんて言って、「あんた受験生なのにいいのかよ……」みたいに呆れながらも彼が家にやってきて。いつも通りに、和やかに時間は進んでいた。

本当に、からかうだけのつもりだった。

座卓の上で問題集と格闘する彼にそっとすり寄って、「俊輔、こっち見て」と言って、彼が顔を上げたところで、私はキスをした。触れるだけのキス。少しだけ恥ずかしかったけれど、その後に「インターハイ優勝おめでとう」と言って普段通りに笑った。唖然として、何が起こったのかわからないといったような感じで私を見つめる俊輔が可愛くて、それをそのまま声に出した。――その瞬間だった。

俊輔の瞳に、今までに見たことのないような、強い怒りの光が宿った。

彼はシャープペンをその座卓の上に放棄すると、私の肩を突き飛ばした。そして、呆気なく体勢を崩した私を勢いのままに押し倒した。跳ね除けようとした手はあっさりと捉えられ、そのまま手首を掴まれて頭の横に押し付けられた。ザリ、と畳と皮膚とが擦れた。

それは、一瞬の出来事だった。







「…………」
「…………」



―――クーラーがつけられていないこの部屋は、ひどく蒸し暑い。

網戸の隙間から差し込む斜陽が部屋全体を赤く染めている。その夕日が、畳の上、私の顔の横に手を着いて覆いかぶさる彼の顔に影をつける。額には汗が滲み、何か私に訴えかけているような苦しそうな顔をしている。

夏の終わりを告げるヒグラシの鳴き声。扇風機が無遠慮に首を振って唸る音。小さな頃から一緒に遊んできた和室。

生々しくて、リアルなようでいて、でもどこか夢のような非現実的なこの状況に、私の理性は完全についていけてなかった。



「しゅん、すけ………?」



黙ったままの彼に恐る恐る声をかける。彼の喉仏がゴクリと上下するのが分かった。そして、何かを堪えるような切迫したため息と共に、彼はやっと口を開いた。



「分かってて、やったんだよな」

「え?」

「こうなることが。分かってて、やったんだろ?」

「………」



違う、そんなつもりはなかった。――と、言えなかったのは、その瞬間、俊輔の口が弧を描いたからだ。彼は笑っていた。でも目の奥は何も笑ってなくて、初めて見るその俊輔の顔に、私は浅く呼吸を繰り返すしかできなかった。



「オレは耐えてた。アンタが……名前がこのままずっと曖昧な関係でいることを望んでいるとばかり思ってたから。自分を、感情を、ずっと抑えつけてた」

「………」

「でも、もういいんだよな。先に踏み越えてきたのは、そっちなんだから」



その俊輔の余裕の無い笑顔を見て、私はやっと自分が大きく勘違いしていたことを理解したのだった。

そっか。揺ら揺らしてて、幅のある関係。あれが心地いいと思っていたのは私だけだったんだ。俊輔はきっと限界ギリギリだったんだ。飽和状態で、些細なことだと思ってたあの軽いキスで、それが決壊しちゃったんだ。


………そっか。



「――いい、よ」



自然とそう口が動いていた。そう呟いた瞬間、彼の切れ長の瞳が見開かれた。「へ、」と虚を突かれたような張りの無い声が面白くて、思わず口元が緩んだ。確かに私はこの曖昧な関係を気に入ってた。でも、それをぶっ壊されても、そこから大きくはみ出してしまってもいいかもしれない。

そう……真っ赤な夕日が差し込んでギラリと光る彼の瞳を見て、私の中にある好奇心はかすかに疼いていた。好奇心という名の―――本能?



「俊輔、私の気持ち知ってるでしょ。いいよ」

「……い、いいのかよ。そんな簡単に……」

「あっはっはっ、自分から押し倒してんのに怖気ついてやーんの」

「っ!」



畳の上に肘が付かれて、さらに私達の距離は縮まった。幼いころからずっと一緒だった私達の間に、余計な言葉はいらない。そっと目を閉じて、私は彼のキスが降ってくるのを待った。


【リクエスト:ぐいぐい系統のヒロインが自分からキスをしてからかうけど逆襲される】

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