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熱を奪われる


単なるクラスメイトの女子。それだけだったのが、いつからか気になる存在になり、そしていつの間にか好きな女の子なっていた。そこまでに至った経緯とか、好きになったきっかけなんて本当に些細なものだったと思う。人が人を好きになるって、もっと大変なことだと思っていた。ドラマチックな出来事がいくつも起こって、そこでやっと芽生えるものなんだと。けど、実際にはもっと単純で、まさしく「落ちて」しまうものだったんだ。

『新開くんのせいで熱が出たんだからね!!』

保健室、いつものベッドの上でケータイを掲げる。表示されているメールの送り主は、今日学校を休んだ。『大丈夫?』と先程送ったメールの返信がこれ。ビックリマークの横には、顔を赤くして眉を吊り上げて怒っている絵文字。それを見て、同じように怒っている彼女の顔が思い浮かんで、思わず笑みが漏れる。

風邪かなんかだと思っていたけど、オレのせいにされてるってことは、まさか昨日のキスが原因の知恵熱だったりするのか? キスしただけで熱が出るなんて可愛すぎかよ。ウブなんだな、きっとキスされるのも初めてだったんだろうな。そう思うだけでにやけが止まらなくなる。
けど、そんなウブな彼女がまさか寝ているオレにキスをしてくるなんて、今でもちょっと信じられない。指先で自分の唇を撫でる。そう、本当に、一瞬触れるだけのものだったけど、アレは確かにキスだった。その前の告白も含め、眠りから覚めてまもない出来事だったから夢なんじゃないかと思ったけれど。夢じゃなかった。

……告白された時に。勢いのまま、彼女の手を引いて押し倒してしまわなくて、よかった。実際には、あの時はみっともなく動揺してただ身を固くして寝たふりを装うので精一杯で、押し倒す余裕なんてなかったわけだけど……例えば今、あれをやられたら絶対に動いている。危ない危ない。


「……………うーん」


寝返りを打つ。いつもはすぐに寝られるっていうのに、今日はなかなか眠りに入れない。

―――ダメだ。今すぐ会いたいな。

アラームをかければ自分でも起きれるし、保健室の先生に頼めば喜んで起こしてくれる。実際、苗字に頼む前はそうだった。なのに何故アイツに頼むようになったかというと、まあ単純に好きだからっていうのと、あともうひとつ。起こしてもらう時のやり取りってちょっと新婚さんみたいでイイなって思ったから。わかんねえかな、ほら、『新開くーん、起きてー』みたいな。『そろそろ起きないと部活遅れちゃうよー?』みたいな。『もう、早く起きないと私、イタズラしちゃうぞ〜?』みたいな。……最後のは、オレの妄想だけど。

あーあ、こんなこと考えていると会いたくなってくる。今日は来てくれないもんな、当たり前だけど。ため息をついて、再びケータイを掲げた。一言のみのメールを見て、目が細まる。

………ん?

そうだ、簡単なことだ。会いたいなら、オレが会いにいけばいいんだよな。苗字が今自宅にいることはわかっているわけなんだし。何でそんなことに気が付かなかったんだ、今まで。馬鹿だなオレ。となれば、アイツと仲良い女子に住所を聞かなくては。

と、オレが電話帳をスクロールしようとしたその時、白いカーテンの仕切りがシャッと勢いよく開けられた。顔をのぞかせるのは、やたらと色っぽいことで校内で有名な保健室の先生。

「新開くん? もうそろそろ部活の時間じゃない? ……あら起きてたの」
「なんだか寝られなくて」
「ふふ、珍しいこともあるのね。あの子が起こしにきてくれないから、安心して寝付けなかったの?」
「はは、関係ないっすよ」
「別にあの子が来なくたって、私が起こしてあげるのに。新開くんを起こす役目を奪われちゃってから、私ちょっとさみしかったのよー? ……なあんてね、嘘よ嘘!」
「はは……」

なかなか笑いづらい冗談だ。

「ねえ、昨日何があったの? 会議から戻ってきたらあの子が寝てるししかも熱出してるし、ほんとびっくりしちゃったのよ?」
「それは秘密ってことで。じゃオレ、部活行きます。今日もベッド貸してくれてありがとうございました」

にっこりといつものように微笑めば、大体この人は流されてくれる。昨日のことを詳しく追及される前に、オレは鞄を持って保健室を出た。さて、部活へ行く前に苗字にひとつメールを打っておこう。大事なことを聞いておかなくちゃな。


『苗字は、プリンとシュークリームならどっちが好きなんだ?』





「――ハァ? プリンとシュークリーム……? なんなんだこのメールは………」


自室のベッドの上でケータイを掲げる。この、表示されているメールの送り主のせいで、私は今日学校を休んだ。彼に激しいキスを受けて、そのままあの保健室のベッドの上で寝てしまって、そして起きたらなんと38度5分の高熱。まさかとは思ったけど、知恵熱というやつらしい。先程『大丈夫?』とか送られてきたから、『新開くんのせいで熱が出たんだからね!!』と返信してやった。そしてそのメールの返信が、プリンとシュークリームならどっちが好きなんだ? というそれまでとは全く脈絡のない内容で。眉をひそめてしまうのもわかってもらえるだろう。
まあいいや……。意味がわからなかったけど、それについて色々ツッコむだけの気力は今無い。私は『プリン』と入力し、その後にプリンの絵文字をつけて送信した。

しかし……なんていうか、熱下がって学校行けるようになったら、私新開くんとどう接すればいいんだろうなぁ…。確かに好きだって言われたし、それが私の好きと同じなら、付き合うってことになったりするのかな…。新開くん。ずっと好きだった人。舞い上がらないわけがない、けど……。ああこんなこと考えてるとまた熱上がっちゃうよ……。

軽い眠気が忍び寄ってきた。とにかく、早くこの熱を下げることが先決だ。明日には学校行けるようにならなくちゃだし。この眠気に乗じて、もう少し寝よう。




「名前!!! ちょっと起きなさい!!! 名前!!!」

「んん……?」

「もう!! 寝てる場合じゃないわよ!! ほら起きて!!」

安らかに眠っていた私は、母親のその騒々しい声で夢の世界から現実に急に引き戻された。なんだなんだ。なんかお母さん、すっごいテンション高い。宝くじに当たったみたいな。寝ている病人の起こし方じゃないよね。私はあくびをして身体を起こした。まだ体のだるさは取れないなぁ。

「なに、どしたの。何かあったの」
「あんた何で教えてくれなかったのよ!!」
「はい? なんのこと…?」
「もうしらばっくれちゃって! でかしたわね、名前! さすが私の娘!!」
「え? なに? 本当にわからないんだけど……」
「ブラシどこかしら……あ、あった。ほら、急いで髪とかして!」

と、いきなりブラシを押し付けられる。あの、私の質問に答えてほしい。言われるままに髪の毛を梳かしながらも、再度「全然話が見えてこないよちゃんと説明して」と、私は尋ねた。


すると。次の彼女の言葉を聞いて、私は固まった。


「新開くんよ、新開くん!! 新開くんがお見舞いに来てくれてるのよ!!」


…………は?


「箱学の広報のプリントでしか見たことなかったけど、ほんとにイッケメンなのね〜!! しかも美味しそうなプリンまでわざわざ差し入れに持ってきてくれて。あれはファンクラブができるのも頷けるわ〜〜お母さんもうメロメロになっちゃったわ〜〜」

「え? ちょっと、え? え?」

「部屋はまあ片付いてるわね。よしよし。じゃあ下で待たせちゃってるから、今呼んでくるからね!!」

「えっ!!! 待ってよ!!! 待って!!! 待っ………」

バタン!! と、無慈悲にも扉は閉められた。お母さんは、私の呼び掛けには一切応じずに出て行ってしまった。なんでいきなりそんな展開になっているのか、朦朧とした頭では全く理解が進まない。え? お見舞い? 新開くんが? なんで……。

ってちょっと待って、今お母さん、プリンを差し入れに……とか言ってたよね……。


『苗字は、プリンとシュークリームならどっちが好きなんだ?』


―――あ、あのメール!!! そういうことだったのか!!!!!


「名前〜〜! 新開くんよ〜〜!」

と、心の準備もなにも出来てないまま、ガチャ!! と、また扉が無慈悲にも開けられた。まず入ってきたのは、二人分のプリンとスプーンが置かれたお盆を持っている母、そして、それに続いて。


「よう、苗字。具合はどうだ?」


制服姿の新開くんが、私に向かって軽く手をあげる。

…………心の中で、私は叫んだ。

『よう』じゃないよ!!!!! 何が『よう』だよ!!!!

しかし母親の前でそんなことも言えず。私は新開くんを凝視して固まるしかなくて。
部屋の隅にある、友達が来た用の小さなテーブルを組み立てて、母はお盆を置いた。その間にも彼女は新開くんと笑顔で会話している。

「本当にいいんですか? プリン、オレの分じゃないのに」
「いーのいーの、主人の分は別に。それより二人で食べなさい! ね!」
「じゃあ、すみません。いただきます」

……。
さりげなくお父さんが可哀想なんだけど……。
―――ん? 待てよ? 新開くん何気に私の家族構成把握してない?

「あっ、新開くんお夕飯まだ!? ウチで食べてかない!?」

ちょっと。お母さん。

「いいんですか?」
「もちろん、ぜひ食べてってよ! 腕によりをかけて作っちゃうから! ね、食べてきなさい!」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「よし、それじゃ今から作るわね! それまで名前とここで待っててね!」
「はーい、行ってらっしゃい」
「うふふ、行ってきます」


……心の中で、私は叫んだ、パート2。


『行ってらっしゃい』じゃないよ!! なんだこの新婚さんみたいなやり取りは!! お母さんも仲良くなりすぎだよ、新開くんと!!


そして、バタン、とまたしても無慈悲にも閉ざされる扉。


「ふう」
「し、新開くん………」
「――で、体調はどうなんだよ、おめさん」
「あの。その前に聞いてもいい?」
「なんだ?」
「……家の住所、どーやって知ったの」
「ん? 適当に女子から」
「そう……」

いやあ。誰かは知らんけど人の個人情報を簡単に漏らさないでほしいよね。このご時世ね。危ないですよね。

新開くんは、座卓の横にしかれた座布団の上に胡坐をかいて、こちらを見上げた。

「あんまり驚かないんだな」
「いや突然すぎて驚くタイミングを逃したといいますか……」
「まだ熱はあるのか?」
「どうだろ……数時間前に測った時は、まだ37度後半はあったけど……起きてからまだ測ってないからわかんないや」
「そうか。なら、オレが測ってあげるよ」
「え?」

新開くんは再び立ち上がった。そして、私のベッドに腰掛ける。ギシ、とスプリングが軋む音がして、そして彼は何の躊躇もなく私の額に手を当てた。

「んー……よくわかんねえな」
「………」

わかんないならするなよ、と。ツッコみたかったけど、いきなりの接触に私は固まってしまった。新開くんの手は適度に冷たくて気持ちいい。そして、そのままその手がするりと頬へ下りる。さりげない仕草で、髪の毛を耳にかけられる。

「あ、う、ちょっと新開くん………」
「んー?」
「やめてよ……」

私の頬を撫でるその手つきが、まるで犬とか猫とかを愛でるみたいで。ドクドクと、心拍数が上がっていく。耳たぶを指先で擦られるのがくすぐったくて、困ってしまった私は顔を伏せた。
新開くんは、そんな私を見てくすりと微笑むと、手を下ろした。

「なあ、何でオレがここに来たかわかる?」
「え……、お見舞い、でしょ?」
「それだけじゃないんだよな。苗字、オレにメールで言っただろ。新開くんのせいで熱が出た、って」
「う、うん……」
「だからさ。オレ、責任感じちゃって。苗字の熱を貰いにきたんだ」
「…………え? どういう………」

続く言葉は、音になる前に私の喉の奥で消えた。
チュッ、という音がして、気が付けば目の前に新開くんの顔があった。


………あれ? い、今……。


「こういうこと」


それがあまりにも一瞬の出来事で、私はすぐに反応ができなかった。だけど、新開くんがそう言って笑ったのを見て、昨日のことを一気に思い出した私は、慌てて顔を逸らしてガードするように片腕で顔を覆った。

「な、な、何するのいきなり!!!」
「ん? キスだけど」
「いやいや、な、何で!?」
「さっきも言っただろ。責任もって、オレが引き受けてやるよ、その熱」
「何その理屈、本気で言ってるの!?」
「本気。苗字、手をどけてこっち向けよ」
「う……無理無理、だって私病人! アイアムア病人!」
「病人だからこそするんだろ? ほら、そんなに首曲げてると後で痛くなるぞ」
「だから何その理屈、やだやだ、無理、」
「苗字、好き」


その瞬間、私の身体はピタリと動きを止めた。


「苗字、こっち向いて?」


―――ひどく、優しい声だ。覚えてる、新開くん、昨日もキスする前にこんな声を出した。この声は私をおびきよせる罠だ。そうわかっているというのに、私は言われるままにゆっくりと首を動かしていた。そして、抵抗するために顔の前で曲げられていた腕も、彼に掴まれてそのまま軽い力ですとんと、いともたやすく取り払われる。力が入らなかった。さっきの「好き」が、私に魔法をかけてしまったみたいだった。

新開くんは、笑っていた。でも、昨日と同じ、目の奥がギラギラしている。ぞくりと、動物としての本能が告げる、これは逃げた方がいいって。でももうダメだ。まんまと罠に引っかかってしまった。この人が鬼と呼ばれていることを思い出した。多分、最悪のタイミングで。


「好きだよ、苗字」


再び呪文が唱えられた。そして、それで完全に私は、落ちた。







「すいません、オレ、今日はもう帰ります」

階段を下りて、リビングに顔をのぞかせると、うまそうなニオイがこちらに漂ってきた。これは焼き肉のニオイだな。一気に腹が減ってくるのを感じる。

「あら? 新開くん? なんでなんで、食べてってよ〜!」
「そうしたいんですけど、苗字さんが寝ちゃって」
「ええ!? 新開くんが来てるのに!? もう、あの子ったら」
「ああ、いや。疲れてぐったりしてたんで、オレが寝かしつけたんです」
「あら本当? やだ、また熱が上がっちゃったのかしら……ごめんねえ新開くん」
「いえいえ。こっちこそ突然お邪魔してすいませんでした。じゃ、これで失礼します。……苗字さんが起きたら、よろしく伝えてください」
「わかったわ〜〜。また来てね、新開くん」

名残惜しそうな苗字のお母さんに微笑みかけ、外に出る。夜の外気が身体の火照りを冷ます。自転車に跨って、オレは学校へと走り出した。

ちょっと、やりすぎちゃったかもな。昨日から感じてたけど、やっぱ好きな女の子とするキスって別格だ。笑えるぐらいに興奮してしまった。よかったよホント、あそこで止まれて。さすがにあれ以上のことはできねえもんな、病人に……。
満更でもなさそうにオレのキスを素直に受け入れてくれた苗字のことを思い出して、一度冷めた身体がまた熱くなるのを感じる。これは本当に熱を貰ってしまったかもしれない。……まあそれでもいいかな。ああ、ただ苗字のお母さんの手料理を食べられなかったことだけが残念だ。……まあ、それもいいや。これからいくらでも行く機会はあるだろうからな。

口元が緩むのを隠しもせず、オレはハイな気持ちのままに自転車のスピードを上げた。




リクエストをくださったさくら様、水無月涼様、アオ様ありがとうございました!→コメントレス

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